冬のすみか
砂原さばく
■
「そうだな、おれはそう思うよ」とカラスは言った。「おれは君がいるほうがいいけど、きっと帰ってこないだろう?」僕はそれには答えずに、ありがとう、とだけ言った。
「構わないさ、」
いつものことだからね。僕はもう一度、ありがとうと言った。
近頃、風はこれまでにないくらい冷たかった。新聞を取りに出れば息をするはしから鼻は赤くなったし、指先はかじかんでうまく動かなくて、急いで家に戻ってあたたかいコーヒーのカップでゆっくり溶かさなければいけないほどだった。夜中、窓をノックする音で目が覚めると、どういうわけかカラスの友達が窓枠にはりついていたこともあった。どうしてそんなことになったのか僕も彼もわからなくて、無理やりはがすのもやめた方がいいかと思っておろおろするばかりで、カラスがいなければふたりとも朝までそのままだっただろう。さいわい、カラスがその原因は「コーリ」だと教えてくれて、言われるがままお湯で窓枠を温めたので、カラスの友達は窓枠から解放された。
とにかく、こんなことは今までになかった。僕たちの町はその話でもちきりだった。出会う人々は最近自分の身に起こった気味の悪い出来事を口にしたし、とくに不思議な事件は新聞に載せられた。カラスの友達が窓枠にはりついてしまったことも新聞に載った(たぶん、彼が新聞屋に行ってしゃべったのだろう)。その原因は風が冷たいせいだとみんな思っていた。なぜなら、こんなことは今までになかったからだ。
カラスの友達の事件があった次の日、僕はカラスに「コーリ」について尋ねた。家を持っていなかった昔のカラスはあちこち旅していたから、僕や他の人たちが知らないいろいろなことを知っていた。カラスは、水が冷たくなりすぎるとコーリになると教えてくれた。コーリはまわりのものも一緒にくっつけて固まってしまうが、温めると水に戻るとも教えてくれた。
それから毎日、仕事を終えてベッドに入る前、僕はカラスの話を聞いた。カラスはいろんな話をしてくれた。ここよりもずっと暑い場所の話や、木が一本も生えていない場所の話、川よりももっと広い水の話、そして寒い場所の話。面白かったのは、キセツの話だった。
「キセツにはハルと、アキと、ナツと、それからフユがある。ここは年がら年中ハルみたいだ。最近寒いのは、フユが来たせいだと、おれは思うよ」
「フユは、どこから来たんだ?」
「さあ。キセツはいつもやってくるが、どこから来るかは誰も知らない」
「どこに帰るのかも?」
「そうさ。それに、いつ来るか、いつ帰るかもね」
その夜、僕は眠れなかった。自分の目で、カラスの話を確かめてみたかった。ひょっとすると、フユがどこから来てどこに帰るのかわかるかもしれないと思った。カラスのように旅に出たいとそればかり考えていた。僕はカラスの話をねだるのをやめて、一生懸命仕事をした。暮らすのに必要なものを書きだして、それを入れられるだけの鞄を探した。カラスには何も言わなかったけれど、たぶん、彼は気付いていた。
「いつ、出発するんだい」
ある日、カラスが訊ねた。僕が新聞を取って戻ってきた時だった。すっかり固まってしまった手で、赤くなった鼻をこすりながら、「今日にするよ」と僕は答えた。ふうん、とカラスは言った。
「君が訊いてきた時にしようと思ってたんだ。この家は、君にあげるよ」
それから僕は準備していた鞄にいろんなものを詰めた。服と、下着と、ハンカチと、マグカップと、ナイフと、歯ブラシと、とにかくいろんなもの、僕が暮らすのに必要だと思ったものだ。鞄はすぐにいっぱいになった。最後にペンと紙を入れた。これが一番大事だと僕は思っていた。
「手紙を書くよ。フユのすみかを見つけたら」
「楽しみにしてるよ」
家を出て、庭の柵を開けようとしたところで振り返った。カラスはじっと僕を見ていた。言葉を交わさなくても、それで十分だった。さよならと言うかわりに、僕はカラスに訊ねた。
「この町の外にも、君みたいなカラスはいるかな。君の話をして、お願いしたら、君に手紙を届けてくれると思う?」
「そうだな、おれはそう思うよ」とカラスは言った。
そうして、僕は旅に出た。
冬のすみか 砂原さばく @saharasabaku
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