4.


 エリュシオンの中にあって特徴的な建物であるオメテオトル、その会議室の一室では、各役職の代表が顔を揃えていた。ドラゴン審議会会長、軍の総司令官、主要ライフラインの代表者達エトセトラ。

 できれば後頭部の一円ハゲが進行する前に、この空間から即離脱したい。それが本音ではあるが、吉岡よしおかまことと指名されて呼ばれた以上、俺はここにいて葉山達にこの会議の決定を伝える必要があった。

 口を真一文字にして、用意されている席に座り、膝の上で拳を握る。決して余計なことを言われぬよう背筋を伸ばし、何も映っていないモニターを睨みつけるように見据え続ける。


「フジがついに噴火したか…」

「噴火の周期を考えれば遅いくらいではあるが、しかし、このタイミングでの噴火とは。まるでこの都市の軌道を読んでいたかのような……」

瘴気しょうきと何か関係性が?」

「分からん」

「しかし、次から次へと。休む暇もないな」

「通信を入れてきた、富士にある日本施設への対応はいかがします?」


 お前らが休む必要のある何かをしたことが一度でもあったか? そうなじりたい気持ちをすぐに殺す。

 俺はポーカーフェイスがうまい方じゃない。昔よりうまくはなったが、人の揚げ足取りだけはうまい連中だ。油断は大敵。

 それよりも重要なのは、日本の富士が噴火したという通信があったことであり、まだという事実の方だ。

 日本で瘴気の届かない場所といえば標高的に限られていたが、十年以上前に聞いた『富士山麓に建設予定の施設がある』という話は本当だったらしい。

 当時はエリュシオンに移り住むにあたって俺も慌ただしく動いていた時期だ。ここの連中は地上のことなど話さないし、すっかり見逃していた。


「我々は大型の航空機など持ち合わせておりませんぞ。人道的に、救助に向かいたいところですがねぇ…難しくはありませんか」


 この都市にあってまだ肥えた腹を抱えている男の一人がそう発言すると、頷くような声が一つ二つと聞こえた。ネームプレートを見ると水道関係から代表としてここにやって来たらしいとわかる。

 もっともらしいことを言っているつもりだろうが、ここに集っている連中には最初から地上に残った人間を救助しようなんて気はない。

 今回はエリュシオンが火山灰の影響範囲に入るからこうして大事として取り上げブリュンヒルデの鐘を鳴らしたが、どこか遠くの山が噴火し、そこに住む人々からSOSが発信されたとしても、見て見ぬふりをし黙殺しただろう。なぜなら、『地上は瘴気に侵されている場所』であり、そこに住まう人間もまた、こいつらにとっては『瘴気に侵された汚物』でしかないからだ。

 臭いものには蓋をする…じゃないが、都合の悪い現実は、この都市に影響がないのなら、知らぬふりをするだろう。ここにはそういう人間ばかりが集まっているのだ。そうでなければたった一億の人間を選び空へ逃れる術を強行するはずもない。

 瘴気が結局なんなのか、ということがはっきりしていないせいもあり、人は瘴気から逃げ惑うことだけに躍起になっている。


「富士山麓の現状ではなく、我々は己をかえりみなくては。そうではありませんか?」

「ふむ…」

「エリュシオンの軌道変更は?」

「すでにいたしておりますが、エリュシオンは都市ですから、想像されているよりスピードが出ません。こちらが影響圏を脱出するよりも早く火山灰が到達する見込みです」

「時間はどれほど残されているのだね。噴火の規模によって火山灰の勢いも違うという話だったね」


 過去の記録を辿る限り、周期を考えれば『富士はいつ大噴火してもおかしくない』と長年言われてきて、結局一度も噴火しないまま、生き残った人類のほとんどは地上を捨てた。噴火の影響は都市の現在地によってはほぼなかっただろうが、現在エリュシオンは太平洋の上。ユピテルの演算と専門家が『この都市に火山灰が届く』と解を出したのなら間違いなくそうなるだろう。

 火山灰の速度など、俺には専門外すぎて少しもわかりはしないが。

 

「富士噴火の実際のデータが手元にありませんから、到達時間の断言はできかねますが、火山灰は噴火で噴き上げられるもの。その勢いがなくなれば、あとは風の流れでこちらへと運ばれてくるでしょう」


 会議室に落ちた幼い声にざわついていた場が静まり返った。

 今まで発言しず何かを計算するように目を閉じていたユピテルが、常に演算処理をしているという輝く目をこちらに向けた。

 何も発言せず、黙って俯いていれば、ただの人形。しかし、ひとたび口を開けば誰もの注目を集めるユピテルは、場違いな笑顔で微笑みながらすらすらと言葉を重ねていく。


「突飛な発想となりますが、みなさま、想像なさってください。

 エリュシオンが火山灰の影響範囲から抜け出すまで、逆風が必要です。火山灰にもみなさまが懸念する瘴気が含まれていないとは限りません。吹いてくる風に、こちらから同量か、それ以上の風をぶつけて吹き飛ばすよりないでしょう」

「風を…いや、しかし、そのようなことが……」

「この都市を支えるドラゴンの助力を乞えば、可能です。そうですよね、吉岡誠さま」

「、」


 突然名前を挙げられて背筋が伸びた。

 会議室にあるほとんどの目がいっせいにユピテルから俺に向けられるのがわかり、背中にじわりと汗をかく。

 ユピテルが口にしたのは本当に突飛なことだ。ドラゴンという生物を念頭に置かなければ、その力を推し量らなければ出てこない言葉。「それは、私では判断しかねます。可能かどうかは尋ねてみなくては」「では、お願いいたします」にこりと微笑まれた。きらめく二つの瞳がじっと俺を見据えている。

 表情はどこからどう見ても完璧な笑顔だが、ユピテルは目だけがいつも笑っていない。

 是非もない。俺に選択肢などは存在しない。

 俺は、葉山に電話をかけるしかなかった。いつものように情けなく、頼りなく、これが上の決定だ、とドラゴンに無理を強いるよりほかになかった。


『はい、葉山です』

「葉山、すぐにコウ殿とおう殿に助力を頼んでくれ。至急だ」

『今ちょっと揺れた気がしましたけど、何かあったんですね』


 葉山は俺の立場をそことなく理解しているから、電話口で余計な何かを言うことはない。

 十年ほど前、初めて会ったとき、あいつはまだ動物馬鹿なただの高校生だった。それが、成長したもんだ。大人になるとはこういうことなのかもしれないが、あの頃の馬鹿で眩しかった葉山が失われたような気がして、少しだけ悲しくなる。

 通話をスピーカーにし、会議室の人間に聞こえるようにしながら、俺はざっと状況を説明した。富士が噴火したこと、この都市に火山灰の影響があること、都市の移動速度では火山灰到達前にその影響範囲から抜け出せないこと…。


「應殿はそちらにいるのか?」

『今来たところですよ。おじーちゃん』

『ほいほい。聞いておったぞ。わしの出番じゃな』

「申し訳ありません。風を起こして向かってくる火山灰を跳ね返す…などということは、可能ですか?」

『んむー…まぁできんことはないがのぅ。その場合、儂ももとの姿でないとのぅ。人のままではできんことじゃなぁ。

 そこに重鎮が揃っておるのじゃろう? 聞いてみぃ。儂がドラゴンの姿を晒して良いのなら可能じゃ、とな』


 俺は視線だけで周囲を窺った。

 皆が皆誰かを見ている。ゴーサインを出し、その場合の責任を取るのは誰か、というスケープゴートを探す、無責任な目。

 その中で曇りのない目でこちらを見ている煌めく瞳の持ち主が白く細い手を持ち上げた。何人もの大人の視線を受けながら、少女の形をしたコンピューターが口を開く。

 もしもその頭脳が出した結論が間違った結果を招けば、最悪、自らの廃棄や機能停止を余儀なくされる。それを理解していて、ユピテルは発言する。


「初めまして、應さま。電話口での自己紹介をお許しください。わたくし、ユピテルと申します」

『おおー、ニュースで有名な人工頭脳とやらか。よいよい、忙しいのじゃろう? この場で構わんよ』

「わたくしの頭脳を持って火山灰回避の方法を考えましたが、先ほどお伝えしたものが安価で、一番都市への影響が少ないのです。

 火山灰は都市のライフラインや生産工場に大きな影響を及ぼします。瘴気の有無によっては人体への被害も甚大なものとなるでしょう。よって、わたくしは、あなたさまの御力でこの都市を守っていただくのがよいと考えました。ドラゴンへと寄りかかる人類の無力、どうぞお許しください」


 ……今、この瞬間、将来この都市を担うだろう人工頭脳と、現存するドラゴンの中で最も生きているだろう應殿が対話している。これは控えめに言っても歴史的瞬間ではないだろうか。

 應殿はあくまで應殿らしく、のほほんとしたいつもの感じで人工頭脳に応じる。

 この人…いや、ドラゴンか。この方もマイペースで調子を崩さないな。『そうじゃのぅ。道具が十分にあれば、この都市を守る結界を張る! と格好いいことを言えたのじゃが、あいにく不足しておってなぁ。この都市を守るだけのものを張ることはできん。原始的な方法になるが、風を起こすのが早いじゃろうなぁ』…なるほど、そうなのか。最初から結界を求めてこなかったのはそれも見越していたということか…。人工頭脳はどこまで見ているのか、空恐ろしい。

 應殿が火山灰を運ぶ風に風をぶつけて相殺し、都市へ降灰を防ぐ、という方向で場がまとまりかけたときだった。『ただしの? 儂が出て都市を守る代わりに、ひとーつだけ叶えてほしいお願いがあるのじゃよ』その声にユピテルの瞳が一つ瞬く。


「なんでしょうか」

『かいりがのー、富士山麓へ、生き残った人間がいないか様子を見に行きたいと言うておる。許可してもらえんかのぅ』


 ざわり、と会議室がざわついた。俺も思わず何か言いそうになり、かろうじて踏みとどまる。

 火山の噴火。救援を求める声。それに応えようと思ったとして、それだけの手段がもはやない。この都市では航空機を生産できるような場所はないのだ。技術はデータとして引き継がれてはいるが、それだけ。この都市を動かす以外、空を飛ぶ有効な手段はない。

 だが、ドラゴンの手を借りることのできる葉山となれば話は別だ。

 葉山に懐いているろいろは重力制御ができる。負担はかかるが、己以外を浮かせることも可能だ。應殿は都市のために留まらなければならないが、コウはフリーであるはず。葉山ならコウに頼み込んで富士まで行くことも可能だろう。むしろそれは葉山にしかできない役目とも言える。

 應殿の言葉を聞いて、多くの人間が視線を交わした。「人道的救助を自ら行いたい、と…」「その心意気やよし、ですな」「しかし、危険であろう。我々は責任など取れんぞ」葉山が自ら志願したことで、よいスケープゴートを得たとばかりに口の軽くなる重鎮を睨み据える。

 お前らは楽でいいよ。責任も取らず、行動も起こさず、ただ椅子に座ってそれらしくしてれば存在していられるんだから。

 この都市はドラゴンが救い、人道的な報道として『ドラゴンと人を救助に向かわせた』という事実も残る。オメテオトルには一石二鳥だよな。たとえ誰一人助けられなかったとして、手は尽くした、と神妙な顔をして言えるよな。


『俺がコウに頼み込みました。あと、セイも連れていきます。あ、ろいろも。映像は右目から送るつもりです。通信圏内を外れたら、申し訳ないですが、録画の映像を後日お届けする形になります』

「葉山、」


 つい引き止めるための言葉を発しそうになる。『はい』それを葉山もわかっている。この場で俺が重鎮の決定に逆らうようなことを言えるはずもなく、だがそう言いたくてたまらない、そんな空気をわかっている。だからあいつは笑うのだ。


『大丈夫ですよ、吉岡さん。ありったけのドラゴン装備で行きますから。

 それに、これくらいしないと、地上に残った人達に顔向けできません』


 すぐに準備に取りかかります、と言って通話は途切れた。

 会議室には火山灰から都市を救う手立てが見つかったことで安堵の空気が漂う。

 携帯端末をタッチして通話画面を閉じる俺の指は震えていた。「ブリュンヒルデの鐘を止めてください。代わりに、私の声をスピーカーへ」「はい、ただいま」慌ただしく動く者もあるが、多くは椅子の背もたれに背中を預け、貴重な水をがぶ飲みし、自分の役目は果たしたとばかりに足を投げ出している。

 こんなものが都市の重鎮とはな。笑わせる。

 人として葉山が正しい。圧倒的に。

 こんなだから、俺の後頭部の一円ハゲは進行する一方なのだ。



 会議室を飛び出しオメテオトルの外へ出たときには、應殿はすでに都市の頭上にその巨体でとぐろを巻いていた。風を操るために集中しているのか、身動ぎ一つしない。

 そのうち紅竜こうりゅうとして知られるコウがその紅い鱗を陽の光に輝かせながら現れ、應殿を一瞥したあと、日本の方へと飛び去っていった。その手には葉山やろいろ、青玄せいげんがいたはずだが、俺の目は常人の目だ。その姿を確認することはできなかった。

 十年と少し前にはありえなかった光景が目の前に広がっている。

 吹き荒ぶ風に、強い陽射しに、迫り来る脅威に。頭上でとぐろを巻くドラゴンに。

 こんなとき、人は願うのだろうか。ああ神よ、と無責任に、受け入れられる未来の訪れを、ただ無力に願うのだろうか…。



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