第11話 懺悔
到着した。そこは教会だった。5年ぐらい前に一度行ったことがあった。たしかバザーをやっていたような気がする。売上を全部アフリカの子どものために寄付をすると言っていたような。ただ、売っているものがあまりにもダサいから、母が「もう二度と行かない」とブーブー言っていた。
インターフォンには、「御用の方はいつでも押してください」と書かれている。
何気なく「いつでも」と書かれている文字に、心が暖かくなる。僕は迷わず、押した。
すると、いきなりおばあさんが出てきた。髪の毛は真っ白で三つ編みをしている。髪の毛と同じ色のセーターに、紺色のロングスカートだ。高価なものを身に着けてそうにはないけれども、とても優しい中に高貴な雰囲気がある。
「こんばんは、今晩は寒いのでおあがりください」
「えっ」
まだ、僕は何も名乗っていない。こんなに簡単に人を入れていいのかよ。
「あの、こんな夜分遅くに来てすみません。実は、お部屋にあがりにきたんじゃないんです。僕は人を探しているんです。」
「知ってるわよ」
「ふぁ?」
「多分、あなたが探している人は、中にいるわよ。どうぞお入りになって」
玄関先には茶色のスリッパが何十足もならんでいた。
「どれでもお履きになって」
「ありがとうございます」
僕は、一つを手に取り、スリッパに足を入れた。
おばあさんが一つの扉に手をかけた。
その扉には、プレートがかかっていた。こんなことが書かれている。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます マタイ伝11:28〜30」
扉をあけると、50人は座れそうな木製のベンチが整列よくおかれていた。
前の壁には十字架が大きく飾られていた。
その隣にはオルガンが置いてあった。全てが木のぬくもりで満ち溢れている。
一番前にひざ掛けをして座っている女の子がいた。
「ミキ!」僕が叫ぶと、一瞬彼女はビクッとした。そして、そーっと後ろを振り向いた。
「タクヤ、どうして」
ミキはうさぎのように真っ赤な目をしている。鼻もグジュグジュしていて、いつものような華やかさはない。僕は走って彼女のところに向かった。
「もう! 何やってるんだよ…」
「ごめん、ごめんね」またミキは泣いた。
そこにおばあさんが現れた。
「ふたりともこれで髪の毛をふきなさい」
フワフワのタオルを手渡してくれた。
「ミキさんは今日お泊りするならば、おうちに電話をしなさい。
私もお話してあげるからね。
しばらくふたりきりでお話なさいね。お話が終わったら呼んでね」
おばあさんは、そう言ってすぐにドアの外へと去っていった。
「おばあさん、この教会の牧師さんなんだって」
「え、牧師ってさ男の人がなるんじゃないの?」
「なんか、大丈夫なんだって」
「へぇ」
そんな話はどうでもいい。聞きたいことを聞こう。
僕はもう覚悟をしているんだ。何が来ても受け止めるんだって。
「ミキ、どうして家を飛び出したんだよ」
「うん…、あの…。あ、でもここで話すような話じゃないかも」
「いや、もうね。ここで話さないならどこで話すんだよって感じだよ」
「そうだよね。話す」
ミキは深呼吸をした。僕は息を呑んだ。なにが来ても覚悟するんだ。
「じつはね、うちのお母さんと岩井さんが結婚することになったんだ」
「え、そうなの!?」
僕は一瞬喜びを隠せなかった。岩井さんの彼女ってミキのお母さんだったんだ。だから「カオリ」とか呼び捨てしていたんだ。え、でもそれって…。
「ミキ、岩井さんのこと好きだったの?」
「うん」
目の前の十字架が自分の頭に落ちてくるような衝撃と暗闇が僕を襲いかかってきた。渋谷デートに岩井さんを連れてきたのも、僕の家まで見送りさせたのも、ミキが気持ちを引くためだったのだろうか。
ももの上に置いたこぶしをギュッと結んだ。なんてことだ。
僕の異変にミキは気づいてハッとしたようだった。
「あ、でも誤解しないで。今はあなたのことが好きなの」
「本当に? 岩井さんから僕に乗り換えたのはいつ?」
「ヤダ、ひどいこと言わないで。岩井さんとは去年に終わったの」
「ん、なになに? 去年に終わったってなんだよ」
今は僕のことが好きだけれど、岩井さんとは去年に付き合ってたってことなのかよ。ちょっとなんだよそれ。
「あのね、去年ね映画が一本決まりかけたの。私は主役じゃなくて、準主役で、学園モノだったの。これで本格的にドラマデビュー出来るかもってワクワクしてたの。
でも、主役の子がスキャンダル起こして、映画が全部流れちゃった。それが悲しくて、もう仕事やめようかなっていうところまで気持ちが落ち込んじゃったの。
その時に、岩井さんが励ましてくれたんだけれど、私はスネちゃってね。岩井さんを困らせたくなっちゃったの。
それで、『今ここで私の事抱いたら、仕事続けてあげる』って言ったの」
え、なんかすごいんだけど。どういう思考回路でそうなるんだ?
「岩井さんにとって、私は商品でしょう。商品に手をつけちゃいけないじゃない。でも手をつけないと商品がダメになっちゃうわけ。困るでしょう」
「そりゃ、そうだな」
めちゃくちゃな話なんだけれども、妙に納得できる。
「で、岩井さんはね、私を抱いちゃったわけ。しかも楽屋の中でね。今ここでって話だったからね」
「ひえー!」
僕は変な声を出した。覚悟をしていたとはいえ、とんでもない話過ぎて驚きまではおさえきれない。
「でね、そこでね。私一気に冷めたの」
「なんでだよっ。ミキのほうがめちゃくちゃ無理難題言っているのに」
「めっちゃくちゃ痛かったから」
ボン!
僕はまた耳まで真っ赤になってしまった。そして両手で顔を覆った。
「初めてだから優しくしてくれると思ったのに、痛いって言ってるのに無理やりだったし、なんか終わった後も嫌だった。結局この人自己中心的なんじゃないかなって」
「女って怖いな」
それしか僕の口から出てこなかった。
ミキは「ふふ」っといたずらっ子のように笑った。いつものミキに戻りつつある。
「まさか母と岩井さんが付き合っていたなんて知らなかったの。今日、結婚するって聞かされてね。自分のやったことの罪の大きさに驚かされて。どうしたらいいのかわからなくて、逃げちゃった」
「そうか」
なるほど、そういうことだったのか。この際だからもう1つ聞いちゃおう。
「あのさ、ミキ」
「うん」
「しゃぶしゃぶ食べるとき、泣いてたじゃん。アレなんだったの?」
「あー、あれね。私ってさお父さんが最初からいないの。お母さんはお父さんと結婚していないの。だから、一家だんらんであんな風に鍋をつついたことなくて…。
私にもお父さんがいたらなぁって思ったら涙が出てきたの」
「なるほどな。しかし皮肉にも岩井さんがお父さんになっちゃうのか」
「そうだね…。なんかもうどうしようって感じ」
ミキは髪の毛をタオルでぐしゃぐしゃっとして、ゾンビのマネをした。
僕たちは笑いあった。本当は笑い事じゃないんだけれども、笑うしかなかった。
「辛くなったらさ、今度から僕の家に来てくれよ」
「ーありがとう」
その時、ドアが開いた。
「ミキさん、そろそろお電話をしましょう」
「はい」とミキがこたえた。何かふっきれた顔になっている。
話すことで楽になったんだろうな。本当はショックなんだけれど。
「君も、お電話しなさい。もう夜も遅いから泊まっていきなさい」
「え、いいんですか?」
「いいわよ。ここはね、逃れの家なの。どうにもならない人が時々飛び込んでくるから、布団は5人分ぐらい置いてあるの」
ーへえ、教会ってそんな使われ方もしているんだ。
隣の部屋は、リビングになっていた。僕の家の黒電話とは違い、今流行のFAX付き電話だ。しかもコードレス付きだ。おばあさんが最新機器をそつなく使いこなす。
「もしもし、ひまわり教会牧師の水谷です。こんばんは、ミキさんをお預かりしております。明日おかえしいたしますのでご心配なさらずね。
ええ、ええ、大丈夫ですよ。いまミキさんに変わりますね」
おばあさんがコードレスをミキに渡した。
「お母さん、ごめんね。急なことでどうしたらいいかわからなくて」
ーこれで一件落着だ。
おばあさんは、僕の家にも電話をしてくれた。なんと優しい!
「あんた、でかしたわね! よくがんばった!」母が電話越しにほめてくれた。
「ミキさんは私と一緒に寝ましょう。あなたはリビングでね」
よく見ると、テレビがない。そうか、ここはそういうところなんだ。
おばあさんは、ミキが芸能人であることも知らないかもしれない。
そして、僕たちは1991年にさようならをした。
僕が死ぬまであと7日。
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