第32話 18年ぶりのミキ

僕は、盗塁王のようにソファーにすべりこんだ。

テレビは静止画で止まっていた。

「おい、メグミこれ一体どういうことなんだよ!?」

「こら、また呼び捨てにして!」と母に怒られる。

あわてると、時々やってしまう。そうそう、僕は弟なんだ。

母も、ソファにかじりついて、大きな目をしている。


「あのさ、私、先週に先生と合コンあるって言ったの覚えてる?」

「ああ、そうだったね」

「じつはね、そこですごく素敵な彼と出会っちゃったのよ〜」


メグミは両手を口元に持ってきて嬉しそうなポーズをした。

「いま、それ関係なくね?」と僕は冷たく言い放った。


「あら、話は最後まで聞きなさい。実はねその彼が『僕、最近テレビに出たんだよね』って言ってたの。それで『見せて』って言ったら、DVD貸してもらったの。そしたら…ミキ姉ちゃんがいたのよ!」

「マジかよ! 最初から見せてくれよ!」

「オッケー」


DVDはすごい。巻き戻しが一瞬で出来てしまう。ビデオカメラだったら巻き戻すのに何分も待たされて気が狂いそうになる。本当に文明の進歩はありがたい。


番組は「みんなの先生」という聴いたこともないようなタイトルだった。BS放送であるうえに、深夜枠の番組だったからだ。取りこぼさないように情報を調べようと頑張っていたけれど、BSの深夜か…考えたこともなかった。


ナレーションが流れる。

ーこの学校は、10年前まで万引き、援助交際、いじめがひどく、地域住民からも嫌われ、先生からも見放され、退学率が3割を超えていました。

 しかし、一人の先生が来てから、学校が変わりました。今では非行ゼロ、退学者ゼロです。いったいどんな先生なのでしょうか。


トントントン。

廊下から音がする。僕は、この音を遠い昔に聴いたことがある。


ピンクの杖で、歩く女性が遠くから見える。

「ミキ!」

僕は思わず叫んだ。

母は、となりでびっくりしている。

「カズヤ、よく覚えているわね。お別れしたのはまだ2歳の時だったのに。

 私でもまだこのシーンでミキちゃんだってわからなかったわよ」


AKBの篠田麻里子のようなマッシュボブに、意志の強そうな眉。

大きな目に長いまつげ。そして…ほほから口元にかけてあるケロイド状の傷。

まぎれもなく、ミキだ。


目頭が熱くなって、涙が止まらなくなった。


「牧村ミキさん、34歳」と紹介された。


「ミキさん、また名前が元に戻っていたのね」と母がつぶやく

「まあ、人生色々だよね」と妹が僕のほうをチラチラ見ながら話す。


ーそう僕たちは、「岩井ミキ」だと思い込んでいたから、牧村ミキの名前では探していなかった。それが完全に裏目に出て、BS番組を取りこぼしてしまったというわけだ。


テレビの内容もすごかった。


仕事が終わった後に、每日のように家庭訪問を繰り返すミキ。

「学校に行きなさい」と言わず、「遊びに来た」と中に入っていく。そして、援助交際経験があるという女の子の部屋に入っていく。

 この、グイグイ入っていく信頼関係もすごい。

 ヨタヨタした足で、手すりにつかみながら登っていく。駅伝をしている僕でさえ、この足にはかなわない。かっこ良すぎだ。僕は完全に敗北だ。


そして、何をするのかというと、英語を教えるのだ。

その英語の学習法も今まで見たことのない方法だった。好きな海外映画を一緒に見る。そして、その映画の台本を作り、二人で劇をする。


「あなたは、いま映画の登場人物になれたよね。人生も同じ。やろうと思った瞬間にこうやって変えられるの」

と、子どもの手を握り、抱きしめる。

ミキのこの映画を使った授業は学校でも行われた。すると、学校全体の英語力があがり、英語に強い大学への進学率も高まり始めたのだ。


やがて、この授業は学校全体のイベントをつくることになる。クラス対抗で海外映画を舞台化して競い合うことになった。


クラスは一つのものを作り上げる達成感を生み出し、イジメもなくなり、中退者、非行もなくなっていったのだという。


最後に、ミキが講堂で全校生徒の前で話をするシーンが出てきた。

「私は誰かわからない人に刺されたおかげで、普通に歩けなくなって、それに顔に傷を負いました。芸能界からも引退を余儀なくされました。でも私はこの人生を生きて良かったです。みんなに英語を通して表現する楽しみを教えられるのですから。

 全て悪いと思っていることこそ、そこに宝物がつまっているんです。だからみんなも辛いことがあったら、辛い時こそ幸せになる種がある。それを思い出してください」


後ろでハンカチに目をあてる男性がテレビに映し出された。

「あ、この人この人、私とお付き合いすることになった彼よ〜。

 トオルって言うの〜。ねぇ、みんな聴いてる?」

ー誰もメグミの話など聞いていなかった。みんなミキに釘付けだったから。







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