右手に剣を、左手に災いを 1
居酒屋
それが、商業都市マルチパラダイム南部に存在する大小さまざまな店が入り乱れる区画の中で、最も知名度の高い店の名である。
「客入りは相変わらずだというのに、随分と有名になったものだな」
そんな居酒屋の経営者に対して入店早々に辛辣な意見を贈ったのは、巷を騒がせているMonad Busterだ。
過去に何度もこの店へと足を運んでいるからこそ、その代わり映えのなさに呆れていた。
なおこの青年、若干の安心感が胸をよぎったことには気づかないふりをしていたりもする。
感情を隠したがるお年頃なのだ。
「毎度ながらきついこと言うなぁ」
青年の言葉に苦笑いで応える店主、名はリィド。
フリーアの秘めたる想いに気づいているが、あえてわからないふりをする程度には空気の読める男である。
「同じ感想を並べられたくないなら、料理の腕をあげるなり誰かを雇うなりしたらどうだ?
あるいは酒を変えるか、だ」
「こういうのは渋い男が1人で仕切っているから格好良いんだよ!
それに酒にはこだわりがある……こればかりは譲れねぇな」
「趣味と実益を兼ねる、か」
クライスリで振舞われる酒は大陸内でも屈指の銘柄ばかりだ。
お酒好きがこの店に足を運べば『ここは天国か!』と狂喜乱舞すること間違いなし。
リィドがお酒に一切の妥協を示さないことを知っているフリーアもそこは問題だとは考えていない。
問題は、お酒の質が良すぎるためにその他の料理や食事が見劣りしてしまうことにある。
リィドが振舞う品が悪いわけではないのだが、最高品質のお酒に合うかと言われると首を傾げざるを得ない。
美味いお酒にありつけるが、最高の体験が得られるわけではない──それが、有名でありながら客入りはまばらという居酒屋の実態だった。
「それに、こっちが忙しくなったら本業が滞る。
それはお前さんも困るだろう?」
「……」
「な?
だから、この店は今のままでいいんだよ」
リィドの言葉に口ごもるフリーア。
そう、リィドにとって居酒屋はあくまで副業。
表向きには酒好きな店主として振舞っているリィドには、もう1つ別の顔があるのだ。
「つーことで、今日の居酒屋クライスリはここでラストオーダーだ。
何が飲みたい?」
「……ミルクを」
「はいよ。
表の看板を片付けてくるからちょっとまってろ」
フリードに対しミルクではなく水を差し出したリィドが出入口へと足を進める。
メニューには存在しないミルクが注文された時点で、居酒屋クライスリはその日の営業終了が確定となった。
今から行うやりとりを第三者に見聞きされたくないためだ。
「じゃ、本業の方をはじめるとしますかね。
情報屋
フリードの近くへと戻ってきたリィドが、厨房ではなくカウンター席へと腰をおろす。
彼は情報屋の男と居酒屋の店主という役割を明確に区別するため、その時の立場によって店内の立ち位置を変えるよう心がけていた。
「まずは報告だが、広場の一件は連中が|神々の怒り《》に触れたって話に落ち着いた。
当事者は皆死んでしまったから、お前を疑う奴はいないだろう。
復興作業には誰かが置いていった寄付金が使われるそうだ」
「象はどうなった?」
「あの子のことを気に入った商人夫婦が引き取ることになった。
餌と金の受け取りは相当渋られたが……まぁ、どうにか丸め込めたよ」
「そう、か」
広場で起こした騒ぎに関するあれこれがひと段落したという話を聞いたフリードは、内心胸をなでおろしていた。
破壊し尽くされた広場に、主人を失った象。
これら2つに関しては打つ手がないと判断していたフリードにとって、リィドの語った結末は奇跡にも等しいものだった。
「情報屋の領分を越えた仕事にもかかわらずこなしてくれたこと、感謝する」
「相場の倍以上を払ってくれる客の要望だ、少しは融通を効かせるさ」
「……それだけではあるまい?
俺に何をさせたい」
いくらクライアントが旧知の仲だろうと、普段のリィドであれば大金を積もうと情報を流す、売る以外の仕事はしないことをフリードは知っている。
それ以外の仕事、例えば今回のような商人との交渉を行う場合は何が裏があるとみて間違いないと青年は考えていた。
「話が早くて助かる。
ちょっと嫌な話を耳にしたんで、お前さん達に不安の芽を摘んでもらいたいわけだ。
もちろん報酬は払うぞ?」
案の定、フリーアの予感は的中していた。
それも”お前さん達”という、彼にとっては不穏でしかない言葉付きで。
「俺に誰かと行動を共にしろと?」
「お前さんもよく知ってるやつだから安心しろ」
「……嫌な予感しかしない」
「その感覚、大事なものだからなくすなよ?」
渋面を隠さない青年に苦笑するリィド。
青年が心を押し殺そうとしつつ、しかし感情がむき出しになる様をみて「まだまだ若いな」と思わずにはいられなかった。
表情で嘘をつけないのが彼の弱点であり長所……それが情報屋の分析だった。
「そういえば、そのもう1人がそろそろやってくるはずだが……」
リィドが懐から時計を取り出し、集合時間に近いことを確認する。
正確に難ありだが約束を守る相手のことを思い浮かべる。
そんな時だ、店の扉が勢い良く開け放たれたのは。
「こんばんー、閉店になってるけど入っちゃうよー入っちゃうからねー!
双剣を背負った小柄な少女は挨拶を繰り出しながらずかずかと店内に上がり込む。
その行動からはまるで他人を考慮しようという気が見られない。
入り口に目を向けたフリーアがため息をつく。
彼の脳内ではこれからの展開が容易に想像できてしまっていた。
「おや、そこにいるのはフーお兄ちゃん!
こんなところで会うなんて奇遇だねぇ。
これは運命感じちゃうなーってことで結婚しない?」
「……」
「沈黙は肯定と受け取るけど良いのかな?かな?」
「いきなり入店してからのスピード感に呆れているだけだと思うぞ、アイサ」
「それを面と向かって行ってくるリィドおじさんは嫌いかな!
あ、でも中途半端な腕の料理はクセになる味なので何か作ってくださいお願いします」
悪びれもせずに要求を告げてから、少女はフリードの右隣に存在する空席へと飛び乗る。
「お前なぁ……はぁ、何か持ってくるからちょっと待ってろ」
いつものことなのか、リィドのほうは呆れつつも仕方ないなと少女へとグラスを差し出す。
中身は未成年のアイサ向けに用意したジュースだ。
「出来上がるまではフリードにでも相手をしてもらえ」
「はーい」
厨房に立ったリィドにニコニコと笑顔を送るアイサはとても上機嫌だ。
Monad Busterの青年と会えたことが本当に嬉しいのだろう。
(まさか、本当にアイサとは……)
逆に彼女との触れ合いが得意ではないフリードは、2人きりでの会話に不安を覚えつつ口を開いた。
Monad Buster もみあげマン @momi-age
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