エピローグ

夢を叶えるためにできるいくつかのこと


 一年。

 道を間違えた俺が、自分を正しい場所に戻すために与えられた時間が一年だった。

 長いようでいて、一年というのは、振り返ればあっという間で、想像していたより長くはなかった。

 そりゃあ、苦しいときもあったし、泣いたときもあったけど。闇に纏わりつかれていたときに比べたら全部ずっとマシだった。

 最初の一ヶ月は、怪我のこともあったし、更生施設のスケジュールやこの建物内でのルールその他をおぼえるのに手いっぱい。

 二ヶ月めからは、怪我があらかた治ったしと、そのスケジュールをこなすことに手いっぱい。

 三ヶ月めからようやく流れを掴んできて、定期的な運動にも参加できるようになり…と、そんな感じだ。あとは更生施設から出られるようにと意識して、それに必死で、すべてのことに全力で取り組んだ。その結果、月日は飛ぶように過ぎていった。

 一週間に一度の十分程度の面会時間に、葉山はやま先生は必ず来てくれた。そして、必ず、俺を励ましてくれた。

 許可の下りたものは差し入れとして持ってきてくれた。

 先生がくれたドラゴン学の教科書は、ボロボロになってページが擦り切れるまでたくさん目を通した。

 あの人はこんな俺でも見捨てなかった。

 失恋程度で自暴自棄になって、自分の落ち度のせいで結果的に両親まで殺すことになってしまったどうしようもない俺を見捨てなかった。

 先生は、俺にいていたという通称『蛇』という悪神あくしんも善神へと戻したらしい。だから俺は俺を取り戻すことができたのだ。

 俺の行き過ぎた行動と両親の死は蛇が関与していたことだ。でも、だからって、俺にまったく責任がないわけじゃない。発端は俺の弱い心なのだから。


「エディ・シェフィールド」

「はい!」


 フルネームで教官に名を呼ばれて、背筋を伸ばして返事をし、パイプ椅子から立ち上がる。

 今日は俺が更生施設を出られる、卒業の日だった。俺の一年の頑張りが認めてもらえたのだ。

 強化ガラスの向こうには先生がいて、俺が証書を受け取る様子を見ている。

 教官は俺に証書を手渡すと、眼鏡を指で押し上げた。


「いいかねエディ」

「はい」

「君は確かにここを出る。だが、それがイコールで社会復帰となるわけではないことは、憶えておきたまえ」

「一度失った信用を取り戻すには、時間と誠実さの積み重ねが必要。…でしたよね」

「よろしい」


 教官は頷くと一歩下がって俺に敬礼した。すぐに敬礼を返す。

 強化ガラスの向こうへ続く、分厚くて丈夫な扉に複雑そうな鍵が差し込まれる。その上で認証のための端末をかざし、コードを入力しなければ、この扉は決して開かれない。

 重い音を立てて開いた扉の向こうで「エディ」と手を振る先生がいる。

 ぐっと唇を噛んで感極まった気持ちを堪え、一年間お世話になった施設と教官へと九十度頭を下げた。顔を上げて、一つ頷いてみせた教官に背を向け、扉の向こうへ、先生の待つ世界へ、一歩を踏み出す。 



 体力を作るための運動や、社会貢献のための軽作業で外には出ていた。けど、それも塀の中。遮るもののない…というと語弊があるけど、塀に囲まれていない外の空間というのは、一年ぶりだ。

 先生は俺の着替えも持ってきてくれていたので、俺は贅沢にも新品のシャツやコートを羽織って、新しい靴で、気持ちを新たにコンクリートの地面を踏むことができた。

 …面会のときは、十分しかないからって、話す内容や時間を考えたりして、ちゃんと喋れていたんだけど。制限時間もなくて、これからいくらでも先生と話ができると思うと、うまく言葉が出てこない。頭が真っ白。そう、そんな感じ。

 口を開けては閉じて、開けては閉じて。うまく喋れない俺に、先生は苦笑いしてぽんと頭を叩いた。「とりあえず、おかえり」と言われて、じわ、と視界が滲む。


「あ、」

「ん?」

「ぁりがとう、ございました」


 うまく言えないままぺこりと頭を下げる。そんな俺に先生はまた苦笑いしてるみたいだ。


「エディはまだまだやることがあるし、今後も俺との関係は切れないよ。

 あの一軒家、住む気がないなら競売にかけるなりしてエディの資金に変えないといけないし、学校への復学手続きもあるし、そうなるとどこから通うのかってことにもなるし…」


 この現在いまで手いっぱいの俺とは違い、先生は俺の先のことまで見据えていた。

 …今後も関係は切れない。そんな部分に安心している自分が我ながら女々しい。

 顔を上げたところで「せんせーい!」と聞き覚えのある声がした。「アウェンミュラー、柳井やない」先生が応えて手を振る声に、ギクリと体が固まる。

 アウェンミュラー。柳井。自然と一年前のことがフラッシュバックしてしまう。

 極端な話、俺は、怖かった。二人の反応が。

 何せ、一人は危うく殺しかけ、一生残る傷をつけて、一人は俺をフッたのだ。今にして思えば中身のない薄っぺらな自分はフられて当然だと頭では理解できる。けど、感覚としては、まだ、ごちゃごちゃだ。

 痛いくらいに鼓動する心臓を感じながらそっと、慎重に、振り返る。二人がどんな顔をしていても受け入れるつもりで。

 柳井わたるという俺の先輩に当たるダサかった人に、あの頃の面影はなかった。まっすぐ前を見て、ダサくない眼鏡をして、髪もパーマがかけられている。

 アウェンミュラーの方はあの頃と変わらず、風に暴れるきれいな金髪を片手で押さえていた。そしてもう片手に

 目を剥く俺に、先生がこう説明する。「色々あって、アウェンミュラーは子供ドラゴンの親なんだ。まだ小さいからどこへ行くのもああして一緒」「それは……ええと」想像もしていなかった現実に思考がついてこない。

 二人は駆け寄ってくると、まずアウェンミュラーが俺の前に立った。コホン、と咳払いをする。


「あなたは私の一つ上の学年でしたけど、更正施設の一年間で学歴が止まっているので、今年から復学するなら、私と同じ学年です」

「あ、ああ。そうなるか」

「そうです。それで、これだけは決めていたの。エディ、目を閉じなさい」


 言われるまま目を閉じて、パチン、と軽い音で頬を叩かれた。

 叩くなら、もっと思いっきり叩かれると思っていた俺は薄目を開けて彼女を窺った。目が合うと、彼女はにっこり笑顔を作る。「これで恨みっこなしにしようと思ってました。私からは以上です」アウェンミュラーがきれいに一礼して下がると、今度は柳井先輩が進み出てきた。…俺が刺してしまった相手だ。殺しかけた相手だ。覚悟を新たにする。


「エディ」

「はい」

「うーん、色々言おうと思ってたんだけど…。とりあえず、僕は君のことを恨んでいないよ。あの頃の僕にも落ち度があったのは事実だから。ただ、もうあんなことはしないでね、とだけ言いたいかな」

「…はい」


 そう言った先輩も笑顔を作った。笑顔を作ってみせた。

 俺が変わろうと決めて頑張っている間、二人も頑張っていたのだ。恨まれても仕方がないと思っていた俺を許せるような強さを持つため、頑張っていた…。

 二人は、俺の左右からそれぞれ俺の手を握った。一年前のことを水に流した。その強さと優しさが、俺にはとても嬉しくて、涙がこぼれた。




 先生の言う『最低限しておいた方がいいこと』の手続きをすませ、俺は寮から学校に通う選択をした。

 ちょうどアウェンミュラーのいる寮の部屋がいくつか空いていたから、知り合いがいるのは心強いと、俺はその寮から学校へ通うことにした。

 アウェンミュラーは、寮の中でも当たり前の顔でドラゴンを抱っこしながら生活していた。なんでも、それが嫌な生徒がここから出ていったことで、部屋が空いている状態が続いているらしい。

 朝食を持ってきたアウェンミュラーがソファに座る。「ありがとうエディ」手を伸ばされて、膝に抱えていたドラゴンをその手に返した。俺の膝の上ではもだもだと落ち着かなかったドラゴンの子供は、リアの膝の上では人形みたいにいい子にしている。


「ドラゴン、連れ歩いて大丈夫なの?」

「オメテオトル、ブリュンヒルデの許可はもらってるわ。もちろん色々条件はあるけどね。

 それに、これは私の挑戦でもあるの」

「挑戦…?」

「ドラゴンは、犬猫とは違うわ。今は私より小さいこの子も、いずれは片手で抱くことも難しくなって、将来私が乗れるくらいに大きくなるでしょう。空を飛べるようになって、火も吐けるようになるかもしれない。

 そうなっても、私とこの子には家族の絆があって、信頼があって、それは種族や力の差を前にしても築いていけるものだって、証明したいの。私はそのために生きるの」

「………アウェンミュラーはすごいな。俺が将来性がないって言われるはずだよ。君の目標、高いもん」


 素直に感心してぼやくと、アウェンミュラーはにっこりいい笑顔を見せた。

 …やっぱりかわいい子だと思う。そして、覚悟を決めながら生きているその姿は、なぜか俺の目を惹く。この子が柳井先輩しか見ていないとしても、陰ながら、できることがあったら支えてあげたいとも思う。

 小さなドラゴンにご飯をあげているアウェンミュラーを眺めながら朝食を食べ、学校へ行く支度をする。

 二人の邪魔をするのはちょっとなとは思ったけど、まだ人目を気にせず一人で歩く自信のない俺は、大人しく二人の後ろについて登校した。

 時折話しかけられては答えるけど、基本的には二人に並ばないで、後ろから眺めているだけだ。

 先生が気遣ってくれて、アウェンミュラーと同じクラスで同じように授業を受けられる。それだけでも緊張の度合いは違う。

 休み時間は彼女が俺のことを気にしてドラゴンを抱っこしながら話しかけてくれる。昼食も、放っておけば食べる相手のいない俺を誘い、先輩と三人でご飯を食べようと言ってくれる。

 そうだ、と手を叩いたアウェンミュラーは俺へと身を乗り出すと(反射的に俺は体を引いていた)、「エディ、ドラゴン学受けなさいよ」「え?」「葉山先生に会いたいでしょ?」ギク、と体が固まる。「いや、別に、そんなことは」しどろもどろになる俺にアウェンミュラーはにんまりと意地悪な笑顔だ。ドラゴンまでそれを真似してるのがなんかムカつくぞ。


「ドラゴン学、受講しないかって誘いだよ。大学生の授業にはなるけど、リアが受けられてるように、エディも受けられると思うよ」

「…本当に?」

「嘘言ってもしょうがないわ。来なさいよ。高校の退屈な授業より、こっちの方が身になるわ」


 擦り切れるまで読んだ教科書のことを思い出し、二人の申し出に、俺は素直に頷いていた。

 案内された大学棟の、小さな講義室。そこには俺達の他に先客がいた。日本美人を体現したような男女の二人組だ。顔がそっくり同じことを考えると、双子、なのかもしれない。

 自分の名前は更生施設送りになった人間の名として広まっている。自己紹介し、二人の反応に緊張したが、なんてことはない。「弟の櫛名田くしなだ幸人ゆきとです。こっちは姉のいのり。彼女はまだ英語を勉強中だから、あまり通じないかも」…いたって普通の、むしろ淡白な反応を返された。それはそれで、解せない。

 緊張しながら席に座って待っていると、やがて講義室の扉が開いて、葉山先生がやって来た。俺の姿を見つけると「お、来たか」と笑う。


「それじゃ、授業を始めますか」

「はい」


 何人もの声が重なって、先生による授業が始まった。

 そこで俺はふと気付いてアウェンミュラーの膝の上でじっとしているドラゴンを見やった。「そういえば」「ん?」「その子、名前は?」今更といえば今更な問いかけだ。が、アウェンミュラーは気を悪くしたふうでもなく、エヘンと胸を張って言う。


「やっと聞いてくれたわね。心して聞いて。私が三日三晩悩み抜いて考えたのよ。

 この子の名前はね…」




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