第35話 逆転ホームラン
翌日10月18日、メグミは彼氏のトオルさんを家に呼んだ。
「こういうことは早いほうがいいに決まっているから」
この18年で男の影を何度も感じていたが、メグミが彼氏を家につれてくるのはこれがはじめてのことだった。
午後7時。彼は家にやってきた。僕と母は玄関に飛んでいった。
「こんばんは、お邪魔します」と現れたのは、身長が160センチもなさそうな小柄な男性が立っていた。年齢は35歳と聞いているが、40歳ぐらいにも見える。
おそらく、薄毛のせいだ。前髪が明らかに後退している。
「どうぞどうぞおあがりください」
「は、はい」と左右の手足が同じ状態でカクカクと歩いている。
僕も母も「ぷぷぷ」と笑いをこらえるのが必死だった。
メグミって意外にこんな地味な男が好きだったんだな。ずっと一緒にいてもわからないことてあるんだなぁ。
ソファーテーブルには、新調したばかりの真っ白な湯飲み茶碗が運ばれてきた。
「よく来てくれたね、ありがとう」と父は緊張した面持ちで頭をさげて言った。
「いえいえ。こちらこそお伺いさせてくださって、か、かんしゃ、し、しております」
「お茶をどうぞ」と母が促した。トオルさんは片手で湯のみをとろうとしているが、手がガクガクと震えてとれない。
「すみません、すみません」といいながら、両手で思いっきり持った。
「あちっ!」といってまたテーブルの上に置いた。かなり天然なようだ。
「トオルくんは、いつもこんな感じなの。面白いでしょ」とメグミがケタケタと笑っている。
「すみません」とまたトオルさんが謝った。
「もう、謝らなくてもいいのよ」と母が嬉しそうにしている。
「あの、お父さん、突然なんですが」
「なにかな」ー父が一気に緊張した顔になった。
「僕をメグミさんにください!」
ーきたきた、きたぞー!
「もちろんだよ」
「ありがとうございます!」家族は全員拍手をした。
「えっと、僕は本当にこの家に住んでも大丈夫なのでしょうか」
「ん、なんのことだね?」
父がびっくりした顔をした。母も同じだ。
僕は、メグミの顔を見た。メグミは「あっ」と忘れていたという顔をした。
ーおい、言っていなかったのかよ。
「あれ、メグミさんから結婚後は一緒に住んで家族を支えて欲しいと言われたので、ぜひそうさせてもらえたらと。ご家族のお話はメグミさんからお聞きしています」
「メグミ…」父がメグミのほうを見た。
「僕は実は両親がいないんです」
「えっ」みんなびっくりしていた。
「幼いころに虐待されて、施設で育ちました。ずっとお父さんとお母さんと暮らしてみたいと夢を見てきました。まさかメグミさんが叶えてくれるなんて、本当に嬉しいです」
トオルさんが心から話をしていることがとても伝わってきた。メグミは、ただの悲惨な過去で終わる話を、みんなが幸せになる話にしようと動いたんだ。
神様が言っていた「助けあってつながる」というのはまさにこういうことだったのだ。
「私ね、トオルさんの本当に心が温かいところが好きなの。この人と温かい家庭を築けたらと思っているの。みんなも手伝って。新しい家族をよろしくお願いいたします」
メグミが頭を下げた。父も母もくしゃくしゃの笑顔になった。
トオルさんが笑顔で家族に送り出された後、
「メグミ、本当にありがとう!」と僕はお礼を言った。
すると、意外にもメグミが「ごめん」と謝ってきた。
「え、なんで謝るの?」
「ちょっと部屋入れてくれない?」
そうか、廊下では話を家族に聞かれてしまう。まずい。
「あのさ、私もう1つ狙っていたことがあったんだよね」
「なに?」
「トオルさんの職場にミキさんがいるじゃん」
ーそうだ、あまりに今日はドキドキしすぎて忘れていた。
「結婚式にミキさんを呼ぶというのも狙っていたんだよ。でもね、昨日わかったことなんだけどね…トオルさんとミキさんさ、1年前まで付き合ってたのよ〜!」
「ええええええ!」
「トオルさん、しかもプロポーズしちゃってたしぃ」
「そうだったのか! で、ミキはそれ断ったってこと?」
「そうみたい。『あなたのこと好きなんだけれど、でももっと好きな人がいる』って」
「えー誰だよー」
僕はムンクのような気持ちになった。
「なんか最後までわからなかったみたい。だから結婚式には呼べないってさ」
「うーん、そうか。わかった。メグミ、いろいろありがとな」
そう、ここからは自分で道を切り開くしか無い。
でも、好きな人って誰だろう。その好きな人に僕は打ち勝つことが出来るのか。
「やっぱり駅伝やめない!」
僕は、ミキに一番に好きになってもらいたいから、やっぱり輝いている自分を捨てるのは嫌だ。
すると、神様がぴょんと話の輪の中に入ってきた。
「そうだ、その意気だ!」
「神様、もう口先の応援は聞き飽きた。なんとかしろよ」
とネズミ人形をゆさぶった。
「ダメダメ。僕は人と人とがつながることを大切にしているから。
誰に助けを求めたらいいのか、よく考えることだ」
「ケチ!」
と、僕はあっかんべーをした。
でも、ヒントをもらった。助けを求めることで道が開ける方法があるということだ。
僕は、まだ見ぬライバルに闘志を燃やした。
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