第44話 ごめん、答えられない
渋谷のスクランブル交差点の真ん中で僕たちは止まったままだった。
信号が点滅しているけれども、体が動かない。ついぞ赤になってしまった。
「ファン!」
車の信号機がまだ青にならないうちに、親切な車がクラクションをならした。
「あ、いけね」今度は僕がハルナを引っ張り、全速力で駅へと向かい走る。
歩道についた瞬間に車が一斉に走りだした。
「あのさー…。お礼ってそれなの?」
「嫌なの?」
「い、嫌ってわけじゃないけどさ…」
「けどなんなのよ」
ピンクグロスがキラリと光るハルナ。僕はもちろん抱きたい。
それは動物学的にってことだ。でも、そんな本音を言うのはデリカシーがなさすぎる。ああ、これを言うしかない。
「僕、童貞だから」恥ずかしいけど、一番ハルナを傷つけないだろう。男はこういう時は、自分が恥をかかなければならない。
ハルナは、目を少しうるませた。ドキドキする。僕がうなずけばもう彼女は僕のものになる。
「ミキさんなんでしょう。カズヤくん、ミキさんのことが好きなんでしょう。だから私のことを抱けないのよ」
「あ…」ー完全に見抜かれている。動揺して何も言えなくなる。
その姿を見て、ハルナは「はぁ」と溜息をついた。
「なんでなのよ」そう言って唇をかんでいる。
「なんで、そんなオバサンのことが好きなのよ! 杖突いたオバサンなんでしょう」
ああ、そうなんだ。ハルナ目線からすれば、もう立派な38歳のオバサンなのだ。
「そんな言い方しないでくれる?」
僕は、静かにそう答えた。するとハルナがポロポロと涙を流した。
「ずっと、あなたのことが好きだったのに。ずっと好きだったのに」
「…ごめん」
ああ、ミキの記憶なんてなければ、今この泣いている彼女を抱きしめることができるのに。なんて前世の記憶は邪魔なことだろう。
「でも、知ってたの私。あなたにはずーっと想っている人がいるんだろうなって。だって、いつもあなたは私と一緒にいたのに何もしてこなかったから。でも、不思議だった。ずっと女の影がなかったでしょう、カズヤくん。
わかったの、今日。ミキさんだったんだって。無茶なこと言わないから一つだけ私の質問に答えて」
「…わかった」
質問ぐらいなんでも受け付ける。そういう気持ちで力強く答えた。
「あなたはいつから、ミキさんのこと好きなの?」
よ、よりによってその質問かよ! それ答えたら記憶がなくなってしまう…。
「ごめん、答えられない」
「何よ、あんた」
バチーン。頬がひりひりする。そりゃ、怒るよな。
ハルナは一人で、つかつかと歩いて一人渋谷駅の雑踏の中に消えていった。
僕はそれをずーっと見つめていた。
「ただいま」僕は左頬をおさえながら玄関の靴をそろえた。
珍しく早く帰ってきたトオルさんが、走り寄ってきた。
「カズヤくん、ミキさんの部屋で物音を立てていた犯人がだいたいわかったぞ!」
「ええ!? そんなに簡単にわかったんですか?」
「いや、僕もびっくりしたよ、まさかあんな方法があるなんてね。
厳密に言うと、犯人はほぼ確定というところだけれども、トリックはわかった」
「ト、トリックなんですか」
なんだか名探偵コナンのような雰囲気になってきたな。
トオルさんは嬉しそうにしている。もうミキの部屋に入って落ち着かない時間を過ごさずにすむからだろう。だいたい奥さんが元カノの家に何時間もいることを許可している事自体常軌を逸している。
「物音を立てていたのはね、人間じゃなかったんだよ」
「ええ」
「続きは、いつものところで、ね」
一体何なのだろうか。僕たちはいつものように僕の部屋に集合した。
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