3.


「先輩、ホットレモネード、もらってきましたよ」

「ありがと、リア」


 どうぞ、と差し出したプラスチックのカップを受け取って、柳井やない先輩がふうと息を吐いた。暖を取るようにカップに両手を添える。「いくら暖房が入ってても、場所が広いし、やっぱり寒いね」苦笑いする先輩に、私はこの場所、体育館を振り返った。すごく広いというわけではないけれど、それなりの面積のある体育館には生徒がたくさんいる。みんな先生から支給された毛布とホットレモネードを手に座り込んでいるけど、確かに、寒そうだ。

 今日は裏地起毛の厚手のタイツにヒートテックを重ね着してきたし、私はそんなに寒くはない。

 先輩の隣に座り直して毛布を被り、カップに息を吹きかける。

 ……ブリュンヒルデの鐘が鳴り響き、頭上に大きなドラゴンがとぐろを巻いてから、半日が経過した。

 依然、火山灰を吹き飛ばすための風は強く吹き荒れ、出歩くのは危険だからと校舎にいる先生生徒は体育館へと移動した。暖房の入れられたそこで毛布を被り、支給されるサンドイッチとホットレモネードを口にし、あとは、ずっと、こうして時間がすぎるのを待っている。

 私が思うに。今エリュシオンの真上で風を起こして富士からの火山灰を吹き飛ばしているのは、おうさんじゃないだろうか。無償で先輩を助けてくれた人、じゃなくてドラゴンだ。また私達の力になってくれているのかもしれない。

 ホットレモネードでからだをあたためつつ、私は周囲によくよく視線を巡らせた。

 やっぱり、葉山はやま先生はいない。ここと、もう一つ体育館があるけど、向こうにいるんだろうか?


「先生、いませんね」


 私がぽつりと呟くと、先輩は困ったように眉尻を下げた。「無理、してないといいんだけど」「そうですね」葉山先生はわりと無茶をする人だ。それは病院での一件が証明している。

 私と先輩を狙って病院へやって来たエディを止めたのは、先生だったらしい。

 私と先輩はそんなこと少しも気付かないで話し込んでいたし、青玄せいげんとろいろがトイレに出ていったのを追おうとしたら病室の扉が開かなくて、閉じ込められて、どうしようもなくて。私が病室を出て状況を知ったときには、あの人はもう血だらけで、怪我もたくさんしていて、でも、なんだか満足したように笑っていた。

 あんなに血だらけになって、怪我もして。だけどあの人はエディのことを救ったのだ。

 なんて無茶な人。


(でも、なんて、すごい人)


 あたたかいうちのレモネードを飲み干し、空のカップを置く。

 寒さ対策のために小さな窓にはすべてシャッターが下ろされている。それでも忍び寄ってくる夜の冷気は容赦ない。暖房がフルで稼働し、生徒がこれだけ詰め込まれても、ホッとできるようなあたたかさは感じられない。

 私はよいしょとお尻を浮かせて先輩との距離を詰めた。

 だって、くっついていた方があたたかいでしょ。

 私と肩がぶつかると先輩はなぜか離れた。「ちょっと先輩。それじゃ寒いです」「え。いや、でも」「戻ってください」「…はい」恐る恐る、といった感じで先輩が私に肩を寄せる。

 いくら先輩が細身と言っても、私より年上の男の人だ。私より肩はゴツゴツしているし、手は大きい。

 観察する私の視線に、先輩の目はさっきから泳ぎっぱなしだ。


「あの、リア。あんまり見ないでくれるとありがたいです」

「どうしてですか?」

「どうしてって…。お、落ち着かないから」

「はぁ。そうですか」


 首を傾げた私に先輩は何かもごもご言いたそうにしていたけど、ホットレモネードをすすって誤魔化した。

 先輩がどうにも話題を変えたそうだったので、話下手の先輩のため、私から話題を提供する。


「そういえば、ちらっとですけど見えました。紅竜こうりゅうが飛んでいきましたよね」

「ああ、そうだね」

「何をしに行ったんでしょうか」

「…富士へ、救助、だといいけど。都市への火山灰はあの大きなドラゴンが対策してくれてるし。他にドラゴンが出る理由としたら、人命救助くらいしか……」


 先輩も私もそこではたと気がついた。

 紅竜=コウ。そのことを知っている私は自分の考えに確信に近いものを抱く。

 先生がいない。紅竜が出ていった。

 先生は、コウと一緒に火山灰の降る日本へ行った…?

 ドラゴンの力は強大だ。先生はドラゴンに守られている。わかっているけど、胸がざわつく。あの人はまた無茶をしてるんだ。

 それなのに。ううん、だからこそ、ここは平和だ。守ってくれる人とドラゴンがいるから、私達はホットレモネード片手に寒さと戦うだけですむ。

 私達は、人類は、確かに無力だ。

 だけど、それは決して胸を張って言うことじゃない。無力なことは努力を放棄していい理由にはならない。こんなふうにホットレモネード片手にのうのうと「寒いね」なんて笑い合っていていい理由にはならないのだ。

 先輩はホットレモネードの入ったカップをじっと見つめていたけど、「決めた」と唐突にこぼした。「何をですか?」首を傾げる私に、顔を上げた先輩は、寒さと空腹に文句を言うだけの多くの生徒達を見つめた。守られていることが当たり前のような顔をして、何もしなくていい状況に甘えている多くの子供達を見つめる瞳は、少し、悲しそうに見えた。


「僕は、卒業したら、先生のことを手伝うよ」

「…具体的にはどうするんです?」

「ドラゴン学の助手とか、かなぁ」

「受講生は今私と先輩の二人ですよ? 先輩が卒業したら、ドラゴン学を受ける生徒は私だけ。助手として働ける可能性は少ない気がします」

「最近になって、ドラゴンがこれだけ人を助けてるんだ。今までの常識を疑って、ドラゴンのことを知りたい、学びたいって思う人が今後でてきてもおかしくはないよ。

 それに、先生はドラゴン学以外にも色々してるみたいだし…」


 先輩は含みのある言い方をした。それが頭に引っかかる。「……まさか先輩、先生がしてる危ないことにも首を突っ込むつもりですか?」眉を潜めた私に怒られたと思ったのか、先輩は首を竦めた。

 私は先輩を睨みつけてから、はぁ、と息を吐いて体育座りで膝をかかえ、体育館の高い天井を見上げる。

 …先輩を睨んでおいてあれだけど、私も、似たような道を行くことになる気がする。現実的じゃなくて、とても狭くて、急な勾配の、痛い道。

 私は自分でそれを選んだ。

 ドラゴンの卵をこの両手で抱きしめたときから、私はありふれた道を歩くことはできないと覚悟したはずだ。


(……卵、大丈夫かな。コウが世話をしてくれてるはずだけど、その彼女は戻ってきたのかどうか、わからないし。凍えていないといいんだけど)


 考えてぼんやりしていると、ふあ、と欠伸が漏れた。ぱちん、と手で口を叩いて覆う。じろりと視線を寄越した私に先輩は苦笑いしている。

 ばっちり見られてしまった。恥ずかしい。「眠いなら寝た方がいいよ。膝、貸そうか」「…先輩は眠くないんですか?」携帯端末は午後二十二時半過ぎを表示している。私はいつもこの時間、寒さに負けて布団に入りながら端末で教科書を斜め読みして、そのうち寝てしまっている。眠くないわけがない。

 目をこする私に、先輩は眠くない、という意味で緩く頭を振った。「僕は大丈夫だよ」「…そうですか。では、お言葉に甘えて」さすがに膝を借りて眠るというのは忍びないので、先輩の肩にこてんと頭を預けた。寄りかかるように体重を預けて、多くの人間がいることでざわざわと揺れる空気の中、目を閉じる。

 朝には、エリュシオンは火山灰の影響範囲から脱出しているだろう。

 風を操り火山灰を押し返し、都市を守っている頭上のドラゴンに感謝の心を捧げながら、私は眠った。



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