第2話・白雪姫の死
幼い王女の小さな棺が大聖堂に安置され、その早すぎる死を悼んで国中が悲しみに包まれた。水に濡れた小さな身体はすっぽりと黒い布に包まれていた。弔いの鐘が都中に鳴り響き、国民は皆、その魂が彼女の母と共にで安らかに過ごせるようにと祈った。
「我が民よ、娘の魂が神の御許で永遠に安らげる事を祈ってくれ。そして言っておこう、我が跡を継ぐのは王女エイディリアであると」
王は大聖堂のバルコニーから、集まった民に向かい宣言した。エリアナ王妃が全ての手配を急がせた為に、これが起こったのは、まだ都が朝靄に覆われていた時間であった。
◆◆◆
「……どうしたの? どうして誰もいないの?」
いつの間にか夜が明けていた。流石に空腹で寝てもいられなくなったアデリアは、隠れ場所から這い出してきた。しかし、しんとして離宮には人の気配がない。普段であれば女官長から厳しく注意されるような走り方でばたばたと駆け回って離宮中を見て回ったが、本当に誰もいないようだった。幼いアデリアは不安になる。ちょっとした意地悪のつもりだったのに、女官たちは怒って出て行ってしまったのだろうか? そんな事になったら、お父さまからどれだけお叱りを受けるだろうか。
外ではまだ盛大に鐘が鳴っている。あれは何の為の鐘なのだろう? 去年、おばあさまが亡くなった時に、確かこんな風に朝から鐘が鳴っていた……。
「おなかがすいたわ……」
アデリアは厨房に入り込んだ。大鍋の中に、昨夜の夕餉の為に用意されていたと思われるスープがあったので、それを鍋から掬って飲んだ。皿に注ぐやり方が分からなかったからだ。女官長が現れて叱られるのではないかとどきどきしたが、昨日の昼以来何も食べていないので我慢が出来ない。籠の中のパンも食べてとりあえずの空腹を満たすと、アデリアはまた人を探しに廊下に出た。すると、中庭の方で何か声が聞こえる気がする。ほっとしてアデリアはそちらへ駆けて行った。
『……さま、かわいそう。いつものわがまま、いたずらで、とうとうお池に落ちちゃった』
聞こえてきたのは歌声だ。聞き覚えがある、小間使いの少女の声だ。女官の娘で、赤ん坊の頃の事故で視力を失ったらしい。アデリアとあまり変わらない年齢だが、下働きをしている。アデリアは以前、仲良くなりたいと思って話しかけ、一緒に遊んだ事があったが、そのせいで少女がひどく母親に叱られたと聞いて、以降は近づくのをやめていた。
何の歌を歌っているんだろう? 興味をひかれてアデリアはそうっと少女に近づいた。少女は庭掃除をしながら歌い続けている。
『白雪姫さま、かわいそう。いつものわがまま、いたずらで、とうとうお池に落ちちゃった。お池で溺れて死んじゃった。お母さまのところに行っちゃった』
アデリアはとても驚いて少女に近づいた。それにしても、どうして庭掃除をするのに黒い服なんか着ているのだろう?
「ねえ、なぜそんな歌を歌っているの?」
盲目の少女はびくっとした。だが、話しかけたのがアデリアだとは思わなかったらしい。
「アデリア姫さまがお亡くなりになったから」
この言葉にアデリアは一瞬驚いたが、すぐにくすっと笑った。そうか、と思ったのである。そうか、私が隠れて見つからなかったから、私を懲らしめようと思って女官達は逆に隠れてしまったのね。そして、こんな嫌がらせをこの子に言わせているんだわ。
「アデリアさまはどうして死んじゃったの?」
意地悪のつもりでそう問い返すと、小間使いは悲しそうな声で応える。
「森の池に落ちて溺れてしまったんですって。探しに行かれた将軍さまが見つけたそうです」
「将軍さまが?」
意外な言葉にアデリアは戸惑う。なぜ、将軍さまなんて言葉が出てくるのだろう? エルンスト将軍はいつも王妃、お義母さまの命令ばかり聞いていて自分には笑顔を見せた事もないくらいだし、お義母さまは、私に何の関心もない筈なのに。
「ええ、姫さまがあまりに見つからないので、女官長さまが宮殿に知らせたんです。そうしたら、王妃様の命令を受けた将軍さまが来られて、池の底に沈んでいた姫さまを見つけて下さったそうです。今、皆様お葬式に行かれています。私は留守番です。あなたは行かなくていいのですか?」
「お葬式ですって?!」
「ええ、とっても盛大なお葬式をすると聞きました。ほら、もうずっと鐘が鳴りっぱなしでしょう?」
りんごん、りんごんと大聖堂の鐘の音はこの離宮まで風に乗って流れてくる。急にそれが何ともいえない不吉なものに感じられて、アデリアは身震いした。
「やめて、そんな冗談は。私が悪かったわ、ごめんなさい! 隠れてないで、みんな出てきてよ!」
アデリアは悲鳴に近い声を上げた。小間使いは不思議そうな顔になる。
「こんな不謹慎な冗談なんて言えません。アデリア姫さまはお亡くなりになったのです」
「ちがうちがう、私は池になんか落ちてない! 小部屋に隠れていただけなの。私はちゃんと生きてるわ!」
アデリアの言葉に、小間使いは不意に恐怖の表情を浮かべた。
「あなたさまは……どなたですか?」
「私はアデリアよ! 私は……」
「亡霊!」
小間使いは悲鳴を上げる。
「助けて! わたくしは姫さまが亡くなった事を悲しんでいただけです! なにも悪い事はしていません!」
狼狽し、箒を投げ捨てて、小間使いはふらふらと逃げだそうとする。
「待って、行かないで!」
「助けて、助けて!」
その時、表の方に人の気配が集まり始めた。葬儀に参列した女官たちが戻ってきたのだ。
「助けて、助けて!」
「何を騒いでいるのです! 姫さまがお亡くなりになったばかりだというのに!」
喪服を纏った女官長がぴしりと小間使いを叱りつける。が、その後ろから駆け寄ってくる姿に仰天した顔になる。
「ア……」
「女官長、私、死んでないわ! 隠れていただけなの。ごめんなさい、ごめんなさい!」
そう言ってアデリアは女官長のスカートに縋り付いてわんわん泣いた。こんな騒ぎになるなんて思ってもみなかった。どんなにお父さまに叱られるか、怖ろしくて悲しくてたまらなかった。
だが、暫しの沈黙のあと、女官長は蒼白な顔のまま、スカートを引いた。
「にょ……女官長?」
「誰か……王妃様のもとへ使いに行きなさい。アデリアさまの亡霊が迷い出たと……どうすればいいでしょうかと」
「女官長! 私、亡霊じゃない! 生きてるのよ!」
アデリアは涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま、信じられない面持ちで叫んだが、女官長は姫を見ようとせずに、
「陛下が確かに国民の前で宣言なさったのです。アデリア姫さまはお亡くなりになったと。だから、姫さまは生きている訳はないのです」
と、独り言のように呟いた。あれだけ盛大な葬儀が執り行われた後で、見つかりました、などと自分からは言えない。王女から目を離した上に死なせた事でどれだけ重い罰を受けても仕方がない、と覚悟を決めていたところを、王妃の口添えで、事故に関して女官たちの責任は不問という沙汰が下されたのだ。王妃に全てを委ねるしかない。そうやって女官たちを庇うような気の優しい方なのだから、きっと良いようにして下さるだろう。
知らせを聞いた王妃は自ら離宮へやって来た。心痛をかけてはいけないからと、王にはこの事は伏せるように固く命じて。
「お義母さま! ごめんなさい!」
エリアナの顔を見て、アデリアは泣きながら駆け寄って膝をついた。いくら自分を愛していないと言っても、義母上なのだ、助けてくれると幼い姫は信じていた。だが、口の端に意地悪い笑みをよぎらせながらも、王妃は空涙を流しながら部屋をぐるりと見回して言った。
「確かに何かいるようですね。しかし、あの姫は死んだのです。エルンスト将軍とわたくしが遺体を確認し、この手で棺に収め、陛下がその死を宣言したのですから。王の娘が亡霊となって舞い戻るなどあってはならぬ事。皆、絶対にこの亡霊と話をしてはいけません。見てもいけません。この離宮から出してもいけません。だって、ここにいない者なのですから。亡霊がいたとしても、やがて諦めて冥府に戻るでしょう」
「冥府などと。もしも亡くなれば、アデリア姫さまは亡き前王妃さまと天国にいらっしゃるのではないのですか。あの姫さまは、気の強いところもおありだったけれど、優しくて愛らしい方で……」
女官長が思わずそう言った。この女官長は、国王夫妻への忠誠心に溢れてはいるものの、アデリアの事を憎く思っていた訳ではない。アデリアにきつく接していたのも、立派な姫君に育てば父王との仲も戻るだろう、と期待しての事だったのである。
「もしも、とはどういう意味ですか。アデリアは死んだのですよ」
王妃は女官長を睨みつけた。女官長は自分の失敗を悟って失言を詫びる。王妃は最初からこの結末を望んでいたのだ。
「お義母さま! 私は生きています! アデリアは生きています!」
幼い娘の悲痛な叫びにも、冷酷な王妃は動じない。
「白雪姫は死んだのです。母も娘も」
その宣言が、アデリアの過酷な運命を決定づけた。
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