第1話・偽りの葬儀
アーデルランドは大陸の西に位置する小国。
森月の年、国王エイリスの愛した妃の弔いが国を挙げて行われた。不思議な縁あって結ばれた、隣国の姫であった妃とは、長い蜜月の間もなかなか子に恵まれず、やっと姫を授かったと思ったら、妃はお産のあとが悪くてあっけなく逝ってしまった。白雪姫という愛称で親しまれた、美しく、皆から愛された妃だった。
赤児の姫は、妃に似て整った顔立ちをしていた。王は、妃の形見に妃と同じアデリアという名をつけた。姫は、亡き母と同じように雪のように白い肌と夜の闇のように透き通った黒い大きな瞳を持って、成長するにつれ益々母に生き写しの美しい女の子に育っていった。そうして、周囲は敬愛の念を込めて娘を母と同じように「白雪姫」と呼んだのだ。王は姫を目に入れても痛くない程の愛しみよう、母を知らずともアデリア姫は幸せに包まれて健やかに成長した。
だが姫が4歳になった年、周囲の強い勧めもあって王は後妻を娶った。姫には母が必要であろうと思うが故でもあったが、再婚を勧めたエルンスト将軍は新しい王妃に気遣ったようで、幼いアデリアをさり気なく国王夫妻から遠ざけた。
後妻もまた、美しい女だった。清楚で控えめだった亡き妻とは違い、艶やかで我が儘で奔放で、それが王を魅了した。エイリス王はやがて新しい妃に夢中になり、あれ程愛した前の王妃の事もその娘の事も、思い出す時間がどんどん減っていった。結婚して翌年には、二人の間に姫が生まれた。エイディリアと名付けられたこの赤子も生まれ落ちた時から大層美しく、国王夫妻は勿論、王宮の者も国中の者も喜びに湧いた。ただ、エイディリアが皆に愛されれば愛される程、後ろ盾のないアデリアは影の存在になってゆく。日増しに王に対する発言力を増してゆく王妃に諂う為に周囲は、第一王女であるのにも関わらず幼いアデリアを離宮に移した。王も、『アデリアの教育の為』と王妃に言われれば、そんなものかと思い、特に反対もしなかった。幼い姫はどうして大好きな父王に滅多に会えなくなったのかも解らずに、アデリア付きの離宮勤めを左遷と考え冷たく接する女官たちに囲まれて、ただ寂しく泣き暮らしながら成長していった。
◆◆◆
そしてアデリアは8歳になった。
「アデリアさま! 作法のお勉強のお時間です! どちらにおいでですか!」
「アデリアさま! なにゆえにこのお刺繍をこのように荒くなさるのですか!」
「アデリアさま! 馬番の子とお遊びになってはいけませんとあれ程申し上げましたでしょう?! わたくしどもが叱られてしまいます!」
女官たちの悲鳴のような叫び声が、離宮の廊下に響き渡る。アデリアは小間使いが使う裏口の階段の下の小部屋に隠れて、それらの声をやり過ごした。
「あああ、うるっさいな。私が何をしたって、どうせお父さまは何の関心も持って下さらないのだもの。好きにさせて欲しいわ。あの女官たちときたら、私付きになって宮殿にいられなくなったものだから、私を苛々させて鬱憤を晴らしているにちがいない。だって、いくら私をきちんとした姫君に仕立てあげたって、お父さまは私を見ては下さらないもの」
小声でひとりごとを言うと、アデリアは自分の言葉に悲しくなって、目に涙を浮かべる。まだ8歳、母はおらず、父には疎まれ、アデリアは寂しかった。もっとずっと幼い頃に、父が笑って抱き上げてくれた記憶が微かに残るだけに尚更。二番目の妃が生んだ妹が、父に愛されているのも悔しかった。5歳下の妹、エイディリア。母親に似て金の髪でよく笑い愛らしい。
2年前にアデリアは、妹の誕生祝いの席に招ばれ、久しぶりに父と過ごせるのだと大喜びで宮殿に出向いたが、行ってみれば父や皆はアデリアには目もくれずに妹ばかりをちやほや可愛がる。それが悔しくて、ほんの僅かの隙をみて1歳の妹を軽くつねってしまった。アデリアは父と義母に折檻され、それ以来二度と宮殿には呼ばれなくなった。父は義母に「むちゅうでいいなり」なんだと、女官たちが噂していたのを聞いた事がある。お父さまが誰かの言いなりになるなんてあり得ない、とアデリアは思う。だってこの国で一番偉い王様なんだもの。そんな事を思ううちに、アデリアは眠くなってきた。暗闇は心地良い。誰もアデリアを見張ったり叱ったりしないから。うとうとし、そのままアデリアは眠ってしまった。
一度ふいと目が覚めた時、女官たちがまだ自分を探して叫び回っている声を聞いた。私がぐっすり眠っている間も、ああやって慌てて探し回っていたのね。いくら疎まれた姫でも、いなくなってしまったりすれば、彼女たちは重い罰を受けるだろう。いい気味だ。明日の朝までそうやって困っていればいいんだわ。おなかはすいていたけれど、アデリアは女官たちを困らせる楽しみの為に我慢することにした。明日までここに隠れていよう。後で女官長に叱られたって構わない。
真夜中に、遠くで鐘が鳴っているのを聞いた気がする。夢かしら? こんな時間にあんなに鐘を鳴らす筈はない……アデリアは湿った音色の鐘をいつまでもうつらうつらと聞いていた。
―――――――
「陛下、離宮から知らせがありました。ああどうかお気を確かにしてお聞きになって下さいませ。アデリアが死んでしまったそうですわ」
夕餉の後で自室で書物を広げていた王の所へ、髪を振り乱して王妃エリアナが駆け込んできた。エイリス王は驚きの表情で顔を上げた。
「なんだって? 確かなのか?」
「ええ。あの娘、女官たちの目を盗んで森へ入って行ってしまったそうですの。そして池で溺れて……」
そう言って王妃は涙を流す。その唇の端にうっすらと笑みが浮かんでいる事に王は気づかない。動揺して立ち上がり、両手で顔を覆った。
「なんという事だ。あんな幼い娘が……可哀想に。なぜわたしはあの子をあんな離宮にひとりで置いたりしたのだろう! なぜわたしはあの子を疎んだりしたのだろう!」
王の双眸から涙が零れる。もともと慈悲深く愛情深い性格だった。それを狂わせたのは、初めはアデリアの教育係として宮殿に上がったエリアナなのである。彼女は人の心を操る魔法を使う。王がアデリアを疎むようになったのも、彼女がそう仕向けたからなのだ。エリアナはそっと王の腕をとって囁いた。
「何を仰るのですか。陛下はあの娘に充分な事をなさったではありませんの。あの子がエイディリアにした事をお忘れになったのですか。あんな幼い子が乱暴をするなんて、陛下の血を分けた子かどうかすら疑わしいですわ」
この言葉にさすがに王はかっとなり、
「亡き妃を侮辱するのか」
と言った。だがこれもエリアナの予想通りのことだった。より大きな悲しみや怒りに囚われた時ほど、人は暗示の魔法にかかりやすい。
「も、申し訳ありません。そんなつもりではございませんわ。ただ、陛下はあの子に離宮をお与えになって、ちゃんとした境遇でお育てになってこられたのですから、ご自分をお責めになる必要はないと申し上げたかっただけなのです。あの子が乱暴だったのは、あの子自身の性質、池に落ちたのもそれによる運命だったのです。ですから、陛下があの子に対してなさるべきことはあと、たったひとつだけですわ」
そう言って、エリアナは深い青の瞳で王の目を見つめる。王は妃の吸い込むような瞳に気を奪われ、怒りを忘れて鸚鵡のように繰り返した。
「たったひとつ……?」
「そう、盛大に弔いをしてやる事ですわ」
幼い王女の小さな棺が大聖堂に安置され、その早すぎる死を悼んで国中が悲しみに包まれた。水に濡れた小さな身体はすっぽりと黒い布に包まれていた。弔いの鐘が都中に鳴り響き、国民は皆、その魂が彼女の母と共にで安らかに過ごせるようにと祈った。
「我が民よ、娘の魂が神の御許で永遠に安らげる事を祈ってくれ。そして言っておこう、我が跡を継ぐのは王女エイディリアであると」
王は大聖堂のバルコニーから、集まった民に向かい宣言した。エリアナ王妃が全ての手配を急がせた為に、これが起こったのは、まだ都が朝靄に覆われていた時間であった。
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