第四章 風花紲月 PART9

  9.


「……未橙先輩? もしかして今、寝てました?」


 隣で戌飼が問いかける。


「いや、寝てないよ。ただぼんやりとしていただけだ」


 手にしていた煙草はすでにフィルターまで燃え尽きている。雪奈は慌てて灰皿で揉み消した。


「本当にこの曲が好きなんですね。せんぱいの締まりのない顔を初めて見ましたよ」


「失礼な奴だな。誰だって仕事が終わればこんな顔になるさ」


「そうですけど。センパイのイメージには合わないですよ」


 そういって戌飼は嬉しそうに微笑んだ。


「仕事の時のセンパイ、何を考えているかわからないんです。感情が表に出ないから、何が好きで何が嫌いかもわかりませんでした」


「ただの仕事の同業者だ。どうしてそこまで知っておく必要がある」


「私は知りたいんです。先輩の過去だって、仕事に関係なくても知りたいです」


彼女の熱い瞳に花織の幻を見る。


だが私の真実を知れば、彼女はきっと私から離れていくだろう。


「……今はまだいえないな。心の整理がついていないんだ。今話すと、明日からの仕事に影響が出てしまう」


「……そうですか。じゃあ整理がついた時に教えて下さい。それまで私、待っていますから」


 二人分の勘定を払った後、雪奈は煙草に火を点けようと箱の中身を探った。だがそこには一本も残っておらず、やせ細った箱だけが残っていた。


「戌飼。すまないが、一本くれないか。さっきのでなくなってしまった。君も吸うんだろう?」


「……すいません。煙草を吸うというのは嘘です。さっきのはセンパイが持っていたものです」


「どうしてそんな嘘をついた?」


「どうしてって。そんなの決まってるじゃないですか」


 戌飼は恥ずかしそうに声を潜めた。


「先輩のことが知りたいからといったじゃないですか」


 駅のホームに辿り着き桃瀬と別れを告げる。いつもは憂鬱になる帰り道だがなぜか心が安らいでいく。


 反対車線を覗くと桃瀬が手を振っていた。月明かりが彼女の表情を蒼く染めている。


「せんぱーい」


 桃瀬が手をメガホン代わりにして大声を上げている。


「そういえばあの棺掛けの花言葉、なんでしたっけー? んーと、えーと。あーくやしいなぁ。なんだったっけなぁ」


「……希望だよ」


 彼女に聞こえないような小さな声で呟く。


「えっ? 何かいいました? 聞こえませんよー」


「いや……何でもない」


 手で合図すると、電子掲示板が音を立てた。どうやら桃瀬の方に列車が来るらしい。


「あっ、そろそろ来るみたいですね。それじゃあまた明日ですー」


 そういって戌飼は腕を大きく振り始めた。それも両手でだ。


 ……まったく、騒がしい奴だ。だけど、嫌いなタイプじゃない。


 雪奈は仏頂面を崩しゆっくりと別れの挨拶を交わした。

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