不公平で平等なトワイライト

1.


 朝食を食べようと食堂に行くと、いつもより空気がざわついていた。そのことに首を捻りつつ、朝食を摂ろうと用意されているトレイを手に取る。

 朝食はだいたいパンとスープと決まっている。今日は週の真ん中なので特別にいつもより一品多く、サラダがついてくる日だ。

 好きな方を食べるように、と用意されているサンドイッチを見比べ、みずちの肉の薄切りが入ったサンドイッチをトレイの上へ。それから乾燥オニオンなどの野菜が入ったスープと、サラダにはお酢と油のフレンチドレッシングをかけて、飲み物はホットウォーターにした。寒い朝にはあたたかいだけの水でもありがたいものだ。

 私はあたたかい水の入ったカップに、自前で用意しているホットレモネードのもとを振り入れた。あたたかい水に溶かせば、おいしくとは言い難いけれど、ホットレモネードのような味のする液体ができる、という代物だ。

 空いている席は…と視線を巡らせ、いつもくだらないことで盛り上がっている男子組のそばに空席を見つけた。このさい仕方がないのでそこにトレイを置いて水色の椅子に腰かける。

 いつも馬鹿なことで盛り上がっているこの男子組は、今日はいつもとは違う雰囲気で顔を寄せて話し合っていた。ときどきテレビに視線をやっている。

 この男子組だけでなく、今日は寮母さんも、普段はオシャレや恋バナで盛り上がっている女子組もテレビを気にしている。

 ホットレモネードで胃を起こしながら、私もテレビに視線をやった。

 経費節約のため、食堂には古いタイプの薄型テレビが置いてある。そのテレビ画面には女の子が一人映っていた。

 私よりも年下、という感じの幼い女の子で、この都市では珍しく車椅子に座っている。

 瞳の虹彩がありえない輝きを放っていて、髪の色は淡い桃色。

 桜みたいな色の髪で、病弱なくらい白い肌をして、まるで造り物の人形みたいな印象を受ける。でも確かに画面の中で少女は微笑んでカメラ目線でこちらを見ている。

 テレビの字幕はこうだ。【人工頭脳を搭載した少女型コンピューター『ユピテル』稼働開始】…。

 ユピテル。また神話か何かからとった名前だろうか。どこかで聞いたことはある。

 というか、完成していたんだ、人工頭脳。開発に取り組んでいるって話は上がっていたけど、これといった成果が出てないままなのかと思っていた。


『ついに人類の希望が形を成しました。

 我々人類の総力を挙げて完成したこの少女型コンピューターはユピテルといい、今回開発に成功した人工頭脳を搭載しております。

 人工頭脳は、学習能力はもちろんのこと、演算能力もずば抜けているとのこと。

 コンピューターの性能指標の代表であるMIPSミプスFLOPSフロップスは歴代最高値を誇っており、その高性能な情報処理能力を支えるためのメモリやCPUなどの各性能も万全の状態を維持し、ユピテルの演算を支えているそうです。

 人でいうならば、知能指数であるIQは400以上なんだとか。ギネスブックに認定されている世界で最も高いIQの持ち主は256と記録されてますので、この参考数値だけ見ても、人工頭脳の知能は歴代の人間よりもはるかに上であるといえます。

 稼働を開始したユピテルは、将来的にはこのエリュシオンの運営を担うだろうと言われており……』


 なるほど。この都市のすべての人間に関係のあるものがついに日の目を見た、と。

 私はスープを胃に流し込みつつ、まだ起きたばかりで動かない頭でテレビを見て、ご飯を食べて、一度部屋に戻って歯磨きをすませた。今日はツインテールにしていこうと決めていたのでちゃちゃっと髪を整える。

 早めに支度を整えて、時間ギリギリまであたたかい寮で団欒だんらんしていようとする男子組のそばをすり抜け、しっかりマフラーをして寮の認証機に携帯端末をかざして外に出る。

 吹き抜けた風の冷たさに足が竦んだけど、そのまま一歩二歩と進んでメインストリートに出れば、待ち合わせの場所には人の姿があった。柳井やない先輩だ。待ち合わせの街灯の下で寒そうに身を竦ませている。

 私は先輩のもとへ駆け寄るため、大きめの一歩を踏み出す。


「せんぱーい!」


 大きな声で手を振ると、顔を上げた先輩が小さめに手を振り返してきた。

 先輩は相変わらずのぼさぼさ頭…ではない。

 長めで目元を隠すようだった前髪はカットされて、寝癖でぼさぼさが常だった癖の強い髪はパーマで強制的にゆるふわに。流行はやりでなかった眼鏡はフレームとデザインを一新いっしん。大きなレンズはなくなってスリムになった眼鏡はフレームが淡い青色で、顔のパーツとしては派手すぎず地味すぎずといったところだろうか。

 あれから二週間ほどで先輩は退院することができた。それもこれもドラゴンであるおうやコウがあのとき適切な処置をしてくれたおかげだ。

 そして、先輩なりに思うところがあったのか、退院するなりこうして見た目に力を入れ始めたのが、以前と大きく異なる点。「おはようございます」「おはよう」まだ姿勢が猫背なところと声が小さいという改善点はあるけど、パッと見て彼が柳井わたるだと気付く人は少ない。

 今日も私と先輩は並んで歩き出す。

 ついこの間、少し離れていたその間に、先輩が刺され、死にかけた。その事実のせいか、先輩が退院してすぐ『朝も一緒に登校しよう』と言い出したのは私だ。

 それによって生じるすべてのこと…たとえば、クラスでひっそりと『アウェンミュラーが年上の男子と毎朝一緒に登校してるらしい』とか、そういった野暮な噂になることも承知の上だ。

 今日は雲の中に突入したのか、空は曇っていた。陽射しがないのか。寒いわけだ。

 私の視線を追ったのか、先輩がぼそっと「今日の光エネルギー充填率、六十パーセントを切るって」ぼそっとしているけど、それでも前よりははっきり喋るようになった先輩に顔を向ける。


「そういえば先輩、朝のテレビ見ました?」

「見たよ。ユピテルのこと?」

「はい。私、人工頭脳が完成しているなんて知りませんでした」

「僕もだよ。たぶん、実験稼働の段階が終わったんだ。正常に、安定して稼働することが確認されて、正式発表に踏み切ったんだろうね。これでオメテオトルはまた地位を確立した」

「そう、ですね」


 オメテオトルとは、このエリュシオンをまとめている政府や、ドラゴン審議会など、この都市にとって重要な決定がされるさいに利用される特徴的な建物のことだ。

 ここは地上で偉い地位にいた人々が出入りする建物でもあり、一般人が立ち入ることはほとんどない。

 エリュシオンの建築に大きく貢献した人、各国の官僚や大統領など…。ほとんどが上流階級層に住まう人なので、私達一般人はテレビを通して以外、オメテオトルに出入りする人の顔を知ることはない。

 そういった意味でオメテオトルからの決定というのは私達にとって遠すぎて、どこか他人事。無関係なようで、決してそんなことはない。政府は遠い場所から私達にテレビを通して決定されたこの都市の方針その他を伝える…。そういった届かない皮肉を込めて、オメテオトルは政府の別名として用いられることも多い。私にとっても政府、オメテオトルは遠い存在だ。 

 それにしても、オメテオトル、って言いにくい。

 携帯端末で検索すると、オメテオトルとはアステカ神話の創造神の名前らしい。二面性の神を意味し、対立する二つを兼ね備えた完全なる存在、か。あまり馴染みのない響きなわけだ。

 先輩が思い出したって顔で自分の携帯端末を取り出した。メールを開き、私に見せてくる。送り主は葉山はやま先生だ。「今日の授業、先生遅れるかもってメールが来てた」「えっ、どうしてですか?」そんなメール来てたろうか、と驚いて自分の端末を確認する私に先輩が曖昧に笑う。


「エディとの面会予約、取れたのが今日なんだって。場合によっては自習になるかもしれないから、ごめん、って」

「…なるほど」


 私は一つ吐息した。なんで私の端末にはメールが来てないのかと思ったけど、そういうことか。先生なりの気遣いのつもり…なのかもしれない。

 先輩を刺したエディ・シェフィールドという、高校生として私の一個上になる彼は、現在、軍の更生施設に入っている。面会とは、その彼に会いに行く、ということだ。

 なんでも、先生がうまいこと掛け合ったんだとかで、彼は一年間真面目に更生施設での厳しい生活指導をパスできれば社会復帰できるのだとか。

 その点について、私が言うことは何もない。

 先生が彼に『更生の余地がある』と判断してそう行動したのなら、それはそれでいいと思う。先輩も、彼が取った行動に関しては『僕にもいたらない点があった』と言っているし。先輩がエディのことを憎まないのなら、私だって憎まない。ただ、戻ってきたら一発思いきりビンタしてやろうってくらい。

 エディが社会復帰できたからといって、彼がしたことがなくなるわけじゃない。先輩を刺したという事実は消えないし、それによって、周囲の彼を見る目もすでに変わっている。もう『資産家の一人息子でステータスのある男子』では通らない。本当に辛いのはきっと社会復帰したあとだろう。それでも彼はやり直すと決めたし、先生はその手助けをすると決めた。…私に言えることなんて、何もない。

 一年後。できればそのときには、このもやもやした気持ちに決着がついて、彼とちゃんと話せることができればいいと思ってる。


「彼に会えるのは一年後ですね」

「そうだね」

「たった一年先のことが、私には全然見えません」

「僕も、そうだよ。この都市に来てからの一日って、長くてさ。空の中だからかわからないけど、間延びした時間の中に生きてるような、変な感じがするんだ」

「…そうですね」


 空の都市に来てから。このエリュシオンに住むようになってから。

 私達は知っている。この都市に来ることのできなかった多くの人間が辿った末路を。

 私達は多くの十字架の上に立っている。

 その現実が重たくて、私達はときにその事実から逃げ出したり、その重さに俯いてしまったり、膝をついてしまったりするけど。それでも精一杯、生きなければならない。生き残った人類の一人として、胸を張って、前を向かなくてはならない。

 きっとそういうものが無言で肩にのしかかっているから、私達は過ごす時間の長さまで変わったように錯覚するのだろう。

 私は今日も先輩と登校し、ブリュンヒルデの門扉をくぐる。

 私は高校棟、先輩は大学棟へ、片手を振って別れて、それぞれ校舎に入っていく。

 この都市での現実はとても重たくて、挫けてしまうような冷たさをしているけれど。それでも私は以前よりしっかりと前を、現実を見据えられている。そんな気がしているのだ。



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