第25話 決戦前夜
1997年12月31日。僕は4歳になっていた。
メグミは大学1年生。髪の毛をクルクルとコテで綺麗に巻いて、20センチはある厚底ブーツを履いて通学していた。いつも手のひらにはポケベルがあり、暇があったら家の電話でピポパポメッセージを送っているようだった。
九官鳥のタクヤは、相変わらず「こんにちは、タクヤです」と愛想をふりまいている。
父は、めっきり残業がなくなり、家に早く帰るようになっていた。少し元気がなくなっているようにも見える。母は、相変わらずだ。
僕はというと…。
每日每日、幼稚園の園庭で鬼ごっことかけっこに取り組んでいた。年長組との合同鬼ごっこでも誰も僕を捕まえることができなくなっていた。
幼稚園の先生たちが、
「将来この子は、オリンピック選手になるかもしれない」とか「陸上をやらせたほうがいい」とか熱心に母親に話すほどだった。
「親戚に足の早い人なんて誰もいないのに」と母は不思議がっていた。
人間、努力で、天才を乗り越えることが出来るのかもしれない。
いつものように紅白歌合戦をみんなで見た。
小沢健二の歌が流れている。
ウッカリして甘いお茶なんか飲んだり カッコつけてピアノなんか弾いてみたり
大人じゃないような 子どもじゃないような
何だか知らないが 輝ける時
誰かと恋をしたら そんなときは言いたいなあ
ーああ、ミキの時も輝いているだろうか。いま、どんな姿をしているのだろう
「ねえ、カズヤ。ミキ姉ちゃんのこと覚えてる?」
突然メグミがミキの話をふってきた。僕の心が一瞬筒抜けになったかと思ってドキッとした。
「もちろんだよ! ミキ姉ちゃんのこと忘れるわけないだろ」
「ふーん」
メグミは、人差し指をあごに持って行き、上を向いて少し考えていた。
「あのさ、カズヤ」
「なに、お姉ちゃん」
「人間ってさ、3歳までの記憶ってないんだって。大学でお勉強したの」
「そ、そうなんだ」
「ミキちゃんが遊びに来ていたのは2歳でしょう。あんた覚えているわけなくない?」
メグミには何度も神様としゃべっているのを見られている。
最初は、「なんでネズミ人形としゃべってるの?」なんて笑っていたんだけれど、だんだん不審そうに僕を見るようになっていた。僕は、その視線にはうすうす気がついていたので、特にメグミには、見られないように気をつけるようにはしていた。
そして、メグミは僕の耳元に唇をあててきた。
「あんたさ、なんか隠しているでしょう」
ーバレているのか!? いや、バレていたら僕の記憶は消えるはずだ。ネズミ人形を見た。完全にカチコチにかたまっている。これ、なんかヤバイ感じなのかな。
「な、なんのこと? 変なこと言わないで」それが精一杯の反論だった。
まさか、前世の記憶があって、実は僕がタクヤだなんてそんなことわかるわけ無い。
「あんたさ、子どもらしくないんだよね。私が勉強している幼児教育からしたら、あんたみたいな子は異常だよ。聞き分けが良すぎる。頭が良すぎる」
「こら、なんてこと言うの! カズヤに謝りなさい。カズヤはまだ4歳よ。2歳なんて2年前じゃない。覚えていてもおかしくないでしょ」
母が助け舟を出してくれた。どうやら、この話題は終われそうだ。
「ごめんね、カズヤ。少し言い過ぎた」
「いいよ、お姉ちゃん」
これで一件落着、と思いきや
「ほら、大人すぎるじゃん」とぼそっとメグミはつぶやいた。
僕は早めに一人で布団に入った。もちろんネズミ人形と一緒に。
「ねえ、ミキってなんか僕のこと怪しんでいない?」ネズミ人形に話しかけた。
家族は年越しそばを食べるまで紅白を見ているから、この時間の会話は安全だ。
「少し、話聞かれていたかもね」
僕たちはこの2年間、ただ漫然と過ごしていたわけではなかった。母がテレビをつけている間にしっかりと情報収集をし、家族の目を盗んで新聞も読んだ。
少しでもミキの手がかりになることがあるかもしれないと期待しながら。
子どもでずっといるのは辛い。ありのままの自分、つまりタクヤという人格として話をしてくれるのは神様しかいない。だから僕はこの2年間每日、親友のように神様とずっと話をし続けていた。それが、メグミの目に奇妙にうつったのかもしれない。
「明日、がんばるぞ」僕はネズミ人形とかたく握手をした。
「私も応援している」とりりしく神様が答えてくれた。
計画はこうだった。年賀状を取りに行くと見せかけて、ダッシュで教会に向かう。
いたってシンプルな作戦だ。
ああ、ついにミキに会える。胸の鼓動がドクドクと外にまで聞こえてきそうだ。
僕は、ネズミ人形をぎゅっと抱きながら、眠りについた。
ついに、決戦は明日だ。
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