第9話 なんで好きになったの?

「クリスマスケーキ買ってきたぞ―!」

 父が帰ってきた。銀座プランタンで1ヶ月前から予約をしていた6,000円もするケーキだ。

 クリスマスに大変なのはサンタだけじゃない。岩井さんだって、きっと1年前から高級ホテルのレストランの予約を入れていたに違いない。大人の男たちはこの日のために手間ひまかけることで、女たちに愛を示すのだ。


「お父さん、こんにちは」

ミキは、ダイニングから声をかけた。今日は渋谷デートの格好とは全く違う。真っ白のセーターにギンガムチェックのスカートに紺色のハイソックスを履いていた。髪の毛も三つ編みをしてアップにしているからウェーブが目立たない。唇もサーモンピンクカラーだ。もしかしたら、今日は何も塗っていないのかもしれない。


「君の分ももちろんあるから食べて行きなさい」

父は、ネクタイだけではなく鼻の下もすっかりゆるめていた。母が軽く父のほほをつねった。

「もう、男ってイヤね」と笑いながら、しゃぶしゃぶの準備を続けていた。


ダイニングには4つの椅子しか無いので、僕は学習机の椅子を持ってきた。となりには、もちろんミキ。僕のお向かいには父、その隣には妹、そしてお誕生日席には母が座った。


アルコールの入っていないシャンパンで、みんなで乾杯。

しゃぶしゃぶがスタートした。しだいに湯気がゆらゆらと部屋の中に広がっていく。


「ミキちゃん、遠慮なく食べてね。ほら、こーやってしゃーぶしゃーぶ」

と、母がミキに見本を見せる。もう、そんなことしなくてもいいんだよ。ミキは芸能人なんだからもっと美味しいもの食べてるよ。


「しゃーぶしゃーぶ」ミキがつぶやきながら肉を鍋に入れた瞬間、急に大粒の涙をポロポロとこぼしはじめた。


「え、ミキ姉ちゃん、泣いてるの?」

なんだよミキ姉ちゃんって。すっかり家族じゃねえかよ。


「あ、ごめんね。ちょっと湯気が目にしみたの」

ーいや、そんな涙じゃないじゃん。


一瞬沈黙が流れた。初対面のミキにこれ以上踏み込んでいいものかどうか、みんな迷っている。


20秒は経った。沈黙を破ったのは、意外にも父だった。

「たばこの〜けむりめ〜にしみただけなの〜♪」

突然、僕が生まれたばかりぐらいの古い演歌を歌い出したのだ。


母が「お父さんもう、それ湯気じゃないわよ」とふきだした。

みんなそれにあわせて笑った。


そして、僕は「しゃーぶしゃーぶ」といいながら肉を食べた。

そうしたら、みんなも同じように続いた。わが家族たちはこれ以上ミキの心に土足であがらないと判断したのだ。


「おばさん、なんでお父さんと結婚したんですか?」

ミキが、となりのお誕生日席に座る母に話しかけた。


「うーん…。なんでだろう。お父さんに結婚してって言われたからかな」

ーお母さん、逃げるのうまいな。


「じゃあ、おじさんはどうしてお母さんにプロポーズしたんですか?」

ーそりゃ、そういう流れになるわな。


「これ、真剣に答えないとだめかな?」

「はい、当然です。参考までに」

ーなんの参考だよ〜。

でも、僕もその話を聴いたことがない。そういえばなんでなんだろう。


「うーんとね、お弁当かな?」

「えっ」

「えっとね、こんなこと言うとおじさんのこと嫌なやつだと思われるかもしれないけれど…。おじさんね、恋を楽しむタイプの人間じゃなかったんだよ。すぐに結婚したかった。だからお嫁さん探していたんだ。それで、付き合った女性には全員お弁当を作ってもらうことにしていたんだよ」

「へぇ〜。てことは、おばさん以外にも何人かと付き合ったってことなのね」


なかなか、ミキは誘導尋問がうまいな。女性遍歴まで聞き出すなんて。

いつのまにか誰も「しゃーぶしゃーぶ」と言わなくなっていた。母以外はみんな父の様子をみている。母だけが、肉を食べ続けている。


「まあね、お父さんは職場でモテてたからね。私なんて本当に冴えなかったわ。遠視がきついから瓶底メガネ。ケント・デリカットみたいに目が大きくなっちゃうメガネよ。それに、おばさんパーマみたいなのかけてたしねぇ。手入れが簡単だから、あんな変な頭にしちゃってたわ」

「あら、おばさんは結婚してから綺麗になったんですね」

「あんた…。いい嫁になるわ」


ビシバシとミキをたたきながら照れている母。

よかった。家族の中にミキはすっかり溶け込んでいる。さっきの涙は気になるけれど。


「私は6人ぐらい付き合ったかな。みんなお弁当を作ってもらったよ。でもお母さんのものだけ違ったな」

「何が違ったんですか?」

「お母さんのお弁当だけ、明らかに夕飯の残りが入っていた」


みんな大爆笑だ。いかにもお母さんらしい。


「えー普通夕飯の残りなんてイヤじゃないんですか?」

「全然。むしろ大歓迎だよ。私の時代は結婚したら女性は仕事をやめなきゃいけなかった。僕の給料で家族を養わなければいけない。無理やりお料理上手に見せようと高い食材を使ったり、見栄を張ったりする人は恋愛なら楽しいけれど、結婚じゃ経済がもたないから。

 お母さんのお弁当は、夕飯の肉じゃがやひじき、干し魚を焼いたものが入っていたね。嫁にもらうならこの人だって思ったんだ」


お父さん、結局一緒にいてカッコつけずにいられる母を選んだんだな。とても良いセンスしてるよ。


と、ほっこりしていたら、突然、メグミがとんでもないことを口走った。

「ミキ姉ちゃん、じゃあミキ姉ちゃんはなんでタクヤのこと好きになったの?」

「げ! ミキ、答えなくていいよ」


というか、答えが怖い。こんな美人が僕の相手をするわけないっていう気持ちを押し殺してここまできたのに。メグミ、なんてことするんだ!


「うーんとね」

ミキのかわいいピンクの唇が動き出した。

心臓がバックバクする。外まで聞こえそうでこわい。


「思いやりがあるところ、かな」

「えー、嘘! お兄ちゃんって気が利かないな―と思うけど。例えば今日だって岩井さんを家に入れようとしていなかったし。なんか私、少しイライラしたよ」


ああ、やめてくれ。メグミはホント本質をついてくるからキツイ。


「あ、それは仕方ないの。そもそも今日は岩井さんを連れてこないっていう約束だったし。タクヤがびっくりするのも無理もないの。家に行くところ写真に撮られていないか見張っておかないとって言われたから、断りきれなかった私が悪いから」

「ふーん。岩井さんはお兄ちゃんの恋敵ね」


ーこれ以上言ったら、あとでしめるぞ、わが妹よ。


「タクヤは、学校でいじめられっ子をクラスのボスグループから救ったの。タクヤくんが今度いじめられるかもしれないのに、かばっていたの。私、それを見て、なんか心にジーンときちゃって。そこで恋に落ちちゃった」

「へー! お兄ちゃん、勇者じゃん!」

「なんだよ、勇者って。ドラクエかよ」


「じゃあ、お兄ちゃんは、ミキ姉ちゃんのことなんで好きになったの?」

「それは…」

ー本当はミキのほうがすごい。クラス全体を敵に回しても構わないぐらいの勢いで、僕を守ってくれた。その心の暖かな強さでやられたんだ。見た目じゃない。

でも、いじめの話は家族が心配するからなぁ。この話はしにくいなぁ。


「ごちそうさまー。これ以上はノーコメントね」

ミキが突然この会話を終わらせてくれた。僕がいじめられた話を家族にしていないことを一瞬でわかってくれたようだった。


「じゃあ、クリスマスケーキ食べましょうか」母がケーキを持ってきてくれた。ジングルベルを歌いながら、切り分けて、みんなで食べた。


ー次の年も同じように笑い合えると思ったのに。

僕が死ぬまであと15日。


















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る