??? PART2

  2.


「そうかそうか、お前は千月の彼氏だといいたいんだな」


 男は笑みを崩さずにいった。


「なるほどなるほど。久しぶりに目を覚ましたから大分混乱しているようだな……大丈夫、ここは病院だ。お前は助かったんだ、安心していい」


 いきなりこんなことをいっても理解して貰えるはずがない。軽く溜息をつきながら事情を話すことにする。


「いきなり信用してくれとはいわない。まずは順に話していこう」


 簡潔な説明を終えると、凪は眉根を寄せた。


「……待て待て。お前が志遠だとすると、じゃあ千月はどこにいったんだ?」


「だからこの体の中だ」


「んん? ちょっと待ってくれ。冗談でいっているだけだよな?」


「冗談でこんなことはいわない。君とは初対面だが僕は冗談が苦手だ。人を笑わせるユーモアなどない」


「……少し時間をくれないか」


 男は唸り声を上げながら頭を捻っていた。そのまま数分立つと、近くにあった湯気の立たなくなったお茶を啜り始めた。


「仮にだ。仮にお前がそのフィアンセだとする。それでお前はどうしたいんだ」


「千月のせいではない、ということを伝えたい。彼女は見た目に反して自分を追い込むタイプだからな。僕の命を奪ってしまったと考えたのだろう」


「なるほど……」


 男はカップを持ったまま頷いた。だがその手は未だ震えている。


「しかしだ。もしお前がいう通りに千月の意識が戻ったとする。それで俺が千月に彼氏は気にすんなっていってたよといって納得すると思うか?」


 ……確かに。


 彼女に口頭で伝えて納得するようなら、そもそもこんな現象は起きていない。


 ではどうすればいいのだろうか。


「……質問をしたい。君が彼氏だとしたらどうする? 僕が志遠だと証明する方法を思いつかない。だが千月には何としてでも伝えないといけない。お願いだ、一緒に考えてくれ」


「うーん、そうだなぁ……。そんなことをいきなりいわれてもなぁ。そうだ、しらを切るというのはどうだ?」


 意味がわからない。志遠が黙っていると、男は細々と語り始めた。


「千月にそんなことはなかったよ、と思わせるんだよ。列車の事故は起きなかったとするのはどうだろう?」


「それは無理だ。千月の父親はその日に亡くなっている。それに僕はどうする?」


「父親が死んだのは別の日にするんだよ。お前は……その日、別の場所にいたとするのはどうだ?」


 馬鹿げている。いかにも穴だらけの方法だ。そんな方法をとればふとした瞬間にばれてしまう。彼女を取り囲む人までは騙せないからだ。


 しかし面白い方法だとも思う。彼女を騙すという方向性は理を得ているような気がする。


 後は彼のいう方法を組み替えて考えてみれば――。


「……おい」


 男が困惑した顔を見せながら訊いてきた。


「お前は本当に志遠なのか?」


「ああ、そうだよ」


「おいおい……マジかよ……」


 男は両手を頭にやった。懸命にドアを眺めながら口を尖らせる。


「頼むよ、これから千鶴ちゃんが来るんだ。なんといえばいいんだ」


「それこそ千月を演じるさ。何もいわずにいてくれていい。千鶴ちゃんにはこのことをいうつもりはない」


「どうして?」


「僕が志遠だとばれたら困るからだ。千月を騙すためには千鶴ちゃんから騙さなきゃならない」


「今、騙すのは無理だといったのはお前の方だろう?」


「全部なかったことにするのは無理だ。だが一部を変えることはできるかもしれない」


「一部? どこを変えるというんだ?」


「千月が自分のせいだと感じている所をさ」


 唇を舐めて続ける。


「彼女は自分のせいで列車に乗り遅れたと思っている。だがその意識を時計に背負わせてみるのはどうかと思っているんだ」


 乗り遅れたのは彼女のせいではなかったと思わせればいい。予定していた列車に乗れなかったのは別の要因、例えば時計のせいだとすれば罪の意識もなくなるのではないだろうか?


 しかもその時計は彼女のものではなく、自分の時計だったとすれば――。


「できるのか、そんなこと」


「わからない。今はこの考えしか浮かばない」


「……それこそ無理な話じゃないか。どうやって過去を変えるんだよ。時を戻すことができるのなら別だけどさ、できるわけないだろ」


 時を戻す?


 ――カクン。カクン。


 頭の中で小さな歯車が動き始める。その歯車が何を表しているのかはわからないが、ただ自分の使命がうっすらと見えてくるような気配を感じる。


「とりあえず、お前が志遠だということは認めてやるよ。千月ならそんなことは考えないだろうしな」


「本当に信じてくれるのか?」


「……ああ」


 男は力無く笑った。その表情には哀愁すら漂っている。


「お前は千月じゃない。それだけはわかるよ。わかりたくないけど」


「ありがとう……、君の名は?」


緑纏凪ろくまと なぎだ。礼をいっている場合じゃない。もうすぐ千鶴ちゃんが来るからな、気をつけろよ」


 千月は妹と仲がいい。お互い離れていても連絡を頻繁に取り合う仲だったのだ。気づかないはずがない。


「とりあえずお前はまだ話さない方がいいだろう。意識がはっきりしてないといっておけばいい。それに……恋人を失っているんだ。いくら姉妹といっても初日から根掘り歯堀り訊かねぇよ」


「……そうだな。僕はとりあえず無言で通そう」


「あーあ、面倒なことに巻き込まれちまったなぁ……」


「すまない。君だけが頼りなんだ。頼む」


「……わかってるよ。その代わり、一切の隠し事はなしで頼むよ。俺も疑わないしお前も全力で頼ってくれていい」


「……ああ。ありがとう、ナギ。まずは……自分の足で動けるようになることだな」


 足を動かそうともがいてみる。だがやはり足は強張っており動かすことはできない。きっと筋肉が硬直しきっているのだろう。


「まあ、仕方ないだろう。じきによくなるさ。ぼちぼちやっていこうや」


 そういって凪は身を翻(ひるがえ)し大きく伸びをした。


 その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。

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