第20話  疑惑

ふたたび僕の目の前に現れたミキは、右手にピンク色の取っ手のついた杖を持っていた。体は少し斜めにかたむいている。

お腹を刺されたのだから、もしかしたらとは思った。5月まで意識不明だったわけだし。でも、これはない…。


「ミキちゃん」母が僕を右手で抱きかかえながら、左手で杖をついたミキをまた抱きしめた。母とミキのおっぱいにはさまれる僕。く、苦しいけど幸せ…なんて言ってる場合じゃない!


「おばさん、もう大丈夫です。ふっきれたから」

そう答えるミキの目のきわからほほを通り口元にかけて大きな傷跡があった。


岩井さんがあとからやってきた。黒いスーツに真っ赤なネクタイをしていて、ポケットから絹のブルーのハンカチを出していた。そしてカフスボタンがダイヤモンドのように光り輝いていた。一体どうしたんだろう。

「車を近くに停めていたもので。遅くなってごめんなさい」

「いいんですいいんです、おあがりください」

「僕は、これからまた仕事なんで、すみません。ミキだけお願いします」


ミキは玄関に座り、ゆっくりと靴を脱いだ。一人で起き上がるのが大変らしく、岩井さんがおいしょと、ミキの脇に手を入れて優しくもちあげた。


 その様子に気がついたクラスメイトの一人が近寄ってきた。


「あ、僕がミキさんを連れて行きます」

「ごめんね、ありがとう」岩井さんは1年前と同じようにさわやかな笑顔だ。


そして、王子様のような申し出をしたのは…。

ーケンジだ。顔色をかえずに、ミキの腕を自分の向こう側の肩にのせて、ミキの肩をしっかり持って歩いている。


僕は、それを黙って母の腕の中で見るしかなかった。

「おぎゃー!」

「おやおや、どうしたの、カズヤ」

ーああ、僕が生きていたら。いや、生きているんだけれど。タクヤとして生きていたら、ミキのとなりにいるのは、僕のはずだ。くそー!くそー!くそー!


狂ったように泣きわめいた。どうにかなることでもないのに。




「なんみょうほうれんげ〜きょ〜」とお坊さんがポクポクと小さな木魚をたたき、ミキ以外は、みんな正座をしていた。途中でしびれてきてつらそうに体をのけぞっているやつも何人かいた。

ミキは、台所の椅子にこしかけて、僕の遺影をずっと見上げていた。


ー僕はここにいる。そこにはいない。


お坊さんが帰った後、一人二人と家に帰っていった。

ついでに、メグミも「遊びに行ってくる」と出かけてしまった。父はいつのまにか書斎に移動したようだった。


ケンジは「ミキ、一緒に帰ろうか。僕がおぶってやる」なんて言っていたけど、

「お父さんが迎えに来るから大丈夫」と丁重に断られていた。ざまーみろ。


そして、ミキだけになった。

「おばさん」

テーブルをふいている母にミキは声をかけた。


「ん、なあに」

「ずっと来なくてごめんね」

「いいのよ、あなたも大変だったでしょう。この1年」


「…はい」というと、ミキは大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。

母は、優しく背中に手をおいた。


「そういえば、あの子、キス写真のこと何も知らないまま死んじゃったのよね」

「そうですよね。きっと天国で見て笑っているんでしょうね」

ー笑ってねえよ! 知らねえし!


「まさか、中止になった映画の撮影シーンがスキャンダル写真で雑誌に書かれるなんてねぇ」

ーは?

あ、そういえば、ミキが出演するはずだった映画が中止になったとか言ってたな。それでやけっぱちになって岩井さんと…ってことだった!


なんだよ、しかもその映画って僕と付き合う1年以上前の話だろ。うわー…。

ミキはそれを言いたかったんだ。

僕の彼女になってからは一度もだれともキスなんてしていない。ましてやセックスなんて。


ミキは「潔白」だったのだ。



「犯人は見つからないの?」

「はい…警察も全然わからないみたいです」

ーえ、誰がやったのかわからないのか? 


次の瞬間、母がさらに耳を疑うようなことを話し始めた。

「私のほうもね、わからないのよ」

「あ、タクヤくんの…」ミキは僕の遺影を見た。

「ダンプカーは盗難車だったんですよね」

「そうなの。誰がタクヤをはねたのか、こちらも全然」


な、なんだって! 僕をはねたのが誰なのかもわからないなんて。


ーこれは、もしかして…。

僕は事故で死んだのではなく、殺されたのかもしれない。



窓の外では大雨がザアザアと降り始めていた。











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