第25話

中庭のベンチに座り、ボーッと空を見上げていた時だった。

「珠姫!珠姫、どこだ?」

懐かしい声がした。

「珠姫!いたら、返事をしてくれ!」

私はそれに、応える事ができなかった。

目を閉じて、彼の声が小さくなる事を待った。


「珠姫!」

でも予想は外れて、目の前で息を切らした音が、聞こえた。

「……見つけた。」

私は目を開けた。

「賢人……」

「良人から、全部話は聞いた。」

私は何も言わずに、唇を噛み締めた。

「辛い思いをさせてごめん。僕が全部、責任を取るから!」

「何の責任?」

「珠姫……」

「もう、遅いのよ!何もかも、全て……」

私は立ち上がって、賢人から歩き去った。


「遅くない、珠姫。今から、始めればいいじゃないか。」

「無理よ。私は良人の婚約者だった。それが本当の記憶なの!変えられない事実なの!!」

すると賢人は、私の目の前に走って来た。


「そんな記憶、全部全部、捨ててしまえ!!」


はぁはぁと、息を切らした賢人に、目を奪われた。

「過去に囚われるから、目の前の大事な事に、気がつかないんだ。」

「賢人……」

「何度でも言う。僕は、珠姫が好きだ。家族を捨ててでも……珠姫と一緒に……いたい。」

賢人は涙を浮かべながら、私に近づいて来た。

「珠姫は?」

そう聞くと、賢人は私を優しく、抱き寄せた。

「珠姫の気持ち、聞かせて。」

「私は……」

賢人の腕に、そっと手を置いた。

「あなたがいなかったら、事故から立ち直れなかった。」


記憶が無くて、辛かった時も。

身寄りがなくて、一人だと泣いた時も。

いつも、賢人が側にいてくれた。


「記憶を失ったからじゃない。私は……」

「珠姫……」

「賢人の事が、好き。」

そして、私達はしばらくの間、強く強く、お互いを抱き締め合った。


それは 記憶の中に眠る

偶然と言う名の

記憶だったのかもしれない


ー Fin ー

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶の中の記憶 日下奈緒 @nao-kusaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ