第21話 月命日の約束
ミキと母の話は1時間ほど続いた。
僕が死んだ1992年1月8日のうちに、「あれは撮影中止になった映画の写真です」という訂正が事務所から出された。
これで、騒動が収まると思いきや、「モデルの売名行為」とワイドショーでミキはめちゃくちゃに叩かれたのだという。たしかに、写真の流出元を考えると、知名度バツグンの近藤俊彦よりもまだ無名なミキサイドと考えたほうがしっくりくる。
その1週間後の1月15日の成人の日、つまり一年前の今日、ミキは正面から腹を刺され、生死をさまよい、そのまま5月のゴールデンウィーク明けの5月6日に意識を回復した。しかし、後遺症で右足に麻痺が残ってしまったことがわかった。
ピーンポーン。インターフォンが鳴った。
「あら、岩井さんが戻ってきたのかもしれないわね」
大きな声で、「ペットショップ田中です〜」という声が外から聞こえる。
「え、ペットショップ? ミキちゃん、悪いんだけどカズヤみてもらっていい?」
「あ、もちろん。カズヤくん、おいで」
母は、ひょいと僕をもちあげて、ミキのひざのうえにおいた。
どっきーん。ミキは1年前と変わらずいいにおいがした。
ああ、やっとふたりきりになれた。でも、話すことはまだゆるされない。
僕は見上げた。ミキの目から口元にかけて刻まれた傷に胸を痛めた。
ーもう、この顔では芸能活動は二度と出来ない。
ハイヒールを履いて、堂々と歩いていたミキにはもう戻れない。
今は、化粧っけもなくなり、髪の毛も茶色のゴムで一つにまとめているだけ。
でも、僕にとってはそんなことはどうでもよかった。ミキに会えただけで。
「カズヤくん、これからよろしくね」僕の小さな手をミキは握った。僕は精一杯の力でミキの指を握り返した。
ーまだ、こんな小さな手だけど、僕は君をいつまでもー
母が戻ってきた。
「え、どうしたんですか、それ」ミキがびっくりした声をあげた。
「なんかね、贈り物なんですって」
そのとき、父が、ひょっこりリビングに顔を出した。
「よーし、きたきた!」満面の笑みの父。
ーうーん、よく見えない。一体なんなの。なんで僕の声がするの?
「タクヤです。みんなよろしくぅ!」
「は?」
僕は、一瞬赤ちゃんでいることを忘れて大きな声を出した。
だって、僕の声がするんだから。
「タクヤくん、よろしくね」とケラケラとミキが笑う。
え、ちょっとまって。僕は必死で、ミキの膝の上で見せてくれと訴えた。
「バブー、バブー」
「あら、カズヤくんも見たいのね。よしよし」
そう言って、ミキは僕をまた母に預けた。そうだ、ミキは僕を持ったままじゃ立てない。
「はーい、カズヤ、タクヤくんだよ〜」
母が僕を持ち上げた。すると、しっかりとした木で出来た鳥かごに、カラスのような色でくちばしがオレンジ色の鳥が入っているのが見えた。
「タクヤです。みんなよろしくぅ!」とまたその九官鳥がしゃべった。多分僕の目はいま丸くなっている。
「一周忌に合わせて、カセットテープに録音していたタクヤの声を覚えさせたんだ」
そう言って、父がカセットテープをポケットから出してきた。
そのカセットテープは、去年の文化祭でギター演奏をしたときのものだ。家族に内緒にしていたのに。死んだらなんでもあらわにされる怖さよ。もう二度と、両親より早く死にたくない。は、恥ずかしすぎる…。
「今日から家族になるタクヤだ。みんなよろしくぅ!」と父がいうと、
「みんなよろしくぅ!」と九官鳥がかぶせてきたので、みんなで大笑いをした。
ああ、タクヤの生まれ変わりは僕なのに、九官鳥に乗っ取られた。
それから、10分後、岩井さんがやってきた。
「遅くなってすみません。ミキを迎えに来ました」相変わらずさわやかな笑顔だ。
「いえいえ、久しぶりにミキさんとたくさんお話しが出来て楽しかったわ」
僕を抱きながら、母は本当に嬉しそうだった。
そのとき、岩井さんが一枚の紙を母に渡した。
「実は、去年に脱サラしましてね、毛皮販売をしているんですよ」
「はぁ、毛皮ですか」
「今ならミンクの毛皮も相当安いですよ。また景気が戻ってきたら今の値段では買えないですよ。よかったらさらにお安くできます」
「ふふ、毛皮なんて着ていくところはないですし」
母は軽くあしらいつつ、ミキと岩井さんを見送った。
ー岩井さん、ミキがこんなことになったから芸能事務所に居づらくなったのかもしれないな。それにしても、いつのまにか不景気になっていたんだな。この1年のこと何も知らないからなぁ…。
扉を閉めようとしたとき、ミキが杖をつきながら、戻ってきた。
「オバサン」
「あら、どうしたの? 忘れ物?」
「あの、これからタクヤの月命日には毎月ここに来てもいいですか」
母は満面の笑顔になった。目が少し潤んでいるようにも見えた。
「もちろんよ。ミキさん大歓迎よ!」
「よかった。じゃあ、また来月」
ーやった! これからミキに毎月会えるんだ。
僕は、「バブバブバブバブ」と笑った。
ーこのとき、ふたたびミキと突然の別れの日が来ることは予想もしていなかった。
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