本題

この旅が終わったら……


 自転車を漕いで山を登るのは大変だった。まさかあいつはこんな思いで毎日帰っていたのか。今更そんなことに気づくなんて……いや、初めから知っていたことだったか。確か、最初に一緒に帰った日にそんな話をした気がする。それでも、彼女が俺に構う理由って、何だったんだろう……。そんなことが、この手紙に書かれているんだろうか?

 健堂剣との試合の後、俺は一つの封筒を受け取った。


「……それから、叶絵ちゃんが自転車持っていって良いってさ。多分あれは無事だからって」


 それを聞いて、一先ず叶絵の家に戻ってきた。家と言っても、倒壊して、跡しか残っていない訳だけど。

 何度来ても、ここに来ると胸が痛くなった。そして、最初に会った日を思い出す。

 それは何故だろう。

 こんな、木片と土砂が混ざりあったものを見て、何故そんなことを思い出さなければならないんだろうか。

 あれから雨は降っていない。

 相星家跡は、あの日から何も変わってなどいなかった。


「…………」


 ああ、そういえば、俺が次の日に掘り返したから、その小さい穴だけが、あれから変わってしまったことか。

 あの土砂災害の被害者は、叶絵含めて十世帯五十人以上。幸いにも死者は出なかった。それが、何よりの幸運だった。

 自転車はすぐに見つかった。というか、この前来た時に位置は把握していたのだ。白いママチャリは、荷台とカゴに土砂が積もって、タイヤもおよそ半分が土砂に埋もれていた。


「……これ、ちゃんと動くのかよ」


 ブレーキとか壊れているんじゃないだろうか。引っ張り出す時にチェーンも外れそうだ。

 でも、小まめに整備すればしばらくはもつだろう。

 土に塗れた自転車はとてつもなく重くて、一旦横にして土を全部取り除き、ようやく引っ張り出せた。

 ……うん、全体的に損傷といえる損傷はない。チェーンは手で直せる範囲だし、ブレーキは少しゆるいけど、数ヶ月使っていたらこれくらいにはなる。特段修理の必要はない。全体的に汚れていること以外は、オールオッケーだ。

 錆びついたサドルは接合部分に土が入って上手く外れなかったが、一度引っこ抜けばそれきりだ。少し高めにして、固定する。軽く乗ってみた感じ、悪くはない。リュックをカゴに入れて、そのまま坂道を登った。

 この先で、希が待っている。

 日はとんでもないスピードで上がってきている。もう人が動き始める時間だ。特に田舎の朝は早いのだから。

 じいちゃんの……今となってはばあちゃんの家を少し越えた当たりで、一度自転車を止めた。そういえば、校舎の屋上に上がるのを忘れていた。

 だから、これがこの町を去る最後の挨拶になるわけか。

 ここからは振り返れない。

 朝の町を太陽が近い場所から見つめている。


 ありがとう。

 また帰ってくる――


「それ、ちょっと恥ずかしくないですか?」

「だっ?」

「だ? じゃないですよ。こっちは暑い中待ってるんだから、早く来てくださいよ」


 俺より高い位置で希は仁王立ちしていた。

 変な汗が出た。


「あれですか? さよならは言わないぜ。みたいな感じのかっちょいいムードですか?」

「お前馬鹿にしてるだろ」

「ていうか、お別れ的なのなら昨日のあのシーンにしてくださいよ。具体的にはシーン18で終わらせてくださいよ。まさか似た流れを二回もするなんて思いませんでした。皆さんもう次のシーンには旅が始まってるものだと思ってるはずですよ」

「だから皆さんってなんだ、変なこと言うな」

「今だって、私が来なかったら総集編みたいな流れになるところだったじゃないですか」

「わかったからメタネタはこの辺にしよう……」

「全く……未練がましいとは思いませんか? いったい何回お別れするんですか。今全米がとっとと旅に出ろって思ってますよ。時間があるのかないのかはっきりしてほしいものです」

「テスト勉強みたいなもんじゃねーの? 年末になったら焦り始めるってペース配分になってるのでは」

「年末じゃなくて終末だと思うのですが……」


 しゃれでも笑い事にもならなかった。妙な空気が流れる。


「まあ……じいちゃんもまだ猶予があったから、今になって言ったんだろ」

「いやいや、一刻を争う自体ですよ? 世界崩壊が懸かっているんですよ? 今だってこんなところで油を撒いている暇はないんです」

「大火事にするつもりか。……冗談はさておき、実際どれくらいかかりそうなもんなんだよ」

「わかりません。場合によっては何年もかかるかもしれませんし」

「何年もって……」

「見つけようとして見つかるものじゃないんですよ。『深淵』ってやつは」

「じゃあ、なんだって言うんだよ」

「行き着いた先が『深淵』なんですよ。そもそも、一説によると『深淵』は物理的なこの世界の端ではないというふうにも言われてますし」

「物理的じゃない……精神世界みたいなものか」

「それともまた別らしいです。異世界とか、異空間的な」

「え、このお話って異世界ものだったのか?」

「そんなこと言い出すとファンタジー要素のある話そのものが異世界もの……ってメタネタやめようって言ったの隆じゃないですか」


 ああ、ちょっと楽しくなってた。


「異世界ねえ……」

「異世界、だから、ふと気づいた時にそこにいるって感じらしいです」

「なんか、やっぱり怖いよなあ。まるで神隠しじゃないか」

「それもあながち間違いではないのかもしれませんね。神とか神獣の力が携わっているとも言われてますから」


 しかし、考えれば考えるほど突飛な世界だ。俺には心霊的なものにしか到底思えないものだ。

 俺たちは山道を歩く。今叶絵の自転車には俺のリュックと希のカバンが乗っている。俺は主に着替えだけ、希も似たようなものだろう。ただ、大きめではあるがショルダーバッグだ。そんな荷物で足りるんだろうか。無粋なことは聞かないが。


「なあ、お前、実際そういうの信じてるのか?」

「どういうことです?」

「いや、俺の中では幽霊と一緒でさ、神獣なんて言われてもちょっとよくわからないんだ。自分の見たものしか信じられないっていうかさ」

「うーん。そう言われても、私はそういう教育を施されたみたいですから」


 やはり、彼女の過去は曖昧なものだ。

 彼女曰く、家族も、産まれも、自分が何者なのかもわからない。そのくせ、自分の使命はちゃっかり覚えている。それに関する教育も。部分的な記憶喪失らしい。

 それについても、結構ナイーブな話題だ。


「隆はどうですか?」

「え?」

「だから、隆は幽霊とかは信じないんですか?」

「うん、信じていない。でも、いてもいいかなとは思う」

「隆って、どっち付かずですよね」

「中立派なんだよ……それに、ちょっと突飛なくらいが、そういうものがあるのかなってくらいが人生楽しいかなって」

「まあ……そういうのはわからないでもないです。でも」


 彼女はカゴに入っていた麦わら帽子を被った。似合わない。


「でも、『深淵』は確かにあります」


 ひらひらのワンピース姿の少女は、自転車の少し前に出た。その先は下り坂になっていた。


「……なあ、希」

「なんです?」

「この旅が終わったら、お前の産まれを探そうぜ。お前だって、気になるんじゃないか?」

「産まれ、ですか……でも、私はもう世永家が実家って感じですからね……」

「嫌ならいい。満足っていうなら、別にそれでいいんだけど」

「いえ、嫌って訳でもないです……でも、そう言っていただけるなら、お願いしてもいいですかね。おじいちゃんが言ってたんです」

「うん? なんでじいちゃんが」

「おじいちゃんが、亡くなる日の前の晩……あ」


 辞世の句ってやつか……


「いいよ、なんて言ったんだ?」

「おじいちゃんは、いつ死んでもいいように生きろって言ってました」

「じいちゃんらしい。じいちゃんは惜しい死に方をしたけど、悔いは残してなかったと思う」


 やっぱり、じいちゃんの死は悲しいものではなかった。ただ、寂しいだけで、またどこかで会える気がするような、一時の別れのようでさえ思える。


「最期の最期でお母さんに会いたい、なんて言ってちゃ、死ぬに死ねませんよね」


 希を荷台に乗せ、ペダルを漕ぎ出す。

 風を切って坂道を下ると、汗が冷えて涼しかった。

 約束を交わし、さよならも言わず、それぞれの思いを託され、

 俺たちのなんだかよくわからない旅が始まった――

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巡り、還り、廻り、回り続ける世界を周る 嶋本元成 @shi__________ma

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