4.


 ドラゴンとしては変な話だが、俺は物心つく前から育て親で人間であるミドリと同じになろうとして、誰に教えられたわけでもないが人型で行動していた。

 寝るときも、飯のときも、遊ぶときも、ミドリが『親』で、『人間』で、彼女の子供である自分もと思ってそう振る舞うのは不思議なことじゃないだろう。

 ミドリは早くに俺の勘違いに気付き、俺がドラゴンであること、なぜ人間である自分が親なのかということを俺に説明した。俺の本当の親はもう死んでしまったこと、その母親に頼まれて俺の子育てを決意したということ…。

 当時の俺は今よりガキだったので、彼女の言葉を理解するのにかなり時間を要した気がする。

 俺が自分を人間だと勘違いしたまま生きれば、どこかで致命的な間違いが起きると、ミドリは判断したんだろう。

 それはそうだ。人間の子供がゲップして鼻から火を噴くわけがないからな。ミドリが俺に本当のことを打ち明けたのは正しいことだったと思っている。


『セイ』


 俺に『青玄せいげん』と名付けたのはミドリだ。まだ卵の俺を世話しながら名前をたくさん考えていたらしい。候補もリストに書き出したとか。その中で『青玄』を選んだのは、俺の鱗の色を見て、だそうだ。

 俺の鱗はラベンダードラゴンという種類の母親にはあまり似ていない深い青の色だった。おそらく父親に似たのだろう。ドラゴンの容姿は力の強い方の血が色濃く受け継がれるらしいから。

 青玄の名前にはこんな意味があるのよ、とミドリがドヤ顔をしている。


『青玄の青の方はわかるでしょう? 空の青とか、川の青とか、ああいう青ね。あなたの鱗が青い色をしてるから始めは青に決まり。

 次が玄なんだけど、これにはすごい意味があるのよ。

 一つめは色ね。『赤または黃を含む黒色』

 二つめは、セイにはちょっと難しいだろうけど、『老荘思想で説く哲理』というのが含まれてるの。曰く、『空間・時間を超越し、天地万象の根源となるもの』なり、なんてね。

 三つめは『奥深いこと』『深遠なおもむき』

 ようするに、青い鱗を持った君が、すごくいい子になりますようにって意味よ』


 今にして思えば、名前の付け方がそれは何か違わないかと思うが、当時の俺は今よりガキだった。ドヤ顔のミドリに素直にうなずき、そうか、そんなすごい意味があるのか、と目を輝かせたものだ。

 …今の俺はあの頃よりガキではなくなった。

 俺は現実を知った。俺を愛してくれたミドリを容易く奪ったこの世界の非情な現実を目の当たりにした。

 世界にミドリを奪われて、俺は、笑わなくなった。

 ミドリが『セイの成長記録』として撮っていた録画映像。それだけがかつての俺とミドリを映す唯一のものだ。そこで俺は馬鹿みたいに笑っているし、ミドリも馬鹿みたいに一緒に笑っている。そんな毎日の、どうでもいいことを映した映像の群れ。まるで映画のワンシーンみたいに、それはもう遠くて届かないものだ。たとえ手を伸ばしても、指先は硬い液晶画面に触れるだけ。

 たったこれだけの景色が存在し続けることも、この世界は許してくれなかった。

 ミドリは俺を全身全霊で愛してくれた。種族の違いなんて感じないほどに愛してくれた。姿形が違う、それがなんだ、とばかりに愛してくれた。

 きっとこの先の俺の生で、ミドリほど俺をまっすぐ愛してくれる誰かは現れないだろう。

 おうが部屋にいないのをいいことに、俺はあの家から持ち出してきた少ない品の一つ、古いタイプの携帯端末でかつての自分とミドリを眺めていた。

 ミドリが大切に使ってきた端末は、今では生産が中止されている過去の世界の遺物で、この都市で普及している薄くて軽いタイプの端末とは違ってそれなりに分厚くてそれなりに重い。

 画面の中では、青い和龍がドラゴンの姿で床を這いずってミドリの手から逃げ回っている。幼い俺だ。まだ自我というものがないときの映像だろう。日付は今から五年ほど前のものになっている。

 ミドリはこの重い端末を片手にしながら俺を捕まえようと躍起だ。『こらセイ! 青玄! お風呂って言ってるでしょ! 観念なさいっ』俺は何か喚いて返してるようだが、言葉になっていない。その後ミドリは本気で俺を捕まえに出たのか、端末が机に置かれる音がして、映像がブツリと途切れる。

 …こんな何も知らない幸せなガキの頃が確かにあった、という現実を奥歯で噛みしめる。

 だからこそ俺は、この世界を、ドラゴンを、自分を、ゆるさない。



 いつの間にか眠りこけていたらしく、目を開けたときにはミドリの端末は静かになっていた。…古いタイプの端末だから、電池のもちは当然よくない。電池切れで自然と画面が消えたみたいだ。

 充電器と端末を繋いで、当たり前のように人の形を保ったままの自分の子供の手をかざす。

 …もうこの手を握って一緒になって駆けずり回ってくれる彼女はいない。


「セイや」

「、」


 声、にはっとして布団から跳ね起きる。

 いつからそこにいたのか、言葉を発するまでまったく気配を感じさせなかった應が暗闇の中でぼんやりと立っている。應の癖の強い新緑の髪は、風の中にいたせいか、いつもよりあちこちに跳ねているような気がする。ただでさえボサボサだっていうのに。


「…かざんばいへのむかいかぜは? もういいのか」

「もういいのじゃよ。夜明け前じゃ。火山灰の影響範囲からは無事抜け出した。エリュシオンに被害らしいものはないはずじゃ」

「そうか…」


 そうか。夜明けまで寝ていたのか、俺は。

 もそもそ起きてきた俺に、應はいつものように掌の上で水を沸かしてお湯に変え、お茶を用意した。

 何か言葉をかけるべきなんだろうが。とくに、何も思い浮かばない。まだ頭が寝ているのかもしれない。

 應がソファに座った俺の前に湯呑みを置いた。テーブルに置かれた湯呑みを黙って両手で持ち上げて中身を一口飲む。…昆布茶だ。ミドリが、日本を感じるから好きだって、梅昆布茶とかを好んで飲んでいた。よく知っている味。

 向かい側に座った應がズズズと音を立ててお茶をすすった。大げさにぷはっと息を吐いて「あいや、身にみるの~! エリュシオンの真上は寒くてなぁ。やはり茶はいいものだなぁ」と一人で喋って頷いている。

 いつものおちゃらけた應だ。半日以上力を使い続けて集中していたとは思えないそのいつもどおりさに、感心を通り越していっそ呆れる。

 じじいのくせに若者面して、そのくせやっぱりじじいの喋り方をする、よくわからないじーさんだな。

 そのじじいはふと真顔になると、「セイや」と若干声を潜めた。「…なに」なんとなく、こちらも声を潜める。應は真顔のまま「実はの、教えておきたいことがある」と言った。…俺だけに教えておきたいこと……?

 なんなんだ、改まって。

 なんとなく警戒する俺に、應は、にわかに信じがたいことを口にした。


「実はの。瘴気しょうきを一時的に封じ込める方法を発見した」


 俺は、たっぷり十秒ほど、應の言葉の意味を考えた。そして出てきた言葉は「はぁ?」だった。半分キレていた気もする。

 思わず湯呑みを放り投げたくなったがぐっと堪えて、自分を落ち着けるためにごくごくと中身を飲み干した。空になった湯呑みをダンっとテーブルに置いて應の方へと身を乗り出す。


「どういういみだ」

「言葉のままじゃよ。世界に蔓延はびこっている星の毒を一時的に封じ込める方法がある、と言ったのじゃ」

「なんだよそれ。きいてない」

「今言ったからのぅ」

「もっとまえからわかってたってことか。だったらなんでそういわないんだよ。そのほうほうとやら、にんげんはのどからてがでるほどしりたいはずだ」

「それはわかっておるよ。しかしな、この方法はできない。だから伝えておらなんだ」


 そう聞いて、肩の力が抜けた。ぼす、とソファに腰を落とす。

 それもそうか。そんな簡単にわかること、できることなら、これだけ文明を発達させてきた人間が気付かないはずがない、か。ドラゴンである應ならできる、瘴気を封じ込める方法がある、ってことか。

 俺はじろりと應を睨みつけた。今は真顔のこのじじいの考えていることがわからなかった。「なんでそれをおれにいうんだ」その方法とやらを有効的に活用できるのは、もっと力のあるドラゴン…この都市で言えばコウとかになるんじゃないのか。なんでガキでしかない俺にそんなことを打ち明ける必要がある。それも、俺にだけ、と、應は確かにそう言った。

 應は難しい顔を作って腕を組んだ。「コウはな、灼熱を操るドラゴンじゃからの。これには向かんのじゃ。何故なら、この方法は、ドラゴンの姿で石を呑み込む必要があるからの」「…いし?」「うむ。コウの胃袋は燃えているようなものじゃからなぁ。石を呑んだとしてすぐ溶かしてしまうじゃろう。それでは意味がないのじゃ」…よくわからない。石。石を呑んで、何するっていうんだ。

 應はちょいちょいと俺に手招きした。…仕方ないので内緒話の形作りに付き合い、應のそばへ行って耳を寄せる。


わしはこのためにちょくちょく地上に行っておったのじゃ。まだ毒されていない地中に、毒されていない大地の力を集め、大きな結晶とするための準備をな」

「ふーん」

「小さな原石の力は使ってみて知っておるな? あれのおーきなものを作ったのじゃ。儂の力を添えて、本来なら何百年とかかる結晶の過程を短縮させた。今地中では儂が作った大きな石がたくさん眠って出番を待っておる」

「…どうやってつかうんだ。そのいし」

「興味があるかの?」

「あるにきまってる」

「よし、よし。その答えを待っておったぞ」


 應はいつものおちゃらけた感じに戻ると俺の手に手を添えた。瞬き一つの間に俺は應のごちゃごちゃした部屋から本当に真っ暗な中に放り出された。コウよりも無理なくスムーズに瞬間移動させられた、らしい。

 警戒して周囲を見渡す俺に、「何もおらんよ」と應の声が言う。

 もとが地龍だから、應はそう炎が得意ではないが、他の色々なものでそれを補うことができる。

 ふうっと息を吹きかけるような音のあと、俺の上…つまり天井に当たる部分がぼんやりと光り出した。「…ひかりごけ、か?」「ひかりむしもおるぞ」得意げな顔をする應をスルーして、應が光る息吹を吐くことでその光を反射する天井を頼りに目を凝らす。

 石。確かに石だ。應がさっきまで言っていたように、そこにはかなりの大きさの石の結晶がゴロゴロしていた。應が継続的に何かの術をかけているのか、時折パキ、ポキ、と硬い音がして、石が成長しているのがわかる。形も色も様々な結晶体。これを、呑む?


「のんで、どうするんだよ」

「うむ。石を呑み込み、体内に留める。そして瘴気に触れる。

 長いこと触れていれば儂らであろうと毒される、と言いたいのじゃろ。わかっておる。それを利用するのじゃ」

「……?」

「体内に瘴気を感じたら、のじゃ。儂が何度となく実験した。ここにある結晶なら問題なく儂の言ったことを実行できるじゃろう。まぁ、慣れはあるがな」

「で、いしがヤバそうになったらはきだしてすてろってことか」

「そうなるの」


 なるほど。それは確かにコウじゃできっこない。あいつはこの結晶体ですら消化してしまうだろうから。

 ……應は問題ないって言ってるけど、本当にそんなことが可能なのか? 子供の俺に? まだ自分の力も充分じゅうぶん扱えてるとは言えないこの俺に?

 押し黙った俺に、應は肩を竦めた。「セイはまだ小さいからなぁ。儂ができることができんかもしれん。だが、大きくなればいつかはできるようになる」「…そうだな」それは確かにそうだ。今は無理だったとしても、いつかは。そう、いつかは、應だって越えてみせる。それくらいの自分でなきゃ赦せない。

 應が息吹を吹くと、天井の光苔その他が光を受けて発光するように淡く光る。


(…ミドリにみせたかったな)


 俺の背丈はあるだろう巨大な結晶体がいくつも並び、天井が淡く光る、この空間を。きっと喜んだろう。きれいね、って。

 俺がウロウロと結晶体の間を歩いて見ていると、一番奥の方の地面に石が埋まっているのが見えた。地面から林立している石よりでかい。こんなもの俺が呑んだら窒息するぞ。「これは?」「それは儂のじゃ。儂は大きいからなぁ、大きい石がいるのだよ」ふーんとぼやいて地面に埋まった状態の石から視線を外す。


「なぁ、しょうきをきゅうしゅうしてのんだいしにうつすとして、はきだすんだろ? いしもいずれはしょうきにおかされる、ってことか」

「そうじゃなぁ。実験はしているが、永久的な効果は期待できんのぅ。みな時間がたつとどこかが融解し、封じた瘴気が溢れてしまっておる」

「…じゃあ、せかいからしょうきをなくすヒントにはならないんだな」


 應が『一時的に封じ込める』と言ったのはそういうことか。應ほどのドラゴンでも、瘴気を世界から駆逐する術は見つけられないのか…。

 ともあれ、一時的でも、ドラゴン限定でも、『瘴気を封じ込める』という方法を編み出した應には感謝だ。これで俺はまた一歩俺の目的に近づくことができる。絶対、ものにしてやる。

 それはいいとして。

 俺はじろりと應を睨みやった。「…からだはだいじょうぶなのか」「んむ?」「あんたのだよ。じーさんのくせにむりするなよ」この場所に継続的に術を使い、さっきまでは風を起こしていた。應がいくら力のある龍だっていっても、力は無限じゃないだろう。負荷はあるはずだ。

 俺が気遣ってやったっていうのに、應はきょとんと目を丸くするとホッホッホと声高らかに笑い始めたから、ズカズカそばに寄ってその足を蹴飛ばしてやった。



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