3.


 ピピピピピピ。ピピピピピピ。

 飾り気のないアラーム音が『朝だよ起きろ』と僕を叩き起こしにかかってきたので、まだ寝ている目で手を伸ばして携帯端末を探す。枕元に、…ない。どうしてだろう。しばらくもそもそと手だけ動かしてみたけど何もない。

 ピピピピピピ。ピピピピピピ。ピピピピピピ。ピピピピピピ。


「わかった…わかったから………おきればいいんだろ…」


 うめくようにこぼして、あまり背中に負担をかけないようにベッドに手をついて起き上がる。

 もうだいたいいいけど、念のためだ。リハビリもちゃんとしてるし、もう一ヶ月もすれば完治するはず。

 眠い目をこすりながらブランケットを羽織って、ドラゴン学の教科書の上でアラーム音を鳴らし続ける携帯端末にタッチして目覚ましを止める。

 なんでこんなところに端末を置いたのかと考えて、ああそうか、と思い当たった。

 この間うっかり二度寝してリアを待たせちゃったから、もうこんなことがないようにって、目覚ましを兼ねてる端末は机の上に置くようにしたんだっけ。ここなら目覚ましを止めるためにベッドから抜け出さないとならないから、いやでも起きるだろう、って。

 あのときは、律儀に僕を待っているリアの姿を遠くから見て、ちょっと感動したな。一緒に遅刻ギリギリで学校へ滑り込んだから、あとですごく怒られて帰りにカフェでジュースを奢ることになったけど。

 まずは眠い目を覚ましに洗顔しに洗面所に行けば、眼鏡なしでぼやけた視界の中に、ふわふわした髪の自分がいた。

 まだ見慣れない自分の髪を指でいじる。

 結構強めにパーマをかけてもらったから、寝癖がついてもワックスでどうにかできるレベルになったけど。納得いくまで髪をいじってると朝は結構時間がないんだな、と改めて思ったり。そう思うと、毎日髪型を変えてくるリアはよっぽど慣れているか、よっぽど時間を取っているか、どちらかなんだろう。女の子はすごいなぁ。

 なんて考えたりしながらぬるま湯で洗顔をすませ、こちらもまだ慣れない新しい眼鏡をかける。ようやく視界がはっきりしてきた。

 フレームもレンズの形もすべて新しくして、流行遅れ、と言われないようなものにしてみて、半月ほどだろうか。あまり派手なものをする自信がないから淡い青色にしてみたけど、それくらいの方が先輩には違和感がなくていいとリアが言ってくれたから、当分はこのままかな。流行はやりが変わったら…そのときは、またそのときに考えよう。

 エディの一件で、『僕がもうちょっとしゃんとした見た目なら彼も納得してあんな行動には出なかったのかもしれない』という部分にどうしても引っかかりがあって、僕は僕のできる範囲で、リアの隣に立つ男として恥ずかしくない自分になろうと決めたのだ。

 見た目は、できるところから始めた。あとは、猫背と、もうちょっとはっきり喋れるようになったら、自分に花丸をあげたい。時間がかかるかもしれないけど、次にエディと会うときまでには…というのが今のところの目標かな。

 トーストにジャムを塗ったものと、たまには自炊もしようと作ったスープの残りが今朝のご飯だ。

 テレビをつけて眺めながらご飯を食べて歯磨きをすませ、時間に余裕を持って家を出る。

 リアとの待ち合わせ場所である街灯の下目指して足早に、ビル群のように見える縦に重なった建物の間から差し込む陽光のあたたかさだけを感じながら、歩く。なるべく背筋を伸ばすよう意識しながら。

 朝、お昼ご飯時、夕方。登下校と昼休み、僕はリアと時間を過ごす。

 彼女は高校生で、僕は大学生。

 僕には、朝から授業がない日とか、午後は授業がない日とか、次の授業まですごく間が空いてるから一度家に帰る日とか、そういう日があったんだけど、最近はずっと学校に入り浸りだ。それもこれもどれもリアが関係してることは言うまでもない。

 僕とリアの関係性を一言で言うなら、あれだ。『友達以上恋人未満』ってやつ。それの、『先輩後輩の関係以上、恋人未満』って感じ。

 いや、僕はリアのことわりと、結構、好きだけど。さ。彼女が僕のことをどう思ってるのかはよくわからない、し。

 ぼやっと空を見ながら歩いて、天気がいいなぁ、今日は陽射しの当たる場所にいたらあたたかいだろうな、なんて思いながら待ち合わせ場所に到着。一人では答えの出ないことを悶々もんもんと考えていたら、遠くにリアの金髪が見えて、僕の思考は中断された。



 リアに『先輩はよく知ってますね』と呆れ半分感心半分に笑ってもらいたくて、次の授業までの空いた時間、僕は電子図書館にこもるようになった。

 僕の頭の中にはテストに出ないような雑学と知識ばかりが増えていく。

 持ち出し厳禁のデータを閲覧して中身を頭の中に叩き込むことをずっとしてきたせいか、最近少し、記憶力がよくなった気がする。うん、気がするだけで、ドラゴン学以外のテストの点はあまり良いとは言えないものだったけど。

 僕がもう少し賢かったら。また違う未来があったんだろうけど。こんな僕だったから、ドラゴン学と出会って、リアと出会って、この現在いまがある。そう思えば頭の良くない自分も少しは肯定できる、かな。

 休憩に携帯端末からウェブのニュースを適当に眺めていると、NEW、の文字が光る記事を見つけた。【人工頭脳ユピテル、ブリュンヒルデの視察を発表】…。

 タッチして記事を開いて斜め読みする。

 人間にたとえても高性能なユピテルなるコンピューターは、この学校に『経験』を積みにやってくるらしい。

 経験から来るステータスを知ることが目的、とあるけど、ちょっと意味がわからない。

 ユピテルはとても優秀なコンピューターのはずだ。経験なんて積まなくても演算処理で出た答えを解とすればいいんじゃないだろうか。それこそ、学校で習うことのすべてをユピテルはもう『知っている』はずだ。それが知識として彼女のどこかに入っている。その知識に、学校という現場にやってきたところで、付け足すものなんか出てこないと思うんだけど。

 何度記事を読み直してもピンとこない。


(……学生、ゆくゆくはこの都市を担う子供達の現状いまを見つめる、っていう意味、かなぁ)


 それならまだわかる。ユピテルも将来はエリュシオンの運営を担うだろうとされてる。この都市の未来を担う、という意味ではユピテルも今は学生という立場だと言えなくはない…。

 姿勢を崩して机に突っ伏していたところからのそのそと起き上がって、ニュースを閉じた。そろそろリアが喜びそうな雑学の吸収に戻ろう。

 どのみち決定しているのは『近くユピテルがこのブリュンヒルデにやってくる』ってことだ。

 ユピテルが目にするもの、耳にすることは、同時に彼女を管理しているオメテオトル…政府のもとにも届くだろう。だから、学校の空気は、ちょっとピリピリするんだろうな。ユピテルがいる間は気合いの入った授業ばかりになるとか、抜き打ちテストがあるとか…。ユピテルを通して政府の指導が入るなんて先生達もいやだろうから、そういう可能性はまず潰しにかかってくるはず。

 僕はいつもどおりがいいし、そういうピリピリした空気は苦手なんだけど、うまくやり過ごすしかない、かな。

 そんなことを考えながら雑学吸収の時間に戻り、やがてお昼の時間になって、僕は電子図書館を出た。

 まずはご飯の調達だ、と学校の敷地内にあるお店の一つに入る。

 先生方がよく利用するそこで僕はばったり葉山はやま先生と遭遇した。「先生」「あれ、柳井やない」先生が片手を上げて挨拶をくれたので、ぺこ、と頭を下げて返しておく。


「背中、調子はどう?」

「たまに、ちょっと痛いですけど。もう一ヶ月もすれば完治するだろう、って病院の先生が言ってました」

「そっか。よかった」

「…あの、先生」

「うん?」

「それ、一人で食べるんですか…?」


 先生が持つ買い物かごの中には控えめに言って三人分くらいのお弁当やら調理パンやらが入っていて、思わず尋ねてしまった僕に、先生は「違うよ」と笑った。でも誰の分とは言わなかったので、この会話はそれでなんとなく終わってしまう。

 僕は、どうしようか。背中の傷の回復のためにも、栄養面には気を遣わないと。適当に食べてるとリアに怒られるし。

 僕が商品の並んだ棚を眺めてどうしようか悩んでいると、くらりと目眩を覚えた、気がして、床を意識して足に力を入れる。

 なんだろう。朝、少なすぎたのかな。お腹が減ったとか?

 軽く頭を振ったところで、先生も微妙な顔をしていることに気付いた。


「柳井、もしかして今ちょっとくらっとした?」

「…先生も、ですか?」

「少しだけそんな感じがした。空気が震えるような…」


 そう言うが早いか、先生のポケットに入っている携帯端末が通話を知らせた。初期から使える飾り気のない音の設定だからよくわかる。僕もそうだし。「ちょっとごめんな」僕に断ってから先生が通話に出た。「はい、葉山です」という声を聞きながら、気を取り直してお弁当を手に取る。栄養面を考えられてバランスよく整えられたお弁当はちょっと値が張るけど、たまにはこれくらい食べようかな。


「今ちょっと揺れた気がしましたけど、何かあったんですね」


 先生の潜めた声に、意識がお弁当から先生の通話に持っていかれた。

 ちらりと横目で先生を見やる。先生は周囲の様子を見ているようだ。つられて僕も店内に視線をやってしまう。

 みんなどこか不安そうに周囲を窺っている気がする。さっきの目眩のようなものを感じたのは僕と先生だけじゃないってことか。「で、何があったんですか」言いながら先生が僕に買い物かごを押しつけてきた。え、と困惑する僕に片手でごめんをして「戻しておいてくれ。ちょっと急用なんだ」と言い残し、先生は足早に店の外へと行ってしまった。

 残された僕はかごの中の商品を見下ろして、仕方がないので、もとあった場所にお弁当やら調理パンやらを戻していく。

 自分のお弁当を買って芝生のある校庭に出た頃には、先生の姿はどこにもなかった。代わりにベンチの一つにリアの金髪を見つけて、どことなく不安を抱いていた心が安らぎを見つけて安堵し、早足に彼女のもとへ。


「リア」

「先輩」

「待たせてごめん。お弁当、迷っちゃって」

「いえ、私も今来たところですから。席、取っておきましたよ」


 リアは鞄とマフラーを置いて自分の隣をキープしている。「ありがとう」と言いつつありがたくベンチに腰かけて、ちらり、と先生のことを考える。

 …何もなければいいんだけど。エディのときもそうだったけど、先生、わりと無理するし、僕らにそのことを言わないし。

 あの人はあくまで先生で、僕らはあくまで生徒で。だから先生は僕らのことを守ろうとするけど。そんなあの人のことは、誰が守っているんだろう。

 そんなことを考えながらリアに吸収した雑学知識を披露していたときに、ブリュンヒルデの鐘が鳴った。ゴーン、ゴーン、ゴーン、とけたたましい音が校庭に響き渡り、僕とリアは顔を見合わせて、すぐに荷物を掴んで立ち上がった。

 警報の鐘だ。屋内や建物の中に避難して外に出るなと知らせる音。

 でも、空は晴れているし、この都市を襲撃しているドラゴンの姿なんてない。防護壁が割れる音もしてない。いつもどおりの空なのに。

 僕らは近くの大学棟に駆け込んで、念のため、出入り口である一階から遠ざかって三階辺りまで階段を使って移動した。少しだけ痛む背中に手をやりつつ、肩で呼吸しながら、なんとか息を整える。「先輩、大丈夫ですか」「うん、なんとか…」リアはやっぱり僕より体力があるので、すぐに息を整えると、強化ガラスの窓の向こうへと視線を投げて外の様子を確認し始めた。


「一体何があったんでしょう」

「わからない。でも、さっき、葉山先生と偶然会ったんだ。先生もお昼ご飯を買いに来てたみたいなんだけど、途中で、電話がきて。それで、急用ができた、って行っちゃったんだ。それが何か関係、あるのかも」


 僕もなんとか息を整え、校舎の外へと視線を投げる。…今のところとくに異常が起きてる感じはしない。それでもブリュンヒルデの鐘はけたたましく鳴り続けている…。


(先生が呼ばれた、ということは。先生を通じてドラゴンの助けを借りるようなことが起きた、ということかも…)


 僕は先生のそういう面を見たことがないんだけど、リアがそんなことを言っていた、と思う。先生と都市にいるドラゴンには強い絆がある、って。

 不安そうな面持ちをしているリアに何か声をかけたくて、でも何も言葉が浮かばなくて、僕は無力だな、格好悪いな、と唇を噛んだとき、鐘の音が唐突に止んだ。代わりにスピーカーから流れてきたのは『みなさま』という幼い声。

 幼いのにとても落ち着いているその声は、テレビで誰もが一度は聞いている声。人工頭脳を搭載したコンピューター、ユピテルの声だ。


『先ほど日本の富士の噴火が確認されました』

「え、」


 唐突なその声は、これもまた唐突なことを当たり前のように告げた。

 富士って、静岡県にあったあの富士山か。美しい山だって、外国の人でも知っている日本の名山が噴火した…。


『この空中都市には噴火によるマグマ、その爆発によって降り注ぐ岩石などの影響はありませんが、一つ、影響するものがあります。それが火山灰です。

 この都市の現在位置と風の向き、強さ、今日の天候などの情報を総合したところ、この都市が火山灰の影響下に入るだろうと予測が出ました』

「…それって、かなりまずいってことじゃ……?」


 不安そうに呟くリアに僕も同意見だった。

 状況として近いものでいえば、航空機と火山灰が接触したさいの事故がある。

 ジェットエンジンに吸い込まれた極細粒の火山灰がエンジン内部の熱で融解して付着、部品を腐食また破損させる…。エリュシオンは航空機とは違うけど、それがないとは言いきれないし、火山灰の中に突入でもすれば、人体への影響だってあるだろう。素人しろうとの僕が考えてもこうなるわけだから、専門家の見解はもっと深刻なもののはずだ。

 けど、その深刻な状況を、ユピテルはこう言うのだ。


『ですが、ご安心ください。この都市を守護してくれているドラゴンに助力を願いました。彼らが、この都市を、人類を救ってくださいます』


 人を安心させることのできる幼い声に、なんだか僕は不気味なものを感じてしまう。底知れなさ、とでも言おうか。

 ユピテルの宣言に、校庭に突然影ができた。雲の中にすっぽり入ってしまったのかと思うほどの大きな影に、リアと二人で視線を上げる。

 窓の向こう、この学校の頭上には、見たことのない大きなドラゴンがいた。和龍に属されるんじゃないかと思う蛇のように細くうねった巨大なからだがエリュシオンの頭上にとぐろを巻いている。

 この間のあかいドラゴンとはまた違うドラゴンだ。それも、かなり大きいし、教科書でも見たことのない姿をしている。いわゆる和龍に属されるだろう、ってことしかわからない。

 途方もない大きさをしたドラゴンがいきなり頭上に現れたことに、校舎のあちこちで驚きのような悲鳴が上がる。


『どうか御手みてを』


 そう言うユピテルの声が、僕には、笑っているように聞こえた。



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