2.


「…そういうことだから、もんだいのヘビはエディってやつといっしょにいる、でほぼきまりだ。

 おうとコウはうごけない。それはおまえもしってるよな。だからしょうがないからおれがきた。おれはまだここのせいふとやらにしられてないからな。ここまでもみつからないようにきた。なにかあったらおれがうごく」

「………」

「…なんだよ」

「いや。しっかりした喋り方をするようになったなぁと」

「ガキあつかいするな。おまえのせなんてすぐおいこしてやる」

「あはは」


 この間、この都市から出て地上へ戻りたいと言い駄々っ子みたいに暴れていた青玄せいげんが、舌足らずな子供の声ながらも流暢りゅうちょうに言葉を話すようになっていたことにまず驚いた。

 深い青色の髪を鬱陶しそうにかき上げて、セイは俺と同じ色の瞳を病室のあちこちに向けた。姿を視認できない蛇という、今回の騒ぎの元凶を探すような素振りを見せる。「そういえば」「ん」「セイを育てた人って、みどりさん、だっけ。日本人?」尋ねた俺をセイがじろりと一瞥いちべつする。「…そうだけど。なんで」「いや。君の瞳が日本人色だったから、そうなんだろうなって思っただけだよ」セイはふんとそっぽを向くと鞄から本を取り出して眺め始めた。そういう姿は少し、コウに似ている。まぁコウが読むのは薄い本だけど。

 携帯端末に音声着信の知らせが表示された。吉岡よしおかさんだ。

 ソファを立って「ちょっと外すね。ろいろ、ここにいるんだよ」ついてこようとする少女姿のろいろをソファに座らせて、ベッドにいる柳井やないとお見舞いにきているリアを横目で確認してから病室を出た。

 白い廊下は行き交う看護師や患者でそれなりに人がいる。

 たとえ病院でも、見える風景は平和だった。ここには瘴気しょうきからだをやられて腐っていく人なんていないんだから。

 通話可能エリアまで移動して受話器ボタンをタッチする。

 セイと應の話を信じるなら、柳井を刺したエディ・シェフィールド、そして今現在彼がいるだろうシェフィールド家は、件の蛇によってになっている可能性が高かった。

 俺がおうとセイから聞いた事情を説明すると、吉岡さんが動いてくれたので、この電話はその結果報告ということになる。


「お待たせしました」

葉山はやま、マズいことになってるぞ。読み通りだ』


 少し焦ったような吉岡さんの声に短く吐息する。「そうですか…」とこぼして閉じた右目に指を当てる。

 應とコウが表立って動けない今。やっぱり、使わないと駄目か。


『エディ・シェフィールドの母親ルーシーは刺殺、心臓を一突きだ。遺書を書き残して父親のデリックは首を吊っていた。構図としては無理心中で妻が殺され夫が自殺した、というふうだが……エディの姿は家のどこにもない』

「でしょうね。彼が手をくだしたわけではないと思いますが、彼にいている蛇がそうなるよう陥れたのだとすれば……」


 閉じた右の視界に『起動』の文字が浮かび上がる。目を開けて、右だけクリアになった視界で周囲を確認する。とくに異常はなし。ろいろとの同期状態も正常だ。ちゃんと動いてる。

 トイレに移動して個室に入り、自分の装備を確認する。ドラゴンの爪と牙から特別に作ってもらったナイフが一つずつと、防弾チョッキ相当にはなるだろうドラゴンの鱗を使ったベストに、應がくれたお守りに、コウがくれた粉の入った瓶と…。

 俺、肉体派とかじゃないんだけどな。右目だけ少し特別製で、装備がちょっとドラゴンものに偏ってるってくらいで、普通の人間なんだけど。それでも頑張るしかない、か。


『…聞かせてくれないか、葉山。その蛇ってのはなんなんだ』


 ぼそっとした声に、個室の外の様子を確認してから口を開く。誰もいない。「應曰く、古来から存在するドラゴンの一種だそうです。肉体を持たず、他者…生きとし生けるものに精神を寄生させることで生きてきた存在」相手の心に寄り添い、その望みを囁き、そそのかし、静かに背中を押す。

 ドラゴンっていうのは本当に不思議な生き物だ。十年、ドラゴン相手に生きてきたけど、俺が知らないことはまだ山のようにある。今回の『蛇』と呼ばれるドラゴンもその一つだ。

 人間は、叶わない願いほど強く焦がれる。それが手に入るだろうと囁くような存在には、弱いだろう。蛇が寄生するには、その心を操るには、人間はもってこいの存在というわけだ。『なぜそんなものがこの都市に…』吉岡さんの苦い声。「それだけ、地上が、壊滅状態に近いんでしょう。誰かに寄生しなければ生きていけないドラゴンが空に舞い上がってくるほどには」自分で言っていて少し胸に刺さる言葉だった。

 十年前、大地の上で当たり前のように生活していた俺や吉岡さんにはどうしても苦い思いがこみ上げる。

 十年で、世界はここまで死にかけている。

 事態の根本的な解決法を見つけることを諦め空へと逃げた人類。それでも、この星を捨てる、というような技術は持てず、空に留まるしかなかった。終わりの見えている逃亡。多くの人を、ドラゴンを犠牲にして、この都市は今もこうして空の中に浮かんで現実から逃げている…。

 ピ、と右目の視界に警告メッセージが出たのは唐突なことだった。

 赤く『警告』と点滅する文字に半ば転ぶようにして個室を飛び出す。ほぼ同時に俺を追うように飛び出してきた人物が手にしているナイフを振りかぶって襲いかかってくるのが間延びした右の視界に見えている。


(人物照合。合致。ブリュンヒルデ在学高校二年。エディ・シェフィールド)


 右の視界は小さくエディの顔写真を引っぱり出してきて俺の視界の端にピン付けした。

 ガシャン、と携帯端末が床に落ちる音が響く。

 右の視界の反応速度と、現実の体がついてくる速度には限界がある。いくら目が高性能でも、俺はもうおじさん手前なわけで、若い故の瞬発力とか反応力とかは落ち始めてる。

 エディのナイフの一撃を、こちらもナイフの一振りでなんとか受け止めた。ギン、と金属と硬質なものがぶつかる鈍い音がする。

 本気でこちらを殺しにかかっているエディは寒気を感じるほどに無表情だった。「…エディ?」ギギギ、と刃が互いを削って軋み合う。

 エディは何も言わない。ただ俺を殺そうとしている。暗い色に濁った瞳に人の意思は感じられない。

 俺の前には、年相応の少年以上の力でこちらへ刃を押し込んでくる、人のかたちをした何かがいる。この場合、蛇、が。『どうした葉山。葉山?』落ちた端末から吉岡さんの声がしている。返事をする余裕はない。


(ものすごい力だ。押しきられる…っ)


 痺れてきた腕で痛みを覚悟したとき、「うひゃっ!?」とトイレの入り口から悲鳴が上がった。

 入院患者だろう、パジャマ姿の老人が一人入り口で腰を抜かしていた。無表情にこちらを見ていたエディの瞳が動いて老人を捉える。

 くそ、と歯噛みする。この目と同じ速度で体が動けば…。

 こちらが動き出すよりも早く床を蹴ったエディを右の視界が見ている。普通の人間より圧倒的に早い反応速度。そのナイフの軌道を読み、腕を突き出す。届け、と願いながら。

 老人の眉間。その先の脳髄。確実に人を殺せる場所を狙った一撃。

 俺が無防備に腕を突き出したことで、俺の身をナイフという危険から守るためにコウの粉が光り輝いて、エディの視界を奪った。その僅かな一瞬で、俺は老人をその場所から突き飛ばすことに成功する。

 ただ、これは一回限りだろう。相手の蛇は俺にドラゴンの加護があることを知った。二度目はない。

 老人を守るように立った俺に、視界を庇っていた腕を下ろしたエディはにんまりと笑顔を浮かべた。

 ナイフを持っている俺とエディに周囲から悲鳴が上がる。その度にエディの目は獲物を探すようにギョロギョロと動く。


「先生。俺、探してるのが二人いて。柳井わたると、リア・アウェンミュラーなんですけど。先生、知ってますよね。居場所」

「…どうして二人を探してる?」


 これは蛇の言葉か、エディ自身の言葉か。

 慎重に尋ねた俺にエディは笑う。「ああ、すごく、個人的な事情なんですけど。俺、二人を殺さないと」そうこぼしてエディはナイフを投げた。何気ないようでいて確かな速度のある投擲とうてきに、右目の視界はその軌道と到達場所を計算してくれる。そこに届くようにこちらもナイフを抜き放ち、看護師の眉間を狙っていたナイフをギリギリのところで弾く。空中でぶつかりあったナイフはギンッと音を立てて床と壁に突き立った。…なんとか、間に合った。

 床にへたり込む看護師に、エディが笑う。嘲笑わらう。わらう。


「先生、やりますね。でもいつまでもつかな?」


 そう言ってエディが分厚いコートのボタンを外して見せたのは、コートの内側に数えきれないほどに並ぶナイフの群れ。

 る気満々、ってか。

 じわり、と滲んだ右目の痛みを無視して、新たなナイフを取り出し床を蹴ったエディに、俺も床を蹴飛ばしてナイフを構えた。



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