長編小説４ 『花纏月千（かてんげっち）』

第四章 風花紲月 PART１４ （完結）

　　１４．

　１１月１１日。

　紅葉に染まった道を歩き、雪奈は緑纏の花屋にいた。

「お、雪奈さん。こんにちは。今日は連れもいるんだね」

「ああ、彼女は旦那の妹さんだ。２人分でお供え用の切花を一対頼む」

「了解、じゃあうんとサービスしちゃおうかな」

　店の中を見ると、目の前に『月運花馮（げつうんかふう）』と書かれた額縁が飾っていた。会社のカレンダーに書かれた四字熟語が頭をよぎる。

「なあ。これはどういう意味があるんだ？」

「月の運は花に頼る、という意味らしいです。花屋は花にしか頼れない、自分で作れないから感謝をしろっていう意味みたいですよ」

　そういって彼は『月雲花風』と書いた。

「そういう意味があるんですね。私はてっきり『風花雪月』という言葉を変えたのかと思いました」

　未橙の連れが横で呟く。

「フウカセツゲツ？」

「ええ。反対からだとそう読めません？　ほら、雪と雲の部分だって雨の部分が同じですし」

「あ、なるほど。そういう考え方もできるなぁ。実はこれを考えたのがじいちゃんなんです。だから正確なことはわからないですね」

　お供え用の花を受け取りながら凪にお金を渡す。

「そういえば千月から聞きましたよ。雪奈さん、もうすぐ仕事を辞めるんですね」

「ああ、やっぱり私にはピアノしかないと思ってね。できる限りのことはやっていこうと思ってる。これからは通院しながらリハビリをしていくよ」

　……あの演奏がもう一度できるのなら、何度だって立ち上がれる。

　演奏を終えた後、一番始めに目についたのは戌飼の驚いた顔だった。だがその表情は一瞬で彼女は涙を浮かべながら、雪奈のピアノを賞賛してくれた。

「それに彼の死の意味は未だわからない。私達で考えていかないといけないからね。そのためにはもう一度、スタートラインに立とうと思ってるよ」

　一か月経ってわかったことは、故人の棺掛けはスノードロップではなく、スノーフレークだということだった。

　スノーフレークの花言葉は『純潔』という意味がある。

　そして棺掛けには『花弔封影（かちょうふうえい）』という言葉が残されていた。

　花鳥諷詠、自然を詠う和歌の心だ。未だ糸口は見つからないが、きっとここに答えがあるだろうと確信できるものがある。

「俺には演奏の善し悪しなんてわからないけどさ、雪奈さんのピアノは人の心を掴むことができると思う」

　凪は真剣な口調で呟いた。雪奈にだけ聞こえるようにだ。

「千月の意識だって変えることができたんだ。雪奈さんのピアノは眠っている人間の意識にだって入り込むことができるんだよ。それだけ感情が籠もっているんだと思う」

「……ありがとう」

「お互い頑張ろう、俺も早く一人で祭壇が挿せるようになるためには練習しなくちゃな」

「仕事は嵐さんについていけば、なんとかなるさ。それより君の場合は早く相手を一人に絞ることだな。で、どっちを選ぶんだい？」

「どっちって？」

「月と鶴だよ」

　真顔でいうと、凪は顔を火照らせながら早口でいった。

「止めて下さいよ、そんな言い方。どっちともそんなんじゃないですよ」

「噂をすれば、ちょうどいい所に花嫁候補が来たじゃないか」

　すらっと細く陶器のように白い女性だ。どことなく薄命な感じを受けるが、芯の強さを兼ね合わせているような気もする。

「……それじゃあ、私達はこれで」

「……はい、ありがとうございます」

　雪奈が立ち去ろうとすると女性は会釈を交わしてきた。それに応じゆっくりと扉を開ける。

「いらっしゃい、千鶴ちゃん」

「こんにちは、凪さん。切花をちょうだい。特別病棟のだから値段は高くても構わないわ」

「了解。そうだな、これとこれと……。この百合は開いてるから、サービスしちゃおう」

「ありがとう。とっても豪華になったわ。ところでさ、さっきのお客さん、ピアニストの……」

「そうだよ。指揮者で有名な未橙六貴（みだい むつたか）さんの奥さんだ」

「そうよね、確か旦那さんが去年、お姉ちゃんと同じ電車に乗って……」

　千鶴は店の外を視線で追いながら声を漏らした。

「それにしても綺麗でかっこいい人ね。凪さん、ああいう人はタイプじゃないの？」