6.
最近、僕、
それというのも、リア・アウェンミュラーという女の子のおかげだ。
ドラゴン学の授業のときだけ見かける彼女とは、授業があった日は待ち合わせをして一緒に帰ることが多い。そして帰りは決まってカフェに寄り道し、今日の授業の話をしたり、ドラゴンの話をしたり、この都市の方向性とか、そういう難しいことも話題にしてみたり…。または、各々タブレットで課題をこなしたり…。
普通であればありふれていただろうそんな風景も、僕には初めてに等しく、とても新鮮で、そして、好ましいものだった。
僕は、同年代でドラゴンのことを肯定して話す子を他に知らない。
彼女はこんな僕にも笑ってくれる。
もちろん、僕のはっきりしない喋り方とか、寝癖がついたままの頭とか、猫背の姿勢とか、ダメ出しされることもある。むしろそっちの方が多いかもしれない。でも、それは僕を
思いやりで人のことを怒るのは力のいることらしいから、彼女には本当に感謝の気持ちばかりがある。
まぁ、そんな感じで。僕にとってリアという少女は大切な子になりつつあったわけで。
そんな彼女と今日も授業を受けて、帰りは一緒に帰る約束をして、控えめに言って、僕は舞い上がっていたわけで。
リアが校舎の方からきれいな金髪を風に踊らせて現れたとき、校門で待っていた僕は、当然、彼女のもとへ行く。
だって、一秒でも早く話しがしたいじゃないか。なんでもいいからさ。彼女に僕のことを見てほしいじゃないか。そういう男心が僕にもあったわけです。
でもですね。僕はなんたってダサい柳井。そんな僕にリアはもったいないと、思ったんでしょう。「アウェンミュラー」と彼女の向こうから男子の声が聞こえたわけです。彼女を呼び止める声が。
リアは『外見もステータスの一部だ』とよく言う。だから毎日髪型を変えてくる。
外見に気を遣うリアにふさわしいような、外見に気を遣った男子が彼女を呼び止める。「ちょっといいかな」「…なんでしょうか」リアは首を傾げてからちらりと僕を見上げた。僕は、何も言えない。ここで『いいから帰ろう』と言えるほど僕と彼女は親密な関係ではない。僕は肩を竦めて「待ってる」と言うことしかできない…。
リアは若干面倒そうな顔で、話がある、と言う男子についていった。
……残された僕は、校舎の壁にもたれかかってうなだれた。
決まってる。あれは告白だ。ちょっと、なんて声をかけて『二人だけで話したい』内容なんてそれくらいしかないだろう。
(そうかぁ。リアに彼氏ができるのか…。僕の幸福も、ここまで、かぁ)
いや、いやいや。逆に考えるんだ柳井航。
僕は今まで幸せだったじゃないか。長い学校生活の中で安らげる時間が確かにあった…そういう思い出をもらえたんじゃないか。それだけでも僕は彼女に感謝して、今までどおり『先輩』として彼女と一緒に授業を受けられればそれで……。
それで、いいはず。そう思わなきゃ…。
一人自分の気持ちと戦っていると、リアが戻ってきた。隣にさっきの男子は……あれ、いない。「すみません。お待たせして」「え? え、ううん、大丈夫……」あれ? どうしていないんだ? と首を捻った僕にリアも首を傾げた。「なんです?」「あ、いや………あの。さっきの、男子、話、なんだった…?」ものすごく不自然にギクシャクしながら尋ねた僕に、ああ、とぼやいたリアはさらりとこう言った。
「好きだ、付き合ってほしい、と言われました」
「そ、そう、なんだ…」
「でも、お断りしました」
「えっ!?」
思わず大きな声が出た。ハッと自分の口を押さえた僕にリアがきょとんと目を丸くする。「大きな声、出るじゃないですか」「う…。そういうの、今はいい、から。えと」いつも以上にしどろもどろになる僕に、僕って人間の口下手さを知っているリアが少し笑う。「なぜ断ったのか、ですか?」「うん、そう」それだ、とこくこく頷く。我ながら、本当、言葉も会話も下手くそだなぁ。
リアはふうと息を吐いて空を見上げた。
エリュシオンは今日も快晴だ。おかげで光エネルギーの充填率は今日も
「私、その人のことをあまり知りませんし」
「そう、なんだ」
「そうなんです。どんな人かも知らないのに付き合うっていうのは、やっぱり何かおかしいと思います」
「そう、なの? でも、とりあえず付き合ってみる、とかそういうの、ないの? 相手は、君に、好意を伝えた、んだろ…?」
「好きだという気持ちはありがたいです。そう返しはしました。でも、それだけです」
リアは、大人だった。寄せられた好意を冷静に考えられるくらいには。
リアはまだ幼い顔立ちに大人びた表情を見せて、「将来的展望のない人に付き合っている暇は、ちょっとないですね。私はしたいと思うことがたくさんあります。それに共感してくれる人と一緒にいられる方が、ずっといい」「…そっか」僕は曖昧に頷いた。リアの彼氏になる未来の誰かは大変だろうな、と思いつつ、まだリアの隣に僕がいても大丈夫な毎日があることを知って安心したりして……僕、こんな人間、だったっけ。
リアは僕をからかうときに見せるにっこりとした笑みを浮かべた。
「それに私、先輩のステータスを向上させることで忙しいですから。他の人に構っている時間はありません」
「…? そう、だね?」
ステータスって、髪型とか姿勢とかのことだろうか。
首を傾げた僕に、リアはなぜか吐息する。「この話はこれで終わりです。さ、今日も私に付き合ってください」「う、うん」慌てて脱力状態だった
校門まで歩いて行くリアの背中を追いながら、僕は
……もしかして、さっきの。僕がいるから他人はいらないって意味、だろうか…?
いや、そんな、まさか。僕はダサい柳井だぞ。そんな僕がいいなんて言う人間、いるはずない。
そのあとは、いつものように二人でカフェに寄り道した。今日のドラゴン学の授業内容について、二人で復習しながら次の予習もした。ここが気になるとか、きっとテストに出るとか、そんな他愛のない話もした。
控えめに言って、僕は、幸せだった。
殺風景なカフェの黒いテーブル。白いメニュー表。黒い椅子。白いカップ。モノクロの景色の中で
ひょっとしなくても、これが、恋、というやつなんだろうか。思春期の男女を語るのに欠かせない恋ってやつなんだろうか。ダサい柳井と言われる僕にもようやく思春期が到来したんだろうか。
…リアと僕だけがいる空間。二人だけでいられる時間。
この
でも、そんなことになるわけはなくて、時間はきっちり進んで、やがて街には鐘の音が響き渡る。
この空中都市は陽が沈むととたんに寒さが増すから、ブリュンヒルデの鐘が帰宅しなさいと鳴ったら、それがさよならの合図だ。
幸せな時間も終わりになって、僕らはタブレットを鞄にしまい、ドリンク代の会計をすませ、外に出る。ビュオ、と吹き抜けた風にマフラーを巻き直して、リアの寮があるストリートまで彼女を送っていく。
エリュシオンは、選ばれた人間が住まう街。人類が切羽詰った状態にあることは、口に出さないだけで、誰もが理解してる。だからこの都市の犯罪数というのは少ない。
リアを一人で帰らせても危険はない、大丈夫だ、と頭で理解はしてるけど、なんとなく、いつもこうして彼女を送ってしまう。それは、たぶん、僕が、彼女となるべく一緒にいたいからだろう。
「明日は今日よりも努力して寝癖を直してくださいね」
「う。はい…」
「それじゃ、また」
「うん。また。気をつけて」
「すぐそこですよ」
そう言って笑って、軽やかに駆けていく彼女の後ろ姿を見送る。名残惜しく、立ち尽くして、その姿が見えなくなるまで。
…これが恋ってやつか。そうか。なんて、苦しい。それから、嬉しい。
些細なことで気持ちが浮き沈みして。小さなことが気になって。リアのことならなんでも知りたくて。なんでもしてあげたくて。
あの笑顔のためなら僕はなんだってできる。そんな気がする。
(じゃあ、まず、僕は彼女がそう望むように、毎朝少しだけ早く起きて、寝癖と格闘したり、姿勢を正すためのストレッチを始めたり、しないといけないな。それがリアの望むことなら…)
そう心に決めて、今日もどうせ帰ってこないだろう両親と兄を思い出し、食料品や日用雑貨を扱っているお店に寄る。今日のご飯の調達をしないとと思ったからだ。
今日も
どん、と、背中に衝撃を受けた。
ああ、誰かがぶつかったのかな、僕がぼんやり突っ立っていたのが邪魔だったのかな…そんなことを思いながら振り返った先で、悲鳴を聞いた。
僕の背後に立っていたのは、リアを呼び止め、告白をした、あの男子だった。ものすごい形相で僕を睨んでいる。「お前が悪いんだ。お前が。お前が…っ」どうやらこの男子は僕がいるせいでリアが自分をフッたのだと思っているようだ。
それは、たぶん、違う、勘違いだと思う。僕がいなかったとしても、リアはきっと…。そんな弁明をしようとして、けほ、と咳き込む。
なんだか声がうまくでない。おかしいな。
それに、背中が、すごく、痛い、気がする…?
リアに声をかけたときは、ちゃんと着飾って、きっちりした服装をしていたその男子は、今はすごく汚れていた。赤い色で、汚れていた。
ああ。あれ、僕の、血か。そう気付いたときには体にうまく力が入らなくなってきていて、手にした缶詰を落としてしまった。おまけに商品が陳列された棚にどかっと肩からぶつかって、落ちてきた缶詰やパンの袋が頭にぶつかった。棚に寄りかかるようにして、うまく立てないまま、膝をついてしまう。
目の前が。暗い。
誰かの。お店にいる人の悲鳴が、聞こえる、気がする。
エリュシオンの犯罪数は、確かに下方傾向だ。でも、なくなったわけじゃない。やむを得ない事情…たとえば、今日のパンを買うお金もない、とか。そういう理由で盗みをする人は確かにいるし、もっと私的な理由で犯罪を犯す人もいる。どうやら僕は後者、私的理由で、刺されてしまったらしい。
……リア。リアは。僕が死んだら、悲しむ、だろうか。
そんなことを思いながら、黒く塗り潰されていくの視界の中で、鞄につけてあるキーホルダーが…小瓶の中のドラゴンの粉が明るく輝くのが見えた、気がした。
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