4.


「そうだコウ、おうのところ行ってみなよ」

「は? なんであたしが」

「行ってみればわかるよ。行く価値はあると思う。

 ほら、ずっと座って作業してると集中力落ちるだろ。散歩がてらちょっと行ってみなって」


 かいりに意味深なことを言われ、仕方がなく、作業効率を上げるための休憩がてら『應』と筆文字で大きく名前の書いてある部屋に行けば、中からはぎゃあぎゃあと何かうるさい声がした。普段は読み物やら書き物やら石転がしやらをしてる應にしてはやけにうるさい。

 眉間に皺を寄せながら扉をどかっと蹴破る。

 あたしは扉横の認証機なんて見えない、見えない。こんなものでいちいち開閉の記録をされることが鬱陶しい。よほど蹴破った方が早い。

 ガラガラと簡単に転がった鉄の扉。

 中ではおう抱えていた。いつものように扉を蹴破ったあたしに眉尻を下げている。


「これコウや。毎度毎度壊すでない。わしが直すのじゃぞ…」

「うるさいわね。そんなことより、何」


 あたしが顎でしゃくって示した小さいモノは、扉を蹴破ってやって来たあたしに驚いているらしい。が、我に返ったのか「はなせくそじじいっ」と應の手の中で暴れ始める。

 その小さいのは、どうやらドラゴンの子供らしかった。顔に鱗紋りんもんが薄く出ている。幼すぎて自分の力を満足に制御できていない証拠だ。「この子はの、青玄せいげんという。セイと呼んでやるのがよかろう」「あっそう。あたしが聞きたいのは名前とかじゃないんだけど」バタバタと暴れては應の手から逃れようともがく子供にイラッときて、Tシャツの襟首を掴んで天井に向けて突き出した。


「うるさいのよガキ。ドラゴンである自覚があるなら節度を知りなさい」

「うるさいのはそっちだババア、はなせっ」


 ピキ、とあたしの額に青筋が浮き出たことは、言うまでもないだろう。

 子供だろうと手加減せず小さいそれを床に叩きつけた。「こりゃコウ!」ぐったりした子供を慌てて抱き上げる應を冷めた目で見下ろす。

 この部屋の主である応龍おうりゅう……一応あたしより力のあるドラゴンは、変わり者だ。自分より格下の相手にも平等に接しようとする。人間然り、ドラゴン然り。こんな子供のドラゴンにもそうやって甘く接するものだから、相手がつけあがるのだ。

 ドラゴンの世界も基本的には弱肉強食。強い者が生き残り、弱い者が死ぬ。

 そんな単純明快な世界が退屈で、あたしは人間界に潜り込んだのだ。だからある程度は我慢というものもできる。けど、それを当たり前のように求められるのは筋違いというものだろう。

 まして、こんな子供。世界の一片すら知りはしないくせに、自分の主張だけは通したい、ガキが。

 あたしが腕組みして見下ろしていると、もそりと動いた子供がこっちを睨み上げた。…その威勢の良さだけは評価してやってもいい。力の差は歴然。それでもあたしを睨もうというんだからね。

 應がさっとあたしと子供の間に割って入った。「ちょおっと待つのじゃ。な? な?」「…じゃああたしの質問に答えてくれる? はなんなの」あたしより長く生き、あたしより力があるくせに、このドラゴンは力で物事を解決しない。あくまで人らしく、まずはあたしに応接ソファを勧めてくる。


「座ろう。茶も出すぞ。少し、長くなるからの」


 はぁ、と溜息を吐いて、あたしは仕方なくソファに腰かけ、應の後ろに隠れてこっちを睨む子供を睨み返した。



 應は無駄に長生きをしてるから、お茶を淹れるのはうまい。

 あたしが炎を操るドラゴンで熱いのに強いということも考慮して、グツグツと煮えたぎるお茶を出してくる辺りもちゃんとわかっている。

 煮えたぎるお茶でも割れない湯呑みはフロストドラゴンのものだろう。主から剥がれてもその冷たさを保つと言われるドラゴンの鱗からできているから、この湯呑みは割れずにすんでいるのだ。

 久しぶりにおいしいと思えるお茶を飲めて少し満足した。

 應がお茶を淹れて向かい側のソファに座ると、子供は眉根を寄せたあとにその隣に座った。湯呑みを両手で持つと中身をすすって顔を顰めている。


「で?」

「うむ。セイだがな、儂の知人の…おや、この場合は知竜かの? まぁ、知り合いじゃな。そのドラゴンの子供じゃ」

「ふぅん」

「ラベンダードラゴンを知っておるか? 輝くラベンダー色の鱗をしているドラゴンなんじゃが」

「聞いたことないわね」

「そうか。そうじゃの。彼女が最後のラベンダードラゴンであった。

 儂と同じで、人間が好きなドラゴンでな。お互い気が向いたときに会っては人の話に花を咲かせたものだ」


 懐かしそうにそう話し瞳を細くする應を頬杖をついて眺める。

 あたしは應と仲がいいわけではない。互いの利害が一致したから一時的に手を組んでいるにすぎない。あたしは人間の文化に興味はあっても、それを生み出した人間にはあまり興味はないのだから。

 ずずず、とお茶をすすった應は隣にいるセイの頭をぽんと叩いた。それを小さな手がすぐさま払いのける。「しかし、彼女も歳での。卵を一つ産み、充実じゅうじつした余生を過ごし、安らかに眠りについた」その子供がそこにいるドラゴンというわけか。

 知り合いのドラゴンの子供で、天涯孤独の身になってしまったから、引き取って連れてきた。そういうことか。ありふれた話で、なんのネタにもなりゃしない。

 これで話は終わりか。

 ならあたしはもう帰ろう。作業の続きをしたいし。

 ソファを立ちかけた私に應が慌てたように手を振る。「待たんか。話はここからじゃ」「…まだあったの」仕方ないので座り直して、もうぬるくなり始めたお茶をすする。


「ラベンダーは歳であった。その生の最後に卵を生んだ。

 今お前が面倒を見ている卵があるじゃろ? 状況としては似ておる」

「……産んで、誰かに卵を託したということ?」

「そうじゃ。信頼できる人間の手に預けた。そして見事セイが生まれ、人の手で育てられ、ここまで大きくなったのだよ」


 ぽん、と頭を叩かれた子供はまた應の手を払いのける。

 …なるほど? だからあの意味深な言葉に繋がるわけか。

 人間がドラゴンの親になるということ。種族の違い。寿命の違い。今のかいりとろいろに当てはまるその関係性に抱いた疑問を問いかけた。

 人に育てられたというドラゴンの子供がここにいるってことは、その人間はもう…。

 あたしは俯いてじっと湯呑みを見つめている子供を眺めた。

 ……まだ満足に力を扱えない子供が、どうして人の姿をとるのか。

 應が教えたわけじゃない。きっと、誰が教えたわけでもないんだろう。

 あの子供は、子供なりに、いなくなった親を、人間を想っている。戻らないその誰かにがれている。だから同じ姿になる。なるべく近づこうとする。うしなった親のことを忘れないよう、自らの姿を人という生き物に似せていく。あの子供はそうやって生きようとしている。

 あたしは、年長者として、人間とそれなりに関わってきた者として、子供に忠告した。「忘れた方が楽になれるわよ」そう言ったあたしを子供は睨み据えた。


「ひとりも、おなじにんげんは、いない。みどりは、みどりで、おれをそだてたみどりは、たったひとりしかいない。かわりなんていらない。わすれるなんて、しない」


 子供は。子供なりに。子供だからこそのまっすぐな想いを抱いて、あたしの言葉を切り捨てた。

 ふん、と鼻を鳴らして足を組む。

 生意気なガキだな、本当に。楽な道をアドバイスしてやったっていうのに、自ら苦しい道を行く、か。

 そういう根性あるヤツは嫌いじゃないけどね。

 應はやれやれと首を竦めた。「まぁ、そういうことなんじゃよ。思うところはあるだろうが、セイは友人の…友竜の忘れ形見じゃ。面倒を見てやりたいと思っておる」「そ。好きにすれば」あたしからこれ以上言うことなど何もない。應が面倒を見るというなら、好きにすればいい。ここのヤツらにどう説明するつもりかは知らないけど、こっちに火の粉がかからないならそれでいい。

 もうここにいる理由もないとソファを立ち上がって…あたしは應の部屋を見回した。何か、思考に引っかかるものが見えた気がしたのだ。

 石やら巻物やら本やら羅針盤やら、色んなものが転がるこの部屋は乱雑すぎて、何が気になったのかもわからない。


「…應」

「んむ?」

「妙なことを考えないでよ」

「セイのことなら心配するな。ここでの生活はちゃんと教える」

「そういうことじゃない」


 わざとらしく首を傾げる應にイライラとサンダルで床を踏む。こういうところまで人間らしいから、このじじいはムカつく。「最近よく地上へ行ってるでしょう。その子供の件の前からよ。あたしが気付いてないとでも?」「ほう。そうか、知っておったか」参ったの~ところころ笑う應にさらにイライラする。

 ああほんと、人間くさいわね。少しはドラゴンらしくなさい。それでもあたしより格上のドラゴンなの? 威厳ってものがなさすぎる。


「のう、コウや」

「何よ」

「瘴気がなくなれば、我々ドラゴンと人間はまたやり直せる。そうは思わんか?」

「……はぁ?」


 突拍子もないことを言われ、あたしは呆れ顔で應を見やった。

 應はにこにこと笑顔だ。気持ち悪いくらいに笑顔。

 …人は、瘴気は『ドラゴン』が運んできたと言い。ドラゴンは、瘴気は『人』がもたらしたものだと言う。

 そりゃあ、瘴気という毒がなくなるなら、それが一番いい。でもそれは、人間もドラゴンも、この星に生きる者すべてが努力して、できなかったことじゃないか。だから人もドラゴンも空へ逃れた。だからこの空中都市がある。

 何を考えてるのか読めない應を睨みつける。子供はちらちらとあたしと應を窺っている。…誰も動かない。


「ねぇ、應。もう一度だけ言っておくわ。くれぐれも、妙なことはしないでよ。ここがなくなって困るのはあんたもあたしも同じでしょう」

「そうじゃな。分かっておる」

「…………」


 笑顔を崩さない應に、あたしはこの場でのそれ以上の追求は諦めた。蹴破って転がったままの扉を踏みつけて乱雑な部屋を出て行く。


(何を考えてるの、あのじじいは)


 瘴気がなくなれば? そうね、それが一番いい。そうなることが望ましい。

 でも、世界はそう簡単によくなるようにはできてない。

 あたし達は神じゃない。できることには限界があって、天井があって、やがて死ぬ。人よりできることが多くて、寿命が長いだけで、死なないわけじゃないのだ。

 …それでも。


(世界に蔓延する毒がなくなれば……それが、一番いいことは、わかっているけど)


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