最終章 『月花美陣』 PART2

  2.


 ……ようやく今日が最終日だ。


 凪は駅のホームで再び気合を入れ直した。今日で千月は元通りになる。それだけに集中すればいい。


 自分が聞いているのは志遠達が乗るはずだった電車の時間前にホームついていることだ。その後、彼女と共に地元に戻るだけでいい。無事に到着すれば任務終了となる。


 今回の作戦の全容を凪自身は全て聞いていない。予め知っていると、彼女を不審に思わせてしまう可能性があるらしい。


 時計を再び見る、11時5分だ。後30分以内には電車が来る。

 ベンチに座って待っていると、千月の姿が見えた。


「久しぶり、元気してた?」


 凪の前には四年前の格好をした千月が立っていた。この頃の千月はポニーテールでいることが多く髪を結い上げている。先ほどまで一緒にいたため、本当に彼女だけ時間が巻き戻ったような錯覚を受ける。


「得しちゃった。新幹線代、二人分で買ったら安かったから」


「俺も助かったよ。帰るあてがなかったからな」


 彼女の中では凪はまだ大学四年生のはずだ。だから実家に戻る切符が有効に使えるのは彼しか残っていないと思っているのだろう。


 まさか隣同士の部屋で寝ていたとは口が裂けてもいえない。


「千鶴ちゃん、元気にしてるかな?」


「もちろん、元気よ」


 千月が微笑んでいる。あどけない笑顔に胸が締め付けられる。


「久しぶりに実家に帰るんだもの。凪にも会いたがってると思うよ」


「俺もお前の彼氏には会ってみたかったけどな」


「だから彼氏じゃないって」


 千月は大きく首を振った。


「私もスイスに行きたかったけど、こればっかりは仕方ないね」


「……ついて行けばよかったのに」


 思ってもない言葉が胸から出てくる。4年の月日が経つというのに、彼女の前で強がってしまう癖は抜けそうにない。


「それは……できないよ。斎場だって人手が足りてないしさ。その間は私が手伝おうって思ってるの」


「……そうか」


 凪は時計を確認した。彼らが事故に遭ったのは11時38分の新幹線だ。この電車に乗りさえすれば目的は達成される。


「そういえば、凪。今日は何月何日の何曜日?」


 千月のいつもの確認だ。これも今日で最後になると思うと、もの寂しくなる。


「今日は2月29日、金曜日だよ」


「……そうだよね」


 そういって千月は微笑んだ。


「やっぱり実家っていいよね。嵐(あらし)さん元気にしてる?」


「ああ、元気にしてみたいだ。でも親父もいい年だからな、親父が動けそうにないんだったら、俺が継ごうと思ってる。昔から考えていたんだ、花屋も悪くないなってさ」


「え、そうなの? 私達、葬儀の仕事には絶対就かないって約束したじゃない? 自分達の子供がかわいそうだからって」


「うん。だけどそれはやっぱり子供の考えだよ」


 本心を告げ彼女の心に語り掛ける。


「子供の目線じゃ死なんて概念はわからない。だが大人になったらわかるだろう? 死は汚いものでもないし怖いものでもない。当たり前のものだ」


「だけど……それは葬儀の仕事を経験しているからわかることでしょ。一般の人はそうは思わないと思う」


「他人の眼がそんなに気になるか?」


「うーん、そうでもないね。両親がいたから今の私がいるんだし、嫌ってはいないよ。凪のいう通り、当たり前のことなんだから」


「そうだろう。どんな仕事にも裏表がある。ようは好きになれるかどうかだ。俺は嫌いじゃない。親父のことは大嫌いだけどね」


 そういうと千月は小さく笑った。


「……そっか。そうなんだ。凪はそんな風に考えていたんだ」


 彼女は哀愁を漂わせながらこめかみの辺りの髪を耳に掻き上げた。


「私も頑張らなくちゃ。凪に負けてられないよ」


 ホームから通達が漏れる。まもなく博多行きの新幹線が到着するようだ。


 凪は目の端で千月を盗み見た。彼女は母親の形見である機械式の腕時計を見ている。本物は事故で壊れてしまったが志遠が新しく作り直し、裏蓋にある『花天月地』の文字も復元に成功している。


「電車が来たみたいだよ、さあ早く乗ろう」


 千月に引っ張られて凪は電車に乗り込み、窓側に押し込まれた。自分が千月を押し込もうと思っていたので面食らってしまう。だがこれで一応目的は果たしたことになる。


 心臓の高鳴りを抑えながら千月を見る。特に変わった様子はないようだ。


「……本当に久しぶりね。こうやって凪と電車に乗るなんて」


「そうだな……」


 夢にまで見た千月とのやりとり。今、自分の隣には千月がいる。幼馴染の千月が目の前にいる。それだけで心が高鳴っていく。


「実家に帰ったら、色々また覚え直さなきゃいけないよ。本格的にディレクターの資格も取らないといけないし、やることはたくさんあるなぁ」


「いいじゃないか。時間はたっぷりある。彼氏が戻ってくるまで4年もあるんだろう?」


「志遠のこと? だから彼氏じゃないって。彼にはスイスに彼女がいるのよ。私達はただの友達だよ」


「ええっ? スイスに彼女がいる?」 


 凪は目を開いて千月を見た。彼女の顔に嘘はない。


 そんなはずはない。志遠の台本だと千月は今日から彼が戻ってくる間まで斎場で頑張ろうと考えていたはずだ。彼と共に時計店を目指す夢が。そのための出戻り期間だ。


「どういうことだ。じゃあ婚約は延期になったのか?」


「婚約? 何のこと? 凪、結婚するの?」


 千月は目を丸くしてこっちを見ている。


「お前のことだよ。お前はあいつの帰りを待つために実家に行くんだろう?」


「違うよ。私はお父さんの跡を継ぐために戻るんだよ」


「え?」


「……それに志遠はもう戻ってこないよ」


 千月は凪の顔を見ながらはっきりと告げた。


「彼はスイスで時計技師として永住するみたいだから、日本にはもう帰ってこないのよ」

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