6.
控えめに言って、そこは死地だった。
ミドリに写真で見せてもらったときは、青くてきれいだった富士山。かつての美しい山にはその面影はなかった。
富士の
空はそんなふうで、地面はといえば、これも酷い
この星のエネルギーの塊がドロドロと融解したものが地表のあちこちから噴き出し、地を這い、かつてそこにあったものを飲み込み流れている。勢いが止まらない。もう誰も住んじゃいないだろうが、このまま放っておけば
エリュシオンに救援の通信を送ったという施設は噴火による落石などで見る影もなく崩れ、なんとか逃げようとしたのだろう、人間らしき形が灰を被って倒れたまま動かない。
けど、こういう事態になるかもしれないってことは想定していたはずだ。まだ活動している火山のすぐそばに住むってことはそういう危険を承知の上でってことだろう。
日本人は馬鹿じゃなかったはずだ。こんなときに備えて地下シェルターや避難道を確保して…。
(かくほしていたとして、どこへにげる。ひょうこうがひくいところにはしょうきがある。それはちかだっておなじだ。このやまからにげたとして、そこにはしょうきしかない。にげても、いきさきがない)
はたと思考が停止し、それでも、生きている人間を捜す、とコウの腕から飛び出してすぐに聞こえた唸り声。
人でも獣でもない唸り声はドラゴンのものに近いような、大地の鳴る音にも聞こえるような。
それまで地面を這っていたマグマが不自然にせり上がりコウを襲ったのは突然のことで、俺はとっさに距離を取ったが、頭は状況に追いついていなかった。『
目の前の光景が何を示すのかわからない。
あれは、自然現象じゃないだろう。とすれば、何かの意志、つまりは術か、それとも、星のエネルギーがついに意思を得たとでも?
『コウっ』
拳を避けるようにさらに高度を上げたコウに吠えると、あたしのことはいい。お前は人命救助とやらをしろ、と頭の中に声がした。俺はまだそんなことできないが、コウはそういうレベルのドラゴンなんだな、と改めて思う。
あの腕のようなものがなんなのかは不明だけど、コウがひきつけている今なら、俺が地上に下りることができる。
正体不明のものと争う必要はない。生きている人間がいなければ、すぐにここを離れよう。あの腕があくまでマグマでできているのなら海の向こうへ飛び去る俺達を追ってはこれないはずだ。
「いきてるやつはいないか! エリュシオンからのつかいだ。たすけにきた!」
降り止まない灰を吸い込んだようで、一つ咳をする。
シンとしているその場所には多くの人の形があったが、皆倒れたまま灰を被り、動かない。
ぐっと拳を握って建物の奥を目指して歩いた。落石で潰れてそのまま死んだ人間、うずくまった形のまま灰を被っている人間、倒れて灰を被っている人間……どれも等しくピクリとも動かない。
そんな中で、一つ、不自然なものを見つけた。
機能性と効率だけを目指しただろう建物には不釣り合いに、無駄に広い、崩れた空間。その場所には大きな石があり、しめ縄が巻かれていた。
何か、嫌な予感がする。
そろりと割れた石に寄って、灰が被ってよく見えない石の表面に息を吹きかけて灰を吹き飛ばす。
現れたのは、八つの首を持つ蛇ようなものだった。
八つの首。八つの尾。そんな記述をつい最近見た。
まさか、そんなはずがない、と灰を吹き飛ばして、俺は刻まれている文字を見つけた。『
(ヤマタノオロチ)
ああ、そんな名前だった。
つい最近書物で読んだ。日本書紀とか古事記とか、色々なものに出てくる。どちらも八つの頭と八つの尾を持った人を食う巨大な怪物として描かれ、強い酒を飲まされて酔って眠った隙にズタズタに斬り殺され、食われるはずだった女は助かり、ヤマタノオロチを退治した男と結婚する、だったか。
けど、まさか。そんなはずは。あれはただのおとぎ話で…。
そんなはずはないと振り返った先にはあの拳がある。腕を伸ばした拳…そう見えていた。けど、違うのかもしれない。あれは首を伸ばした蛇なのかもしれない。
そうだとして、なぜここに塚が?
思い出せ。書物にはなんて書いてあった。思い出せ俺。
額に手を当てたり頭を叩いてみたり目を閉じて考えてみたりしたが、『尾から一振りの剣が出てきた』って記述しか思い出せない。あとは男と女がその後どうしたかとかそういう話しかなかったような…。
仮に。仮にだ。ヤマタノオロチなんてドラゴンが過去に存在していたとしよう。
地上はエリュシオンよりもドラゴンによる襲撃の脅威に晒されていたはず。人間が我が身を守るため、
この噴火。そして意思があるかのように動き回るあのマグマの腕にはヤマタノオロチが関係しているかもしれない。
頭の中で一つの仮説が落ち着いた。
ふー、と長く深く息を吐き出して、気持ちを切り替える。
とにかく。今は生存者を捜してここから脱出するのが先決だ。
壊れた塚から離れて「だれかいないか! エリュシオンからのつかいだ! たすけにきたぞ!」と声を出しながら落石を除けて歩くが、倒れている人間はピクリとも動かないし、シェルターのようなものも見つからない。時間だけが過ぎていく。
オオオオン、と唸るような鳴くような声が聞こえている。
コウはうまく逃げてるだろうが、葉山は人間だ。あいつに悪影響が出る前にここを脱出した方がいい。かけられる時間はあと少しだ。
カン、と石を蹴飛ばしながらたどり着いた建物最奥で、床に地下への扉のようなものを見つけた。入り口は落石で閉ざされている。仕方がないので人の体から尾を生やして、勢いをつけて思いきり尾をぶつけて石を砕いてやった。
シェルターのようにも見えるここに人がいなければ、もうどこにも残ってはいないだろう。
しっかりと閉ざされている鋼鉄の扉に手をかけ、片方を無理矢理こじ開けた。解除コードなんて俺が知るわけがないから力技だ。
ギギギギ、と軋んだ音を立てて抵抗したあと、扉はぐにゃりと歪んだ。人一人くらい通れるだろう穴に体を押し込む。「おい、だれかいるか! エリュシオンからのつかいだ、たすけにきた!」そう広くはないシェルター内にポツポツとある灯り。人の形がいくつか見える。「ひと…?」声も、聞こえる。ようやく生きてる人間に会えた。
すぽっとシェルターの中に入り込み、数を数える。
…十人か。俺とコウで手分けして運ぶのでもギリギリだな。ろいろに無理をさせないといけないかもしれない。
手を取り合って隅にいた、顔がそっくり同じ男女のうちの女子が俺に声をかけてくる。
「エリュシオンから、助けに来てくれたの?」
「そうだ。ここいがいにシェルターとかはあるか」
女子は緩く頭を振った。なら、ここにいる十人以外は全滅。か。「君みたいな小さな子が…?」ことりと首を傾げる女子に「姉さん」と隣にいる男子が諌めるような声をかける。顔がそっくりだからやっぱり双子か。女の方が姉らしい。
とにかくこのことをコウに知らせようと扉の方へ向かう俺に、女子はなぜだかついてくる。それを止めようと男子の方もついてくる。「ねぇ、君は、」「姉さん。外は危ない。ここで待っていよう」そのとおりだ。ついてくるな。俺はこのくらいの灰吸い込んだってどうってことないが、お前らはそうじゃないだろう。
「そとにいるなかまにここのことをしらせてくる。それまで…、」
ドクン、と大地が脈打つ気配が、足の裏から頭を貫通した。
来る。
俺は女子の手を掴んで扉の穴の外へと押し出した。「何を、」問答無用に男子も外へと押し出し、俺はドラゴンの姿になって二人をそれぞれ片手で掴みながら飛翔した。間一髪、シェルターからゴボッと溢れてきたマグマから逃れることに成功する。
…あと、八人。残ってたんだが。今の一瞬で塵一つ残さず消えた。
女子が涙目になって口元を押さえた。「そんな…っ」ごほ、と咳き込む姿に『そのままいきをするな。くちとはなをふくかなにかでおおえ』と言った俺を男子の方が見上げてくる。こちらを睨むような目つきだ。
「…ドラゴンが、人間を助けるのか。あとで僕らを喰らおうとでも?」
『なんとでもいえ。よのなかそうかんたんじゃないんだ。エリュシオンにはドラゴンもいて、このフジにきたのは、めいれいだからだよ』
こんな状況でも冷静に頭の回る男子らしい。「そうだといいけどね」とぼやく声にふんと息を吐いてそっぽを向く。
マグマの拳、いや、マグマの蛇から逃げているコウに『ふたりたすけた! あとはもうだめだ!』と声を張り上げる。届いたらしく、ならば退くぞ。長居は無用だ、と頭の中にコウの声が響いた。コウが翼を
オオオオオン、とマグマの蛇が鳴く。
響く音を聞いていると、なぜか、悲しくなってくる。
緩慢な動作でしか追ってこれないマグマの蛇とはどんどん距離が開き、俺とコウが瘴気の霧が立ち込める海に出た頃にはその異様な姿は小さく、やがて見えなくなっていった。
危険から遠ざかったことと、あまりスピードを出すと掴んでいる人間が気を失うだろうと思い、灰の降る空域から抜けると俺はすぐスピードを落とした。コウも速度を落とし俺に並ぶと、俺が掴んでいる人間二人を見下ろす。『子供か』『ほかにも、いた。ちかシェルターのなかに、あとはちにんくらい。ちょうどマグマがふきだしたんだ。このふたりしかたすけられなかった』そうか、とぼやいたコウが前を向く。
相変わらずガスマスクをつけて生首状態のかいりが「大丈夫? あ、ガスマスクつけてるけど、怪しい人ではないので安心してね。俺は葉山かいりっていうんだ。エリュシオンでは学校の先生をしてる」とかなんとか言い始めるので、俺は呆れて口をへの字に曲げた。
まぁ、ドラゴンに掴まれて身動きのできない状態で、ついさっきまで死地にいてもうすぐ死ぬところだった、そんな二人の精神状態は不安定だろう。同じ人間がこうやってなんでもない話をしてやった方が安心するかもしれない。
「わたし、は、
「…弟の
「双子の姉弟か。よろしく」
何気ない自己紹介。風の音に流しそうになったその名が思考のどこかに引っかかる。
櫛名田。
確か、ヤマタノオロチが喰らおうとしていたのはクシナダヒメって女じゃなかったか。
……まったく。先が思いやられる。
かつてのクシナダヒメがこの手にいて、それを喰らいにあの蛇がやって来るのだとすれば、事態がこれで収束に向かうとは思えない…。
とにかく、帰ったらこのことを應とコウに話してみよう。
俺のただの仮説、笑い話、で終わればいいんだけどな…。
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