第24話 夜逃げと理不尽

1996年1月8日、ミキはうちに来ることはなかった。


「ミキお姉ちゃんの家、倒産しちゃったんだって」

「そうだったの…。それでミキちゃんあんなにやつれていたのね」

ーメグミと母の話によると、岩井さんの毛皮の会社がつぶれて、夜逃げ同然で突然いなくなったらしい。メグミの同級生で、ミキと同じ高校にいる友だちづてに知ったという。


僕はメグミにたずねた。

「ねえ、メグミ姉ちゃん」

「なに、いま大人の会話しているんだけど。」

ー何が大人だ。まだ高校1年生のくせして。


メグミはすっかりアムラーになっていた。ワンレンロングにダボダボのルーズソックスを履いていた。


「ミキお姉ちゃんはいまどこにいるの? 僕、会いたいよ!」ー心からそう思う。

「知らないよ。高校もやめたみたいだし、ホントチョベリバ」


チョベリバ…。チョーベリーバッドという意味らしい。普通に「最悪」って言えばいいのに。


一生懸命頑張って入った高校をミキは卒業できないのか。顔に傷を負い、足も不自由になり、やっと勉強して良い高校に入ったと思ったら、夜逃げだなんて。


「コンニャロ、コンニャロ、コンニャロー!」

僕は右手に持っていた、ネズミ人形をぞうきんのようにひねった。


「こら、何すんのよ! お姉ちゃんが作ってあげたお人形乱暴にしないで!」

「いいんだ、これぐらいやったって!」

「何言ってるのよ、カズヤ。よしなさい」


神様はミキをどれだけいじめたら気が済むんだ。僕がこれぐらいやったってなんの問題もないはずだ。

ネズミ人形はじっと黙っていたが、心なしか痛そうな顔を浮かべているように見えた。




「ねえ、カズヤくん」

ネズミ人形は父と母がが寝静まったのを確認してから、僕に話しかけた。

僕は無視をして、ゴロンと背を向けた。


「私のこと、怒っているのか」

僕は首だけくるっと向けて、「当たり前だろ」とめいいっぱい低い声で言った。


「何度も言っているだろう。僕はね、人間に自由意思を与えているんだよ。だからそれを曲げたり、操ったりすることはしないんだよ」

「聞き飽きた!」

「君が僕に怒る自由だってこうやって与えているじゃないか」


確かにそうだ。僕はいまミキに起こっている理不尽さにめいいっぱい自由に怒っている。


「神様、ミキが行方不明になっちゃうことも知っていたんだろ? こんなのさ、生まれ変わったって意味なかったじゃん」

「本当にそう思うのか」

「思うさ。当たり前だろ」


「カズヤくん」神様は僕に優しくささやいた。

「ねえ、無駄だと思うなら、もう前世の記憶を消すこともできるんだよ。君が誰かに『僕の前世はタクヤだ』と告白すれば、消えることになるんだから。

 そうすれば、こんな苦悩を味わわなくても済むんだよ」

「それは嫌だ!」


僕は布団をかぶって隠れた。ミキの記憶が消えるなんてあり得ない!


まだ2歳の体でミキの情報を集めたり、探しに動くことは不可能だ。一体どうすればいいんだろう。お金もない、体力もない、あるのは頭だけだ。

頭を働かすんだ。


僕は布団の暗闇の中で、一生懸命考えていた。


しばらくして、ネズミ人形が布団の外からしゃべりかけてきた。

「タクヤくん、2年前、僕にお祈りしたこと覚えている?」

「もちろんだよ。教会でお祈りの紙を書いた。あれ、そういえば神様に書いたんだね。こんな神様って知ってたら書いてなかったけど」

「ひどいこというね。そのとき、その紙どうした?」

「えっと、缶に入れて…あ!!」


おばあさんの顔が浮かんできた。

ー「5年後、もう一度ここに来なさい」


「神様そうだ! 5年後ミキと教会で会うことになっているよ!」


今から2年後。4歳か。たしかに4歳ならギリギリ大人を振りきっていけるかもしれない。それに、ミキがそのうち、また家にやってくるかもしれない。


バカバカしいと思われるかもしれないが、僕は次の日から、来たるべき日のためにかけっこの特訓をスタートさせた。


約束の日は1998年1月1日。あと2年。










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