第23話 行かないで、ミキ

僕とミキを引き裂いたワイドショーが皮肉にも、空白の1年間の出来事を知らせてくれた。


尾崎豊が死んでいたし、宮沢りえが貴花田と婚約をしていたし、チェッカーズが解散しているではないか。

僕の青春がこの1年でもぎ取られているようだ。宮沢りえだけは帰ってきたけど。


「不景気だ」「不景気だ」というニュースばかり。父も家に帰ってきたら「いやー、ダメだこりゃ。どこも渋い」とこぼしている。


しだいに、「バブル崩壊」という言葉が津波のようにテレビの中で、いやきっと世の中で広がっている。

どうやら、この1年で日本ごとどこか大きな落とし穴に落ちていっているようだ。



「こんにちは!」

毎月8日に、ミキは必ず僕の家にやってきた。そして遺影に手を合わせた。

僕は生きているのに。この姿を見るたびに、ミキを遠く感じた。


「バブバブ」と、母に抱かれながら僕は、すぐにミキの上着を引っ張った。

「はいはい、カズヤくん遊びましょうね」「うー」

ーああ、日本語で早くしゃべりたい。


ネズミ人形を使って「カズヤくん、こんにちは」とお人形ごっこをしてくれた。明らかに神様は嫌な顔をしているけど、その間じっと耐えていた。もう二度と人間に生まれ変わりを許さないだろう。


3月、ミキが満面の笑みで「無事に高校合格しました!」と報告に来た。驚くことに学区で一番の進学校だった。


「あなた、勉強できたのね」

「いえ、去年だったら無理でした。2年も受験勉強したから当然です」


そのとき、九官鳥のタクヤが「おめでとう、おめでとう」と甲高い声で叫びながら、ミキの膝の上にとまった。


「タクヤまでありがとう」ミキは九官鳥の頭をなでた。

「あら、誰でしょうね、こんな粋なことをするのは」と母がフフフと笑った。


ー僕だ。この日のために僕がこっそりと覚えさせたのだ。

さて、僕は僕で、やるべきことをやらなければいけない。


僕とミキを襲った犯人を探すこと、そしてミキを守ること。

でも、そのためにはまず体が自由にならなければいけない。


僕は、母が育児書を読むたびに、盗み見をした。自分の体がどのように発達していくのかを理解すれば、体の鍛え方がわかる。必死で勉強をした。


5ヶ月後首が座ったところで、夜な夜なハイハイのトレーニングをした。

最初は、体をズリズリとひきずるだけだったが、次第に腕で体をささえられるようになり、足が動くように鳴った。7ヶ月には完璧なハイハイをマスターした。

9ヶ月には、よたよたながら、歩行ができるようになった。


「カズヤくん、すごい!」ヨタヨタと歩く僕をミキはほめてくれた。

「う〜あ〜」と言いながら、ミキに抱きつく。


母が紅茶と揚げドーナツを持ってきて、ソファーのテーブルの上においた。

「どうぞ、食べてね」

「いつもありがとうございます」

二人は、すっかり友達のようになっていた。


ミキはなんでも話をした。最初は一学年下の子たちになじめるか不安でいっぱいだったこと、すぐにクラスに打ち解けられたこと、英語クラブに入ったこと、男の子に告白されたこと(!)など。


「ミキちゃん」

「タクヤのことは遠慮しないで、他の男の子と付き合っていいのよ」

「おばさん…」

ーこ、こら、お母さん! なんてこと言うんだ!


「あなたは生きているのだから。毎月来なきゃって思う必要もないのよ。いい人が出来たら、その人を優先させなさい」

「イヤです! タクヤ以上に好きになれる人なんていません」


そう言ってミキは泣いた。母も泣いた。僕も悲しくて泣いた。

ここにいるのに、ミキには僕の存在は届かない。僕は何のために生き返ったのか。


ネズミ人形はこんなとき、いつも沈黙する。まるでいないかのように。自由意思にまかせているというのだろう。なんと、自由意思を全うするとは孤独なものなのだろうか。


それから約2年後の1995年12月8日。

Windows95というパソコンが発売され、世の中が大騒ぎになっていた。父はPHSというどこでもつながる電話を持ち始めた。メグミは、ポケットベルを欲しがった。どうやら、一緒にやりたい相手が出来たようだった。我が家ではなぜかNGだった。


そのかわりなのか、コードレスつきの電話機がやってきた。コードレスはもっぱらメグミの部屋に持ち込まれた。かくして、我が家の悩みの種は、電話料金となっている。


「ミキ姉ちゃん!」

猛ダッシュで、ミキのもとに駆け寄った。

その頃には僕は「口達者のカズヤ」と家族で呼ばれるようになっていた。


ーいつもと様子が違う。少し顔が青白く、やつれているように見える。

「ミキ姉ちゃん、元気ないね。どうしたの?」

「お勉強をしすぎて睡眠不足になっちゃったかな」


そうか。来月はついに大学のセンター試験だ。

それにしても…フラフラと力なく歩く背中は小さく見えた。


「ミキちゃん、体調でも悪いの?」

母もミキの異変にきがついているようだった。

「あ、少しフラフラするだけなんです」

そう言ってヨタヨタと僕の遺影に手を合わせた。


ー長い。今日はかなり長く手を合わせている。

「ミキ姉ちゃん」僕は、制服のスカートの裾を引っ張った。


ミキは突然、

「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣き崩れた。


「ミキちゃんどうしたの?」母があわてて駆け寄った。

「私が、私が悪いんです。私がいなかったら、こんな…」

ミキの涙は止まらなかった。


次の月命日、ミキはうちに来なかった。
















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