象と、箱と──
型階層世界の名もなき大陸中央部に、大陸最大規模を誇る商業都市が存在する。
その名もマルチパラダイム、様々な主義主張と共に物資が行き交う重要拠点だ。
どの支配構造にも所属せず、独立中立な都市であるからこそ発展した場所と言える。
(そんな中立地域で配布されている
フリーアは都市を散策しながら思案する。
どうすればこの地から
Monad Busterと呼ばれ一部の者から恐れられているフリーアだが、彼自身は別に戦闘狂というわけではない。
思想を捻じ曲げ一方的に押し付けるMonad
無関係な人々を戦いに巻き込みたいわけではないのだ。
補足するならば、マルチパラダイム内部での戦いを避けたいのはフリーアだけではない。
Monad
様々な思惑が入り交ざった混沌の地が想定外の事態に陥ることを避けたいのだ。
マルチパラダイムを支配下に置くのは覇を唱えてからでも遅くはないと、結論付けている。
(まずは奴らがどういった形でこの街に馴染んでいるのか、調べる必要があるな)
こういう時こそメイヴがいてくれれば助かるのだが……そう呟やこうとしてから、青年は自嘲気味に溜息をつく。
彼女やあの魔女と別れてから数日が経っているというのに、つい手を借りそうになってしまう自分が滑稽で仕方なかった。
(俺もまだまだ甘い)
ない物ねだりをしても仕方がない、とフリーアは意識を切り替える。
まずは、情報を集めなければならない。
フリーアはこの地にたどり着いたばかりの旅人なのに対し、相手はこの歪な都市に腰を下ろした者達。
どちらが有利であるかは明らかであり、この差を埋めるには徹底的に情報を洗い出す他にない。
それでもようやく対等か僅かながらに劣勢か。
攻守を逆転させるには、さらなる鍵が必要──その鍵を探す必要があると、フリーアは考えていた。
「とはいえ、当てもなくさまようほど不効率なものは──む?」
周囲のざわめきにふと顔をあげるフリーア。
眼前には区画からあふれそうになるほどの人だかりと、様々な芸を披露する芸人や動物達。
「周りを気にしなさ過ぎたか」
考え事をしているうちに大広場へ来てしまったと悟るフリーア。
旅芸人が集い己が技芸を繰り出す様は目を見張るものがあるが、フリーアの望む情報が旅芸人達から手に入るわけではない。
彼にとっては用のない場所と言えた。
「──!」
耳をつんざく、動物の鳴き声を耳にするまでは。
「どうか落ち着いてください!
声は大きいですがやさしい動物です、皆様に危害を加えることはありません!」
飼育員らしき人物が声を張りながら無害を主張する動物──それは象だった。
大陸西部に生息し、河川や湖を渡る際に利用される大型生物だ。
長い鼻と特徴的な牙から攻撃的な生物と誤解されがちだが、命を狙われない限り凶暴になることはない。
(よくもまぁ、こんな地域まで連れてきたものだ)
象はとにかく食事量が多いことをはじめとしてとにかくお金がかかる。
人間換算で数十人分の飼育費に必要なことは西部では有名な話だ。
大陸中央部よりも東側に象は生息しないので見世物としては良いかもしれないが、金儲けには向かない動物だった。
「足はまるで大木のようね」
「大蛇のように動くあれは……鼻、なのか?」
「きっと、あの大きな耳で僕らを扇いでくれるんだよ!」
見物人達が口々に象に対する印象を囁き合う。
象が飼育員の合図に合わせて芸を披露する度に歓声を上げ、次の行動を見逃すまいと視線を集中させる。
そんな状況下において、フリーアは慎重に観客の輪から離れつつ周囲の動向に注視していた。
(なんだ、今の違和感は……?)
一部の観客から作為的な何かを感じた。
まるで、思考を誘導しているような……それ以上の何か。
『小さな共感を繋ぎ合わせることで思想の統一がなされる。
直接的な表現だろうと
一度嵌ってしまえば、二度と戻ることはできないからね』
かつてそんな言葉を青年に語って聞かせてくれたのは、果たして誰だったか。
『人々をMonadに箱詰めしたかったわけじゃない。
そんな箱は……
脳裏をかすめる記憶の数々が、目の前の光景に警笛を鳴らす。
この悪夢を早く止めろと、血が騒ぎだす。
「見事な芸を披露してくれた彼らに拍手を!」
そんなフリーアをあざ笑うかの如く、芸人達が言葉に合わせてお辞儀を始める。
狂気の笑みを貼り付けながら、この時こそが始まりなのだと観客を煽る。
『
『
旅芸人達の一挙手一投足によって徐々に歪まれていった人々が、一斉に姿形を変えてゆく。
喝采という名の咆哮をまき散らしながら、連なった想いの果てに変貌する。
こうして人々は、
象牙の紋章が描かれた
「──それで、あなたはどうなさいますか?
ここで我らを討ちますか?
自由の名の下に蹴散らし、マルチパラダイムに更なる混沌を呼び起こしでもますか?
どうです、Monad Buster?」
「……」
司会者だった男の煽りに対し、フリーアはただ無言を貫く。
いや、正確には無言ではない。
心では既に言の葉を語り終えていた。
(──
そんな青年の内なる想いを知らない男は、微動だにしないフリーアに対し愉悦を感じながら言葉を重ねる。
青年がこの場で行動を起こせるはずがないと信じて疑わない。
「動けませんか、動けませんよねぇ?
あなたは世界と敵対したいわけではない!
世界に覇を唱えたい人でもない!
そんなあなたが、都市を巻き込めるはずがありませんねぇ!?」
「……」
「いやしかし、
争うことなく思想を共有できることは素晴らしいことだと思いませんか。
どうです、Monad Buster!?」
男の嘲笑に、やはり青年は応えない。
「つれないですねぇ、それでは人々に愉しんではもらえませんよ?」
そして三度目の挑発が行われた時、フリーアはようやく口を開いた。
「……それだけか?」
「はい?」
「言いたいことは言い終えたか、と尋ねている」
「何をおっしゃっているのです?
先に尋ねたのは私、それを質問で返すとは無粋の……ひっ!?」
司会者の男が不満をぶつけようと視線を合わせ──思わず一歩後ずさる。
「他の者達もだ。
語ることがあるなら今のうちに吐き出せ。
俺がその全てを聞き届けよう」
青年の言葉に信者達がざわつく。
フリーアが何を言っているのか、解説書の破壊者たる存在が信者に何を求めているのかと、周囲に確認しては首を振る。
(何を言っている?
何を考えている?
どうして……そんな感情を我々に向ける!?)
司会者の男もまた、他の信者と同じく青年の行動を理解できないでいた。
故に、解説書に囲まれたこの場では怒りを募らせるだろうと予想していた。
感情を揺さぶり相手の視野を狭くすれば、そこに付け入る隙が生まれるだろうと考えていた。
だが、Monad Busterの視線に込められた想いは……憐れみと、悲しみだった。
Monadを理解し、それでありながら
「あなたは、お前は一体何だ!?
Monadの何を知っている!?
私達に……何をもたらすというのだ!?」
男はここに至って初めてMonad Busterに恐怖し、司会者という道化を演じることすら忘れ、感情のままに叫んだ。
「お前達に贈るのは……
男の問いに、青年はようやく言葉を返す。
『汝に問うは魂の行先──』
「な、なんだ!?」
「体が……揺れている!?」
「ち、違う、これは地面が……!」
「これがMonad Busterの力?」
「誰か奴を止めろ!」
信者達は惑い、怒号をあげながらも行動に移る。
何が起きているかはわからないが、誰が起こしているかは明白だ。
だから、彼を止めなければならないと体を動かそうとした。
だが、足場が揺れるという未体験の事象に翻弄され、信者達は思うように動けない。
それどころか、体勢を崩さないようどこかにしがみつくだけで精一杯だった。
『我が告げるは破戒の言葉──』
そんな彼らの様子を機にすることなく、青年は詠唱を続ける。
『
真なるMonadの力をもって、世界の枷を解き放つ──!
『
瞬間、世界の一角がひび割れ、崩れ落ちた。
信者達が裂けた地面から生み出された暗闇に次々と飲み込まれる。
泣き叫ぶ人々の声を、断末魔をかき消しながら、
やがて
「……」
足場が崩れなかったことで生き残った象とフリーアだけが、その場に佇んでいた。
「──!」
失った主を嘆くかの如く、象が鳴き続ける。
青年はそのレクイエムをじっと聞き届けてから、その場から姿を消したのだった。
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