??? PART3
3.
2008年12月10日。
意識を取り戻してから一週間が経とうとしている。
今は黄坂家で療養しており、食事も自分でとれるようになった。何より病院から抜け出せたのは大きい、千鶴の監視が和らいでいるからだ。
今の日常は千鶴を仕事に見送った後、家事をしながら千月の意識を取り戻す方法を考えている。
「おーい、開けてくれ」
コンコンコンと三回のノックが聞こえる。凪と決めた合図だ。扉を開けると、彼は身を強張らせながら入って来た。
「ここは天国だな。ちゃんと暖房もついているし、暖かい飲み物も出てくる」
「君の店にだって暖房くらいあるだろう」
そういうと凪は首を振った。
「花が弱っちまうから、暖房は炊けないんだよ。どうだ、最近変わりはないか?」
もちろん体の調子がいいかという話ではなく千月と変わっていないかということだ。彼女の意識は出て来ていないので首を振る。
「そうか、体調の方は?」
「順調に回復してるよ」
「そうか。そいつはよかった。それで前回の話の続きだけど。、作戦の方も順調にいってるのか?」
「ああ、それなりに道筋は立ってきているよ」
凪のためにメモ用紙を用意する。
「目的は変わっていない。前話した通り二つだ。一つは千月の意識を完全に取り戻すこと。もう一つは事故を彼女のせいではなかったと思わせることだ。この二つを完璧に実行することが今回の作戦だ」
「そうだな。けど前にも話した通り、中々一筋縄じゃいかないよなぁ」
「ああ。だからこそ君の協力が必要になる。全ては千月の意識がこの体に残っているという前提で話を進めさせて貰う」
この体に千月の意識が残っているのであれば、彼女の意識が戻った時、それは志遠と同じ状態にあるということだ。
自分が目を覚ました時、それがいつなのかわからない。
「初めて千月の意識が目覚めた場合、彼女には月と日にちだけ教えることにする。年は教えてはいけない」
千月は意識を取り戻したとしても事故当日を覚えてはいないだろう。意識を閉ざしている場合、防衛本能として原因を忘れる傾向にあるからだ。
そこに漬け込むチャンスが訪れる。
「なぜ年を教えないんだ?」
「彼女には4年後に飛んでもらうからさ。今年中に変われば2012年ということになるな」
暖かい紅茶を彼に差し出して続ける。
「そこから時間を巻き戻して、2008年の2月29日をもう一度、体験して貰う。僕達が予定していた新幹線に乗って安全だったと思わせるんだ」
「……ちょっと待ってくれ。千月の意識を未来に飛ばす? そして時間を巻き戻して事故当日に戻すだと? 無理だろ、そんなこと」
「理論上では無理じゃない。簡単でもないがな」
「確かに四年後だと思わせるのはできるのかもしれないよ。その一瞬だけならな。だけど時間を巻き戻すのは不可能だろう」
未来にいる、ということは口だけでも伝えることができる。寝ている時に時間の感覚はないからだ。なので四年後の世界だと思わせるのはたやすい。
だが時間が逆流するというのは――。
「どうして時を巻き戻すのは難しいと思う?」
「……そりゃ時間が巻き戻るっていう感覚を知らないからだよ。誰だって時間は前に進むものだって知ってる。タイムマシンで過去にいったって、その時点から時間は進むしかない。戻ることはないよ」
「そうだな、その通りだ。では話を少しだけ変えよう。彼女の意識を取り戻すためにはどうしたらいい?」
「失敗を塗りつぶすっていうことになったんだろう? 千月のせいじゃなかったという構図を作るんだ」
「そうだ、それはどうやったら解決する?」
「時が戻れば……という話になってるよな」
「ああ。そうだ。厳密にいえば時を戻すんじゃない。時が戻ったと錯覚させるというだけだ」
「……錯覚?」
「ああ。君が最初いった通り、彼女を騙すんだ」
時を戻す。それは流れを反対側に変えるということだ。
時計の針でいえば左回りを右回りに、川の流れでいえば下流から上流に、電流でいえばマイナスからプラスに。
流れを逆に変えなければならない。
「そのためにはまず『時の反対側』を知らなければならない。君は『時の反対側』には何が来ると思う?」
「……『時の反対側』?」
凪は乗り出した体を戻して考え始めた。
「……一瞬、とかかな? 時っていうのは永遠という意味を含んでいる。だから永遠の反対側の言葉が来てもいいんじゃないか」
「なるほど。面白い意見だ。だが一瞬という意味も時の中に含むこともできると思うのだが、どうかな」
一瞬という言葉はその瞬間だけを切り取った時の切れ端のようなものだ。それは時の一部ともいいかえられる。つまり反対側にはなりえない。
「ああ、確かに。一瞬っていう言葉自体が時を含む言葉になるなぁ。お前はどう考えているんだ?」
「僕の意見は停止だ」
志遠はビデオの再生ボタンを指差した。そこには再生ボタンと同時に停止ボタンがある。
「この世界は常に進んでいる。止まることがないんだ。つまり彼女の時を停止させればいい」
「千月の時を止める? それこそどうやるんだ? 時を巻き戻すことよりも難しいと思うぞ」
「こっちの方が簡単だ。彼女に夢の世界にいる、と錯覚させるんだ」
時が止まっている世界、それは現実にはないものだ。つまり夢の世界にいると感じさせるしかない。
「……あいつに幻を見せようということか。現実の世界じゃないと思わせて時間が巻き戻っている感覚を与えるようとしているのか?」
「まあ、そういうことだ」
カップをテーブルに置いて頷く。
「この作戦は千月の意識が戻った時が一番重要になる。彼女の意識がある日を全て逆に繋げていくんだ。そうすれば彼女は時を遡(さかのぼ)っていると錯覚できると思う」
彼女の意識があった日を逆時系列で繋げていく。意識を取り戻したのが12月とすれば、次に意識を取り戻すのは11月だと錯覚させる。そうすれば時が巻き戻っていると感じるだろう。
「錯覚か、なるほど。月下美人(げっかびじん)の花を昼に咲かせるようなものか」
「ゲッカビジン?」
「ああ、そういう名前のサボテンがあって、その花は夜にしか咲かないんだ。だけど夜に光を当てていると、昼に咲かせることができるんだよ。光を使えばサボテンの体内時計を逆に変えることができるからね」
「まさしくそれだ」
志遠は指を鳴らして同意した。
「僕たちは彼女の体内時計を変えなければならない。太陽光のように彼女の時間をコントロールできる手段を見つければ、それが可能になる」
「中々難しい作戦だなぁ。だけどもしこれが成功すれば」
「ああ、彼女はもう一度同じ日を体験できるというわけだ」
納得がいったのか凪は頷いたまま黙り込んだ。
「確かにお前の話はなんとなくわかったよ。だけど千月は植物じゃなくて人間だぜ? 人の時間を逆になんて変えられるものかな?」
「錯覚を起こすのは人間の方が簡単だよ」
紅茶を飲み干して答える。
「暦月が順序良く続けば前に進んでいるように感じてしまうだろう? 1月から2月、3月へと進んでいけば時間が経過していると思うのが当然だ。さらにいえば春、夏、秋、冬に向けて季節が変われば一段と時の流れを感じてしまうだろう、日本人であるならば」
彼は瞳を大きく開きながらモニターを覗き見た。
「まして季節を巡るたびに、一年毎、巻き戻っていたなんて思わないだろうさ」
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