第51話 プロポーズ
2016年7月21日。今日はミキの40歳の誕生日だ。
中目黒にオープンして1年のイタリアンバル「MARTE」という店でお祝いをすることになった。
彼女は、僕が教師になってまだ2年目という僕のおさいふ事情を気にしたのか、自分から提案をしてきた。
「ごめん、仕事が遅くなっちゃって!」ミキがピンクの杖をついて急いで歩いてきた。
「大丈夫、大丈夫。僕もきたところだから」
ーうそだ。あまりにも楽しみにしすぎて、30分前には到着をしていた。
交際を始めて1年半。この間にミキは本当に美しく若返った。吉田羊のようなセミロングストレートカットに、はっきりとした目に真っ赤な口紅を引いた。
とても40代の女性には見えない。だから、僕が同僚に恋人だと紹介しても、まさか16歳も歳の差があるなんて誰も気がつかなかった。
ミキは僕の腕の中に右手を入れた。僕はミキをゆっくりと支える。
ゆっくり歩く。こうすると、短距離ならば杖をつかなくても大丈夫だ。
「駅からすぐみたいだよ」僕はiPhoneの地図アプリを出した。
そして5分ほど行くと、窓にホイミスライムのカタチをした真っ赤な火星人が描かれた絵が貼られている店を発見した。
ああ、ここのビルの2階みたいだね。と、ビルの入口に行って気がついた。このビルにはエレベータがない。細くて傾斜の厳しい階段だけが立ちはだかっていた。
「のって」僕は、おんぶのポーズをした。
「ええ…恥ずかしいわよ」
「恥ずかしくなんてないよ。ここ、人通りないから」
ミキはキョロキョロした。そして下から階段を見上げた。
観念したようで、僕の上にのっかってきた。
「おいしょ」僕はミキを持ち上げた。
「もう! おいしょとか言うな!」
笑いながら、僕たちは階段をのぼった。重さもしんどさも感じない。
こうやって触れ合っているだけで、もう幸せだから。
ダウンライトがとても落ち着くような室内を彩り、銀色のテーブルが一面並んでいる。
マスターが「どうぞ」と窓際のテーブルを案内してくれた。
「お誕生日のシャンパンです」と、さくらピンク色をしたシャンパンが注がれた。
「ミキ、お誕生日おめでとう」
「カズヤ、ありがとう」
「それじゃ、乾杯」
カチンと軽くシャンパングラスをあてた。
「ここのお店は、『うにのグジュグジュパスタ』というのが有名らしいの」
「え、うに?」
「あり得ないぐらいウニづくしなんだって。それ食べてみようよ」
と、黒板のメニューを見ながら、あれこれ決めた。
ダウンライトの下に照らされるごちそう達。
フォークとナイフとはいえ、気軽に食べられてリーズナブルなバルは、僕のお財布にほんとうに優しい。急な階段だって、おんぶが出来てラッキーだと考えられる。
この店を紹介してくれた人に僕は感謝した。
「このお店さ、実は紹介をしてくれたのは友達じゃないのよ」
「え、誰なの?」
「母なの」
「えっ!」
鼻からうにが出るかと思った。
「母に付き合っている人がいるって言ったの。それがカズヤくんだってことも話したわ」
「お母さん、どうだった?」
「あら、そんな心配そうな顔しないでよ」
気がついたら僕は眉間にしわを寄せていた。動揺を隠せていなかった。
「ずっと恋人がいなかったから心配していたって。嬉しいって。めちゃくちゃ喜んでくれたの。それで、この店を教えてくれて、私も嬉しかった」
ーミキはとてもうれしそうだった。
「僕もお母さんに挨拶に行きたい」
「え、本当に」
「そうだよ、もう1年半も付き合っているし、お母さんに遊びじゃないって安心してもらいたい」
「ありがとう。うれしい。でも…」
ミキはそう言って、飲み終わりかけのシャンパングラスを見つめた。
「わかってる、あの話だろう」
「うん」
「別にいいんだ、僕はタクヤ兄さんの代わりだったとしても」
ミキは、自分が僕を愛しているのはタクヤをそこに見ているからじゃないかと時々気持ちが不安定になっていた。
本当は、「タクヤは僕だ」と安心させてあげたい。
でも…。
僕は一度神様に相談をした。
「神様、もしタクヤが僕であることをミキに言ったらどうなるかな」
「どうなるって、君の前世の記憶はそこでなくなるよ」
「それはわかっているんだけれど、僕はどうなるかな」
「ああ、タクヤくんの影を追いかけるミキに対して君がどう思うのかってことか」
「そうそうそう」
「そりゃあ…嫉妬に狂うだろうな。君は」
駄目だ駄目だ! 僕がタクヤだと言うメリットが一つもない。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます! またのお越しをお待ちしております」と丁寧に見送られた。
僕はまたミキをおぶった。そしておろし終わった後…
「あぶない!」
上から何かが降ってきた。ガシャーン。
僕は、ミキの上におおいかぶさった。わずか20センチぐらいのところで何かが割れた。
植木鉢だ。サボテンが入った植木鉢が落ちてきた。
「ここ、ビルだぞ。なぜ植木鉢が…」
「この手口って…」
2年前に解決したんじゃなかったのか。
再び、ミキの命が狙われている。僕はそう確信した。
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