第四章 風花紲月 PART3

  3.


「オーライオーライ。はい、ストップです」


 戌飼と共に故人が眠っている和室へホースを流す。


 雪奈が和室の扉を開けると共に遺族が視線を寄せてきた。


「失礼致します。今から故人様の体を清めさせて頂きます」


 頭を下げて周りを一瞥すると、遺族がぞろぞろと故人の前から離れていく。その中に想定した相手が紛れており、不意に体の節々が硬直し始めていく。


「……先輩、どうか彼をよろしくお願いしますね」


 ……やはり、君なのか――。


 予感は的中したが、やることに変わりはない。彼女の視線に構わず故人を着替え先に移していく。


 男性の体の痛みは大きい。顔から足にかけて大部分が黒ずんでおり肌色を残している所は少ない。きっと死後から日数が経っているのだろう。


 だが彼だとわかる要所はいくつもある。顔のほくろの位置、胸の辺りにある傷、華奢な腰周り、間違いなく彼が圭吾で間違いない。


 湯灌が終わり、棺に入れる作業に入ると、中酉花織が棺に掛ける布を用意してきた。


「これを掛けて上げてくれませんか。彼が好きだった花を選んだんです」


「綺麗ですね、なんという花なんです?」


 戌飼が近づいてきて花織に訊く。


「スノードロップといいます。冬に咲く花なんですよ」


「へぇ、可愛い名前ですねぇ」


 ――先輩、この小さい花の名前、知ってます?


 大学時代の花織の声が再び自分の頭の中だけで繰り返される。


 ――このお花、花が垂れてるから『初恋の溜息』っていう花言葉なんですよ。可愛くないですか?


 ……ここから早く離れたい。


 だが戌飼が話に夢中になっており身動きが取れない。


「それにですね、この花には二つの花言葉があるんですよ」


「へぇ、どんな意味があるんです?」


 彼女を置いて部屋を出ようとすると、和室の襖が勢いよく開いた。どうやら他の弔い客が来たようだ。


「それでは私達はこれで。戌飼、行くよ」


 襖を閉める際に花織の視線が突き刺さる。その瞳にはうっすらと狼狽ろうばいが浮かんでいた。


 和室を出ると案の定、戌飼から質問を受けた。


「未橙先輩。さっきの喪主の方、先輩のこと先輩っていってませんでした? 知り合いなんです?」


「いいや、知らないよ。聞き間違いだろう」


「……そうですか。それにしても綺麗な方でしたね、若いですし、また出会いのチャンスがあるかもしれませんね」


 ……あるわけがない。


 心の中で呟く。彼女は私のために、彼と偽装結婚したのだから。


 ……それをいったら私も同じか。


 旦那の命に限界があることを知って結婚に踏み切った。


 それは彼よりも愛した人物がいたからこその選択だった――。 


「 ……喉が乾いたな。事務所に行ったら、一服いれよう」


「え、本当ですか? やった、得しちゃった」


 飲み物一つで微笑む戌飼が可愛らしい。その純粋な笑みにはまだ幼さが残っている。


「担当者に報告してからだ。先に事務所に行くよ」


「もちろん、わかってますって」


 そういいながらも戌飼の足取りは軽い。斎場の中だというのにスキップをするかのようにのびのびと歩いている。


「事務所は一階ですよね、早く行きましょう。先輩」


 ――早く部室に行きましょうよ、先輩。


 再び花織の影が見える。


 ――本物の雪にはなれなくても、幻の雪にはなれます。先輩の雪で私の時間を止めて下さい。先輩の唇で……私の心を溶かして下さい。


 ……花織、圭吾は本当に自殺なのか?


 彼女との記憶が鮮明に蘇っていく。雪奈は大学時代の彼らとの思い出に遡ることにした。

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