7.
人が住まう最後の都市エリュシオンは、ドラゴンの加護を施した特殊な防護壁のおかげで、今日も風の猛威や運ばれてきた雲の霧から守られていた。
円形のように丸みを帯びている都市の真ん中より下は工業階層になっており、食品や日用雑貨その他の製造が行われているほか、この都市を動かしていくための電気、水道などの各種ライフラインの
工業階層の上は一般階層となっており、一般家庭の家々や商業施設、学校や会社など、ほぼすべてのものがこの一般階層に集中して集まっている。人の動きが一番あると言えるのはこの階層で、朝と夕方は登下校する生徒や会社を出入りする大人でメインストリートは賑わいを見せる。
一般階層より上は上流階級層という区分になっており、一般階層より資産や身分のある者が住まう場所となっている。特徴として、緑溢れる公園や、等間隔に設置された常夜灯、特徴ある一軒家がゆとりを持って並ぶ光景などが見られる。また、点在する店舗なども一般階層より高級志向となっている。
そして、民間人が立ち入ることのできない場所が、上流階級層の上にある。
この都市の方針を決定したり、政府として指示を出したりする少数の人間が出入りする特徴的であり重要な建物、オメテオトル。この都市の治安を守るための軍事施設や、ドラゴンの鱗を使用しているという機密性から、都市の防護壁もこの階層で造られていたり……エリュシオンにとって多くの重要な事柄がこの層に集まっていた。ドラゴン審議会もその一つである。
ドラゴン審議会とは、その名のとおり、ドラゴンという生物の評議、または検討をする場所である。
しかし、ドラゴン審議会とは名ばかりで、集まっている面々はドラゴンについて懐疑的な見方をしている人間ばかりであった。
まるで質の悪い玩具のようだと思いながら、
彼は、できるならこの場所に来たくはないのである。
なぜなら、彼はドラゴンを肯定的に受け止めているからだ。ドラゴンと人は友好的な関係を築き、互いに助け合っていくべきだと思っている。そんな彼がドラゴン審議会とは名ばかりのドラゴン否認会のメンバーとして歓迎されているわけもなく…。
彼は審議会のメンバーと表向きなってはいるが、審議会において彼の座席はなく、常に立ちっぱなしであり、余計な口を利くことは許されない立場なのだった。
そんな彼がなぜメンバーとして数えられているかといえば、表向きには審議会のメンバーは『公正的』で、ドラゴン否定派もドラゴン肯定派も受け入れた形となっているから、である。そう、まさに形だけ繕った中身のない議会というわけだ。彼の後頭部に小さな円形脱毛症が見られるのも仕方がないというものだろう。
オメテオトルの会議室の一室。照明が落とされ、手元に困らないようにと用意されたライトと大きなスクリーン以外に、部屋に光を放つものはなかった。
吉岡は当然のように席がなく、携帯端末に配布された議題に目を通しながら、ほかの審議員の邪魔にならぬよう会議室の入り口に立つ。
議題は、やはりというか、ホットなものであった。『エディ・シェフィールドを負傷させたドラゴンについて』…。
病院の監視カメラが捉えた断片的な映像をもとに、エディがドラゴンに怪我をさせられた、という『人類は被害者』的な方向でここの人間達は議論する気でいるらしい。
吉岡は不快感を押し殺し素早く配布物に目を通した。
その中に蛇の文字はなかった。つまり、ここの人間はそれしか掴めていないということだ。
幸いなことにというか、
そんなものを待っている暇はないと審議会が病院の監視カメラの映像を持ち出したのなら、吉岡にとっては都合がよかった。
蛇の存在は人間にとって脅威と映るだろう。実体がなく、しかし他者を簡単に支配できる存在など、歓迎されるわけがない。蛇のことはできれば秘匿するのが吉だと吉岡は思っていた。なんとかこの会議を誤魔化し通すことができればいいと、彼は思考を回転させる。
やがて「静粛に」という声が響くと、スクリーンに映し出されている映像について交わされていた言葉が止んだ。
会議室の中央のスクリーンに大写しになっているのは、今回の審議対象である
「提示された情報を読み上げます。
このドラゴンの名は青玄。まだ五歳の子供のドラゴンですが、ご覧のとおり、人間に化けることも
司会を務める男が携帯端末に表示されている文章を読み上げていく。
審議会に青玄についての情報提供をしたのは
この都市を守る防護壁は彼の鱗あってのもの。それは審議会にとって気に入らない現実であるが、この都市を守り続けている実績のあるドラゴンの言葉を信用しないわけにはいかないと、應の情報はこうして公式に提示されるものとなった。
吉岡はじっとスクリーンを見つめた。
まだ片手で足りる年齢の子供。いや、ドラゴン。どちらにしても青玄は幼く、だが、強い意志を秘めた瞳を紫色に輝かせている。
「
「事前に彼から話はあったのかね」
「いえ」
「彼は、我々が気付かねばそのままドラゴンを匿うつもりなのではなかったのかね?
人間の姿で見たところはまだ子供だが、ドラゴンの姿ではどうか分からん。ドラゴンにとって、姿かたちを変えることなど造作もないのだろう。子供と思わせ我々の油断を誘うつもりかもしれん」
「それは…しかし、なんのためにでしょうか」
「決まっている。我々人間に牙を
ざわり、と会議室が小石を投げられた水面のようにざわつき始める。「確かに、ここは我々人類の都市だというのに、ドラゴンの数が増えてきている…。卵を保護した報告といい、今回のことといい」「由々しき事態なのではないか?」「彼らがその気になれば、我々を滅ぼすことなど簡単だろう」「これ以上ドラゴンをのさばらせては…」交わされる言葉に吉岡は苛立ちを隠しきれない。
思いつく限りの言葉で反論したかったが、彼は求められている言葉以外発言してはならないと決まっている。唇を噛みしめてその場に立ち尽くすしかない。
「お待ちになって、みなさま」
突然会議室にぽんと落ちた、場違いな幼い声。
波紋の広がっていた水面がぴたりと静かになった。
気付けば会議室の後方扉が開いていた。
そこには一人の少女がおり、執事と思わしき格好をしたスーツの男に車椅子を押されながら入室してきたところだった。
審議会の中で…いや、このオメテオトルを出入りする者の中で彼女を知らぬ者はいない。また、吉岡も、彼女のことは耳に入れていた。
最近完成したという人工頭脳を搭載したコンピューター。
少女の形をしたコンピューターは、名をユピテルという。
ローマ神話の主神の名を与えられた少女に、常に演算予測されている
ユピテルは車椅子を進めさせると、スクリーンの前で静止した。「みなさま」落ち着き払っているのに幼い声は、その矛盾を体現している
ユピテルは白い手でスクリーンに別の映像を表示させた。カメラに撮られていることをわかっているかのようにVサインで映っている應である。「忘れてはなりません。この都市はドラゴンの助力があって初めて存続できています。彼らをなくすことは、この都市の未来をなくすことと相違ありません」ユピテルの言葉に何人かが反論しようと口を開くが、人間の叡智の結晶は追随を許さない。
次にスクリーンに表示されたのは、ついこの間この都市を襲った
喰に対し、人間の主力武器ともいえる
そして、事態をおさめたのは、紅の鱗を持つ
不機嫌そうな顔で眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいる紅の写真と、紅竜が喰を燃やし尽くす瞬間をスクリーンに映し、ユピテルは口を開く。
「個体でこれだけの力を誇る彼らにとって、人類など取るに足らないかもしれないという事実は確かに考慮すべきです。
しかし、同時に、忘れてはなりません。我々は彼らに恩義があります。彼らが我々のために大きな力を貸してくださっていることに対し、我々は彼らの小さな願いを受け入れる義務があります。
我々は知的生命体です。恐怖に支配され重要な決定を誤ってはなりません。
我々は理性的に物事を定めるべきです。あなた方はオメテオトルに出入りする人類の代表者…。そのことを踏まえ、よく考えていただきたいのです」
すらすらと言葉を並べた少女は最後にニコリと微笑んだ。
完璧な笑顔。機械であるが故に完璧を体現する彼女に、誰も何も言えなくなっていた。
……吉岡にとって、ユピテルという存在は完全に誤算であった。
彼女が参入するということは、やがてこの都市の頭脳となる者がドラゴンを重要視しているということにもなるのだ。
それは、つまり、目をつけられた、ということ。
この人工頭脳はどこまでのことを知っているのか。あの笑顔の下で、煌めく瞳で、何をどこまで見据えているのか。
青玄についての映像を見たのなら、彼女はエディ・シェフィールドの尋常ならざる行動も同時に目にしたに違いない。
ユピテルは物事を客観的に捉える。人間に許された以上の運動力を見せていたエディに、疑問を抱かなかったはずがない。審議会の人間達のように穴だらけの目でエディを見ているということはないだろう。
しかし、この場でユピテルは微笑んでいるだけで、そのことについて言及することはなかった。それがまた吉岡の頭に引っかかり、彼の後頭部の円形脱毛症を悩ませるのだった。
かくして、ユピテルが参入した審議会の決定により、青玄は正式にエリュシオンに迎えられることとなったのである。
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