第15話 ベネトン

1992年1月8日。天国と地獄のような冬休みが終わり、新学期がはじまる。

「よく考えたら、針のむしろじゃねーか!」

トーストにバターを塗りながら、僕は嘆いた。FOCUSとワイドショーのおかげで、この一連の騒ぎは、学校どころか世間に知れ渡っている。


近藤俊彦は、今日の午後2時に記者会見を開くらしい。昨日やってくれよ!

始業式に間に合わせて欲しかったよ〜。


クラスの大部分にとって僕とミキが付き合っているのは公然の事実であって…。

ああ、絶対「どういうことか」と質問攻めにされるのは不可避。

こっちも記者会見を開きたい気分だ。


「あんた、悪いことをしていないんだから学校休むのは許さないからね」と前日から母に釘をさされている。


「タクヤ、わからないことはわからないと言っておけばいいのよ。余計なことは言わないで、堂々とするのよ」とガッツポーズをして玄関で送り出してくれた。



学校では、意外なことに誰一人「ミキ」のことに触れる人はいなかった。ただ、僕が教室の入ってきた瞬間、一瞬静けさがあったが。ただし、一人だけ空気を読まないやつがいた。


「おまえ、松村に見事に二股かけられて無様だな。弄ばれたんだな、うひひ」

と、とてもうれしそうに声をかけてきたのだ。


僕のイジメの主犯となった、ケンジだ。ケンジの実家は不動産屋で、地元でも有名なお金持ちだった。勉強も良く出来る。都内でも有数のトップ校にも合格確実だと言われている。イケメンだし、スポーツもできるし。

人間恵まれているからといって、性格が良くなるわけではないのだ。


「まだわからないじゃないか」と僕は小さな声でつぶやいた。

「まだ? あんな派手に写真撮られているのを見てよくそんなこと言えるな。おまえ、ただの負け犬の遠吠えだぞ」


ーホント嫌なやつだ。でも何も言い返せない。これからミキの話を聞きに行くことになっているんだから。


チャイムが鳴り、担任の金沢先生が入ってきた。

「えー、今日は松村だけ休みだな」

なんだかホッとした顔をしている。担任なら心配しろよ、この事なかれ主義野郎!


「今日から3学期だ。受験直前期にも差し掛かっているから、くれぐれも慎重に生活をするようにな。特に、不純異性交遊は禁止だぞ」


少し笑いが起こった。今時「不純異性交遊」なんて言葉誰も使わない。

それだけじゃない。ミキのスキャンダルのことをいじっているんだ。嫌なやつ。


帰り道、周りをチラチラ見ながら、ササッと電話ボックスに入った。

Winkのテレフォンカードを入れて、ミキの家に電話をした。

「岩井です。ただいま留守にしております」のアナウンスが聞こえ、ピーっとなったあと、「もしもし、タクヤです」と言い終わらないうちにミキが出てきた。


「いま、学校終わったのね。あの、家に来てもいいんだけれど条件があるの」

「は?」

僕は、大きな声で言った。何が条件だ! 条件を言いたいのはこっちの方だ!

「ちゃんとコンドームを持ってきてほしいの」

「◯▲☓〜※!!!!!!」

この女、本当にエキセントリックすぎる。


「持ってこないと家に入れてあげないよ」

「ちょっと待ってくれよ〜。セックスなんてしなくていいよ。話を聞きたいだけなんだから」

「私のこと、大事に思うならばちゃんと持ってきて」

「うーん。わかった」


ガチャ。ってわかったなんて言っちゃってるよ俺!


実は、5,000円札をポケットに入れていた。

セックスするならコンドームが必要だって思っていたから。ミキとだったらそういう関係になってもイヤじゃないし、むしろ望んでいる。

ただ、僕たちは受験直前期の中学生だ。いまセックスをしていいかといわれると胸がいたい。でも、人間間違ってそうなることだってある。だったらコンドームが必要だ。


コンドームがいくらするのか知らないから、お年玉の残りを持ってきたのだ。それにしても、地元の中学生が制服を着てコンドームを買うのはかなりヤバイ行為だ。僕は公園のトイレで私服に着替えた。カバンの中から百貨店の紙袋を取り出し、そこに制服を入れた。


用意周到すぎる。そう、僕は下心満々だったのだ。


そして、薬局に入った。「コンドームどこですか?」と聞くのはさすがに辛いので、薬局の中をくまなく探した。隅っこのほうに申し訳なさそうにそのコーナーがあった。


「あ、これカラフルでカッコいい」僕はベネトンのコンドームを手にとった。値段は600円。思っていたより安かった。5枚入りと書かれている。

「5枚あったらいっか」と思うと同時に「こんなカタチでセックスしていいのかよ」という葛藤も同時に生まれてくる。男の生理と理性は不条理なものである。


僕は、サッと手のひらの中にベネトンをおさめて、レジに向かった。うつむいて顔が見えないようにした。


レジのおじさんは、黒い袋に入れてくれた。透けないように工夫してくれているのだ。

商品を受け取るときに、「あれ、君?」と声をかけられた。僕はビクッとしてベネトンが入った袋を奪い去り、道路に飛び出した。


その時、ダンプカーがすごい勢いで僕に向かってきた。

一度もスピードを落とすことなく。


1992年1月8日 午前11時53分のことだった。



























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