第四章 風花紲月 PART8
8.
「……何度聴いてもいいですね。特に今日のような夜は格別に」
雪奈が演奏を終えた後、花織は手を叩いて賞賛の声を漏らした。
「ありがとう。けどあそこでは私の弾き方じゃ通用しない。もっと繊細に弾かないといけないんだ。今日は君がいるからアレンジしたけど」
「やっぱり一流の楽団で務めるというのは大変ですよね。一つの音に対しても凄い神経質になっているイメージがありますし」
きっかけは文化祭から一週間後、雪奈の元に
花織の熱烈な推薦を受け、記念受験として承諾することにした所、非常勤として所属が認められることになった。
「もちろん。入った当初は毎日辞めてやるって思っていたけどね」
「そんな、怖がらせないで下さい。それともなんですか? 私が今年受験するのを知っててわざと驚かせているんですか」
「ああ、そうだよ。私だって日々挑戦する方なんだ。これ以上ライバルが増えたら困る。せっかくチャンスを掴んだというのに君が来たら私の居場所がなくなってしまうよ」
そういうと花織は頬を緩めて微笑んだ。その笑顔につられて肩の力が抜けていく。
文化祭の演奏から三年後、雪奈は全日団に所属するピアニストになった。もちろん実力だけでは掴めずに、様々なモノを使って今のポジションにいる。
「忙しくても、今年の文化祭には来て下さいよ」
「あいにく約束はできそうにないな。今日だって君が来るとわかっていたから、何とか定時で上がらせて貰ったんだ」
「そうですよね……。そういえば、またグループ名を変えたんです。先輩がいなくなってしまったから……」
そういって花織は『
「糸に世と書いてキズナと読むんです。この世は見えない糸で繋がっているでしょう? 目に見えなくても先輩とは繋がっていたいんです」
彼女の言葉に耳を傾けながら、月の光に身を委ねる。
――君のピアノは本当に素晴らしい。よかったら、僕の隣で永遠に奏でてくれないか?
旦那の声が緩やかに現実に戻していく。
――僕には時間がない。だから契約と取ってもいい。君に看取られたいんだ。
彼の病に寄り添いながら、ピアニストになる。それが花織と対等に付き合える条件だと思っていた。才能がない者には代償が必要だ。
――いいんだよ、僕のことを愛さなくて。君に好きな人がいることは知っているから。
旦那は圭吾のように体を求めてこなかった。彼の言い分に甘え、結局、私は家に花織を呼んでしまっている。
「先輩……本当に会いたかったです」
花織が一歩ずつ近づいてくると、彼の声は消えていく。彼女に認められたいがために、ピアニストになった自分が鏡に映り残像を残しながら消えていく。
「……先輩、キスしてもいいですか?」
「……人妻で構わなければ」
花織の小さな舌が私の体に入っていく。緩やかに温度が上がり、彼女の軽い体重が私を確実に縛り付けていく。
「旦那さんには……本当に何も感じないんですか?」
「ああ、今でも私の気持ちは君にしか動かないよ」
「……嘘でも嬉しいです」
旦那と結婚しても、彼の愛を受けても、何も生まれなかった。彼の立場を利用しているだけで、私は彼に特別な感情を抱くことはなかった。
花織の体が私を塗り替えていく。罪の意識からか、体が震えながら冷たい温度で満たされていく。
「……君の方こそ大丈夫なのか? 圭吾君の両親とも顔を合わせているのだろう?」
「先輩にはいわなくてもわかりますよね?」
花織の目が鈍く光る。その美しい瞳で見られたら私の時間は止まってしまう。誰にも感じることができなかった特別な感情を彼女となら、共有できる。
私達の関係は男女のものより脆い。
繋がる部分が薄く、障害が大きすぎるからだ。常に自分と花織の感情を疑いながら、体を合わせお互いを確かめ合う。
人とは違うということに苛まれながら――。
「……風花(かざはな)は『月の光』を聞いている限り、本物の雪と
繋ぎとめるものは月の光のように、か細いものしかない。いつ壊れるかわからない状態で私達は、不安を重ねながら愛し合っていく。
「……ああ、今夜だけは必ず君と一緒にいるよ。だから泣かないで」
月の光を浴びながら、私は蒼白く染まった花織の体を熱くなぞっていく。
……君のことを愛している。いつ消えるかわからないけど、この気持ちは本物だよ。
花織の涙を拭い、一瞬の楽園に身を委ねる。いつかは一つになれることを願いながら――。
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