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第
5
章
花
纏
月
千
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第
0
章
千
月
纏
花
千の月日を花は纏う。
たとえ、魂だけの存在になっても――。
第零章 『
第0章 『
1.
担当の医者が現れ診断を開始する。
特に異常は見当たらないらしく、医者は目を梟(ふくろう)のように大きく開けて彼の目を何度も覗く。その視線にたじろぎながらも言葉を飲み込む。
焦りや不安が体を蝕み何かに侵食されていく。はたして自分の肉体はどこにいったのか。もし肉体が存在するというのであれば、そこには誰の意識があるのか?
推測はある。ここに自分の意識があるのなら自分の体に千月の意識があるのだろう。まずは自分の体がどこにあるかを知らなくてはいけない。
しかしそれを確認する相手がいない。千鶴とは面識があるが、姉の体に男の人格が移っていると知られるわけにはいかない。突拍子のない話をするのであれば関わりのない第三者がいいだろう。
「お姉ちゃん、ちょっとだけ出てくるから。すぐ戻ってくるからね」
……一体、自分はどれくらい眠っていたのだろう。
自分の体ではないという不安よりも今がいつなのかという不安の方が大きいように感じる。自分の意識が一日以上飛んでいるだけでこんなにも焦りを覚えてしまう。これほどまで時間に縛られているとは考えたこともなかった。
「よう、元気そうだな。なんだよ、そんなに睨むなよ。俺だよ、俺」
……誰だよ、お前は。
心の中で突っ込みを入れながら、男に警戒の視線を送る。
「ああ、そうか。腹が減ってるのか。点滴ばかりじゃ味気ないよな。よ、よし、今林檎を剥いてやろう」
……千月の知り合いなのだろうか。
気さくに話しかけてくる所を見ると、噂の幼馴染なのかもしれない。
――器用でお調子者の幼馴染がいるの。
全ての皮が剥き終わった後、男は用意しておいた金鑢(かねやすり)で林檎を擦り始めた。
「このままじゃ食べづらいだろうから、摩り下ろしてやるよ。本当に手間が掛かる奴だな」
ぐちぐちと文句を告げながら擦り終えた後、彼は器に中身を入れ小さなスプーンと共に手渡してきた。
「ほい。久しぶりに食べるんだからな、ちゃんとよく噛んでから食べろよ」
……久しぶりというのはどれくらいの時間が経っているのだろう。
食欲などないが、とりあえず一口食べてみなければいけない流れだ。
「んん、おいしい」
自分の声に改めてびっくりする。やはり千月の声だ。
一口含むと口から唾液が溢れるようにしてでてきた。胃がもやもやと動き出すような感触を受ける。この感触は煙草で胃を壊して絶食していた時に近い感じだ。
「おっ食べれるか。これなら治りは早そうだな」
彼の満面の笑みを見て心を決める。彼になら、話せるかもしれない。
「……すまない。質問がある。今は何月なんだ?」
「12月だ。正確にいうなら12月3日だな。もう師走だよ」
彼の言葉に頬が強張る。自分の意識が遠のいていく。これが夢だという意識すら霞んでいく。
自分の意識があったのは2月まで。ということはすでに9ヶ月以上経っていることになる。もしかするとそれ以上かもしれない。
「……大変だったんだぜ。お前が起きるまでは」
彼は肩を落としながらいった。
「始めは東京の病院にいたんだ。異常がないからすぐに意識が戻るっていわれてな。だけどお前の意識はずっと戻らなくてさ。千鶴ちゃんはずっと往復してたんだぞ」
「ということはここは福岡なのか」
「ああ、そうだ」
「どうして僕は病院に運ばれたんだ? なあ、教えてくれ。まったく記憶がないんだ」
「教えてもいいんだけどな……俺の口からいうのは気が引けるんだよなぁ……」
何とか自力で思い出してくれ、そんな風な口調で彼はぶっきらぼうにいった。
「お願いだ。電車に乗った記憶まではあるんだ」
「そうか。そこまではあるのか……」
凪は意を決するように大きく深呼吸をした。そして重たい口調で話し始めた。
「……事故だよ。列車で事故が起こったんだ。お前は実家に戻るために列車に乗っていた」
我に返ったかのように記憶を取り戻す。あの日は2008年2月29日で間違いない。数少ない彼女の正式な誕生日だったからだ。彼女の父親に会うために福岡へ向かっている途中だったのだ。
その途中で意識がなくなっている。
「……僕の体は? いや、志遠は……志遠はどうなったの?」
不自然な口調になったが、男は意に介さず立ち止まったままだった。重い顔を崩さず視線を垂らしている。
「残念だが……」
それ以上はいえない。男の傾いた瞳がそう物語っていた。
「……そうか、やっぱり」
どうやら自分の体はこの世にはないらしい。考えていたことではあったが事実であると告げられるとなんともいいようのない気持ちになってしまう。
ではこの人格は一体なんなのだろう。阿紫花志遠としての記憶は鮮明にある。幼い頃の記憶はおぼろげだが確かに時の流れに沿って記憶を辿ることはできる。
しかし千月としての記憶は一切ない。彼女から訊いた話以外には全くわからないのだ。このいいようのない水と油のような不一致感が千月ではないといっている。
自分の人格は間違いなく志遠だ。
「ごめんな、いきなりこんな話をして……」
男は近くにある椅子に座り背を向けた。
「だけど一つだけ知っていて欲しいことがある。お前の彼氏はお前を守って死んだんだ。お前がどこまで意識があったのかは知らないけど、これだけは確かなことだ」
……そうだ、確かあの時――。
急ブレーキを踏んだ電車が一瞬にして脱線したのだ。車体は大きく傾き、車内は大型の乾燥機にでもかけられたかのように大回転を繰り返していた。
体が咄嗟に千月を包んでいた。理屈ではなかった。ただ無意識のうちにそういう体制になっていたのだ。
「まあその話は今度にしよう。今はお前の体を大事にしなくちゃいけない」
「……ちょっと待ってくれ」
何かが頭の中で引っ掛かる。開いてはいけない扉のようなものが頭の中に潜んでいる。
「千月の父親は? もしかしてその日に亡くなったんじゃないか?」
「……はぁ。やっぱり俺がいわないといけないのか」
凪は両足に肘をついた後、ゆっくりと頷いた。「そうだよ……。残念ながら……。どうか気を落とさないでくれ」
……なるほど、そういうことか。
千月はきっと意図的に意識を閉ざしているのだろう。新幹線に乗れず、乗り継いだ電車で事故に遭ったため、自分を責めているのだ。特に異常がないのに病院にいるのはそんな経緯があるに違いない。
「いや、構わない。それはいいんだが……」
……一体、彼女の意識はどこにあるのだろう?
考えられる選択肢は二つ。すでになくなっているか、この体に眠っているかだ。可能性とはしては眠っている方が高い。彼女に外傷はないからだ。
もしこの体に眠っているのであれば自分が変わればいい。しかし彼女自らが意識を閉ざしているのであれば、話は変わってくる。入れ替わる方法が見つかったとしても彼女の意識そのものが回復しなければ実行することは不可能だ。
どうすれば彼女の意識を回復させることができるのだろう。
「君を幼馴染だと信用して話がある。千月の意識を取り戻す方法を一緒に考えてくれないか?」
「え? 千月、何をいって……」
「もう一度いう。千月の意識を取り戻すためにどうすればいいのかを一緒に考えて欲しい。僕は千月じゃない」
二回目ははっきりとした口調で告げた。今は正直に話して打開策を考えた方がいい。
自分の意識がいつなくなるかわからないからだ。
「話を聞いて欲しい、大事な話だ。僕は彼女の婚約者だった阿紫花志遠という者だ」
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