第3話  飯島愛と缶ペン

「このクラスにはイジメがあります!」

机を突然バーン!と叩き、一人の女子が立ち上がった。


1991年、9月9日6時間目。ホームルームでのことだった。


いじめはダメっていう女子って時々いる。たいてい学級委員のように正義感がもともと強そうな子だったりする。


でも、今回は違った。思いもよらない女子だった。松村ミキだ。


彼女は、学校に週に1回くるかこないかの女の子だった。

不登校というわけではなく、現役の芸能人だったのだ。時々トレンディドラマにもヒロインの妹役、コマーシャルにも出ている。ティーンズ誌のモデルもやっていて人気ナンバーワンだった。もちろん、学校でも有名人だ。


黒髪ロングヘアを黒ゴムでまとめず、整髪料禁止の校則をあざわらうかのように、前髪はフワフワと立ち上がっている。

どうみても唇だって赤すぎる。でも誰も彼女を注意する人はいなかった。なんというのか、子どもも大人も圧倒してしまうようなオーラというかパワーが内側からあふれていた。


その彼女が、とつぜん「イジメ」なんてホームルームの時間に持ち出したものだから、教室中がどよめいた。


「山本くんの筆箱、新学期になってからもう2回も変わっているよね。それに今日も午後からペンケース持っていないじゃない。どうしたの?」


ーえ、なんで僕の筆箱がなくなっている回数わかってるの?

僕の席は一番前のど真ん中だ。彼女の席は、一番後ろの右端。前の席だって同じぐらい離れている。


彼女のほうを振り返りながら呆然とした。すると、彼女は教室の後ろの隅っこにあるゴミ箱のほうに歩いて行った。


膝上20センチぐらいの超ミニのスカートがフワフワと揺れる。美しい脚にクラス中の男子たちがぐっと唾をのみこんだ。


そしてゴミ箱の前に立ち止まった。

長い手がぬーっと伸びて、ごみ箱の中にずぶずぶと沈んでいった。

同時にごみがわさわさ~っと周りにざら紙やらパンの残りやらあふれでてきた。


後姿しか見えなかったけれど、彼女の腕はクロールの選手のようにぐるぐると回転し、水しぶきのかわりにごみがあちこちに散乱していく。


「痛い!」とか「くそ!」とかいいながら、腕の回転は止まらない。

担任の先生も僕たちもみんな金縛りにあったかのように、彼女の様子をただただ眺めていた。


「あった!」彼女が右手に取り出したのは、僕の筆箱だ。

彼女はくるっと振り向いて筆箱をめいいっぱい持ち上げた。


「私、この筆箱を捨てた人、知っています!」

遠くて確認できないが、おそらくセーラー服の袖はドロドロだろう。

僕は、涙が出そうになった。


が、次の瞬間別の理由で泣きそうになった。

「おい、飯島愛の筆箱だぞ、それ・・・」


え?

僕の筆箱はカウンタック柄のシルバーの缶ペンのはずだ。


僕は猛ダッシュでミキに近づき、缶ペンを見た。

カウンタックのドアのところにTバック姿の飯島愛のシールが貼ってあるではないか!


「最低」「へんたーい」「山本君、気持ち悪い・・・」

ざわざわとした中から何人かの女子の声が聞こえてくる。

僕じゃない、僕じゃないんだよー!

誰かが勝手にやったんだ、僕の大事な缶ペンに。


「ちょっと待って。こんな目立つところに普通エロいシール貼らないでしょう。

 これも嫌がらせよ、絶対」


彼女は、ようやく持ち上げた右手を僕の胸に近づけ、

「こわれてないみたい。洗ったら使えるよ」と筆箱を渡してくれた。


僕はサササっと後ずさりしながら席に戻り、カウンタックを奪った飯島愛に復讐をすべくシールをはがし始めた。当然ベッタリとくっついていて、なかなかはがれない。一生懸命削るんだけれど、見ようによっては、お尻を触っているように見えるのが悲しい。


「金沢先生、山本君が勝手に筆箱を捨てたり、ましてや飯島愛のシールを貼った筆箱を学校に持ってくると思いますか?」

「うーん…誰がやったんだ。先生怒らないから、出てきなさい」


キューピー人形のように薄毛が進んでしまった43歳の金沢先生は教卓からやっと声を出した。

「だーかーら、先生、私は犯人知っているって言っているでしょ!」

「証拠がない、証拠がないじゃないか。勝手に決めつけてはいかん、証拠がないのだから」


また出た、証拠だ。

いじめられていることを相談しに行っても、「証拠がないと先生は動けないよ」とお茶を濁されて以来、先生との関係は気まずかった。


いじめのきっかけはささいなものだった。授業中にサッカー部でモテモテの3人組(トオル、ケンジ、ユタカ)がふとっちょの女子マキコの背中に向かって消しゴムをなげていた。それがエスカレートして、ノートに的の絵を描いたものを背中に貼り付けるようにもなっていた。マキコは僕の隣の席で傷ついていつも目に涙をためていたのだ。


僕は、女の子をいじめる男が嫌いだ。ある日、消しゴムを定規で10等分に切った。いつものようにマキコに消しゴムを投げた瞬間、3人に向けて消しゴムを投げたのだ。投げられた人間がどんな気持ちになるのかをわかってほしいと思った。


でも、やり方がまずかった。3人の怒りを買ってしまい、イジメのターゲットは僕に移ってしまった。

「バイキンが通るぞ」「さわっちゃった汚い」とバイキンごっこの標的にされるようになった。

ある日、マキコが僕から席を離した。くっついているはずの隣がぽっかり空いている。マキコはケンジたちに命じられたとおり、僕をバイキン扱いすることにしたのだ。これは精神的にこたえた。


ー今日も先生は助けてくれないのか。

僕はうつむいて、飯島愛の胸にものさしをつっこんでシールをガリガリと削る作業に戻った。


「先生!」突然大きな声がした。ミキの声である。

「クラスの問題にも向き合えないからさ、いつまでも講師のまんまなんだよ」


バーン!びっくりして見上げた。先生が出席簿で教卓を殴った音だった。

「なんだと、松村! 生徒のくせに無礼だろ!」

「先生、私ずっと先生がそんな態度とりつづけるなら校長先生に今日の話をちくるね。それと、イジメた子たちの名前もちゃんと伝えとくよ」

「こ、これはクラスの問題だ」


ミキはその時、勝ち誇った顔をした。

「みんな聞いた? これクラスの問題ね。私も先生の言ったとおりだと思うよ。

 今年みんな受験でしょう。イジメをやったあんたたち、これ以上騒ぎが大きくなれば高校に行けないぐらいの内申点になるよ。もうこのへんでやめときなよ。

 先生、私これから仕事があるから帰るね。さようなら」

「松村、待て! まだ話は終わってないぞ」


ミキは静止する先生を見事に無視して、さっさとカバンを持って教室から去っていった。

と思ったら、顔を出した。

「山本くん、ハンドクリームをぬりこんだら、飯島愛は綺麗にとれるわよ」

「あ、ありがとう」


すると、スッとハンドクリームが目の前にあらわれた。

「これ、使って」

ーマキコだった。目には涙がポロポロこぼれていた。


家に帰ると、妹のメグミがリビングでいま流行りのティラミスチョコレートを食べながら、テレビを見ていた。

「ねーえ、なんか光GENJIみたいなのがまたデビューするみたいだよ」

「ふーん」


「僕たちSMAPです」と聞こえてくるテレビを後にした。


その日以来、僕はいじめられなくなった。












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