最終章 『月花美陣』 PART3
3.
……ど、どういうことだ?
心臓の鼓動を抑えながら頭の中を整理する。志遠の話とはまるで違う展開になっている。
志遠を待つための計画が志遠と離れる計画になっている。それも恋人同士の関係がなかったことになっている。
凪が押し黙っていると、千月が口火を切った。
「そりゃね、私も彼と同じように時計技師になりたいなと思ったこともあるよ。でもね私には守らなきゃいけないものがあるの」
「守らなきゃいけないもの?」
凪が恐る恐る尋ねると、千月は胸を張って答えた。
「……うん、私の家族よ」
迷いのない千月の瞳に志遠の幻影が彷徨う。
――暖かい家庭が欲しいんだ。
彼に質問した時のことを思い出す。千月こそが分岐点の一つであり、家族を作るために時計技師の夢を諦めたと彼はいっていた。
「時計店もね、身内に譲るといっていたわ。彼の身内に時計修理ができる人がいるみたい、それでその人に渡すみたいよ」
「それはおかしいだろっ」
凪は強く反論した。
「あいつに身内なんていないはずだ」
身内がいないからこそ家庭を作ることに執着していたのに。凪が呟くと彼女は目を丸くした。
「えらい詳しいわね。彼と会ったことがあったっけ?」
「いや、ないけど……。お前からそんな話を聞いたような気がしただけだ」
そういうと千月は小さく首を振った。
「私は知らないわよ。彼に身内がいるかどうかなんて。両親は離婚して、いないと聞いているけど」
……おかしい、どうしてお前は志遠のことを知らない?
その言葉を飲み込んで現状を理解しようと頭を働かせる。どうやら今の彼女は志遠の情報を持っていないようだ。
「それにね、3年間学校に通ってわかったわ。私は時計屋に向いてないと思う」
「どうして? 自分で決めて専門学校にいったんだろう? 好きだったんじゃないのか」
「もちろん好きだよ。でもね、他の人の熱意には及ばなかった。特に彼ほど私は気持ちはなかったの」
千月は窓の景色を眺めながら続けた。
「彼はね、時計に愛情をたくさん注いでた。私もこの道でやっていきたいという気持ちはあったけど全てを注ぐことはできなかった。彼みたいに純粋に時計のことだけを考えることはできなかったの」
……違うよ。
凪は心の中で呟いた。あいつが全てを注いだのは千月、お前にだよ。その言葉を噛み殺し彼女を見る。
「……お前はそれでいいのか? 実家を継ぐことで後悔しないのか?」
「うん、大丈夫。今まで好きなことをさして貰ったんだもの、時計は趣味でいいわ。私自身、変わらなきゃいけないと思ってたし」
――変わらない想いと変わらなければならない心がある。
志遠がスターチスを見た時にいった言葉が蘇る。この作戦を考えた時、彼は哀愁を漂わせながらそういっていた。
まさかあの時から彼はこうなることを予測していたのではないか。
妙な胸騒ぎが自分の心を侵食していく。乾いた風が満ちていたものを容赦なく奪っていく。
「さっきから浮かない顔してるわね。もしかして私が斎場で働くのは嫌?」
「いや、お前が決めた道なら文句はないよ。好きな道を選んでいけばいい。何も全てが無駄になるわけじゃないんだから」
窓ガラスを通して、隣の電車が発車する様子が見えた。それと同時に千月は彼の方を見た。
「……ねえ、凪。昔の約束、覚えてる?」
「約束?」
「お互いが両親の仕事を引き継いだら、結婚しようっていってた約束」
……ドクン。
思わぬ言葉に自分の心臓が大きく高鳴る。
「そんな約束したかな?」
「なんだ、覚えてないのね」
千月は小さく笑った。
「私は結構覚えてたんだ。仕事の付き合いもあるし、一緒になった方が早いだろってさ。何だか、それが現実になるかもしれないかなっと思って」
……ドクン、ドクン……。
……まさか。そういうことなのか、志遠。
心臓が昂ぶるにつれて血の気が引いていく。
「お前は……それでいいのか?」
「いいのかって? 凪がいいなら、私はいいよ」
……ドクン、ドクン、ドクン。
心臓の鐘が無常にも鳴り続ける。
凪は愕然として千月を見た。今、目の前にいるのは紛れもなく千月だ。自分が愛していた幼馴染の千月。それに……志遠が愛した千月だ。
彼は……最愛の彼女を他人である自分に受け渡す未来を作り出そうとしている。そして彼女の中にある自分自身の記憶を改ざんしようとしている。
恋人から専門学校時代の知人へ修正し、電車に乗ったこと自体をいなかったことにしようとしている。一年間彼女と過ごした時間さえなかったことにしようとしているのだ。
「どうしたの、凪? 顔色悪いよ」
「……いや、そんなことないよ」
彼はどんな気持ちでやり遂げたのだろう。自分の恋人を他の男とくっつけるための計画を。苦悩とは一言でいえないほど悩みつくしたのだろう。
考えただけでもぞっとする、自分にはとてもできそうにない。彼女のことを純粋に思っているからこそ、思いつける作戦だ。
だがこれが成功すれば彼女は確実に自分の意識を取り戻すことができるだろう。事故で志遠が亡くなったと知っても自分との関連性はないからだ。
「何、黙ってるのよ。冗談でしょ、冗談。そんなに気にされたら私も困るよ」
「……ああ、すまない」
……きっと明日からは普段通りの千月が見れるのだろう。
俺たちは斎場を通してこの四年間、ずっと一緒にいた。志遠がいない中で自分達は昔のように毎日出会い、お互いの恋心を高めていく。そうすれば彼女は彼のことなど思い出すことはない。
自分が彼女に真実を告げなければ、永遠に続いていく関係が手に入る――。
「もうすぐ時間ね、早く進まないかな、電車。遅いわね」
仕切りに時計を確認する千月に目を合わせられない。
……ドクン、ドクン、ドクン……。
このまま彼女に真実を告げなければそれでいい。このまま実家に戻ればそれだけで彼女が手に入る。
……だが本当にそれでいいのだろうか。
このまま彼女と一緒になれるのは嬉しい。ずっと好きだった千月との生活。彼女とは趣味もあえば、何だって話し合える仲だ。彼女さえ自分に気持ちが傾いていてくれれば、きっと上手くいくだろう。
……けど。
「……お前は……実現したらいいと思っているのか」
「ん、どうしたの?」
「俺と付き合った未来があったらいいのかと訊いているんだ」
「いきなりどうしたの、凪?」
「……答えてくれ」
凪は丁寧に頭を下げた。
「お前の正直な気持ちが聞きたいんだ、頼む」
「なによ、改まって」
彼女は手を振って凪の顔をじろじろと見始めている。
「どうだろうね。そうなってみないとわかんないよ」
「そうなってもいいと思っているのか聞いているんだ」
「……んー難しい所だけど。それはそれで上手くいきそうだけどね。凪にそんな気持ちがあればだけどさ。でも……凪は千鶴のことが好きなんでしょ?」
……ドクン、ドクン。
ここで返答すれば、彼女は自分を見てくれる。お前が好きだといえば、それで丸く収まる。
だけど、それはやっぱりできない――。
「……ああ」
口元を緩めて頷く。
「そうだ、俺は千鶴ちゃんが好きだ。だからお前と一緒になるようなことはないよ」
「……やっぱり。なによ、訊くだけ訊いておいて、結局そうなんでしょ。あんたの片思いも長いわねぇ」
「……ほっとけ」
……お前を好きで本当によかったよ、千月。
彼女の言葉を聞いて決意を固める。
志遠、すまない。俺にはやっぱりお前のように偽り続けることはできそうにない。
たとえ彼女のためだとしても――。
「……千月」
凪は大きく息を吸った。
「お前に話しておかなければならないことがある。大事な話だ」
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