3.


 人質ひとじち

 自分がそういう立場の弱い人間としてコウやおうに守られていることは理解してる。

 上の人間とは吉岡よしおかさんが頑張って交渉してくれているし、庇ってくれている。だから俺は『教師』という立場を与えられて、『ドラゴン学』という授業の先生をして、一見すれば問題のない人間として、外からは見えるようになっている。

 そっと手を伸ばして右目に触れる。

 便利な視界拡張機能、映像記録機能、演算予測機能その他が搭載されたこの便利な義眼型コンピューターは、同時に俺をいつでも殺せる代物になっている。

 何か不備があったさい…たとえば、ろいろが俺の制御下を外れて暴走したり、コウや應がエリュシオンに牙を剥いたり……そういったことが起こったら、偉い立場の人間はボタン一つで俺の義眼を爆破させるプログラムを作動させるだろう。

 俺は常に爆弾を抱えながら生きている。

 普段はただの義眼。起動させれば便利な機能をたくさん持つコンピューター。いざというときは俺の命を奪うための、爆弾。すべてはドラゴンへの畏怖と人間の臆病さが生み出したもの。


『先生? 私の話聞いてますか?』


 はっと現実に立ち返って右目から手を離した。「はい、はい。なんだっけ?」『…聞いてませんでしたね』うろんげな視線を笑って誤魔化す。

 今携帯端末には二人の生徒の顔が映っている。リア・アウェンミュラーと柳井やないわたるだ。

 はぁ、と吐息しているのはアウェンミュラーで、今日は一つくくりの金色の髪が肩に滑り落ちてきたので、指で後ろに払いのけたところだ。『授業の時間は十秒前に終わりました』「あ、そうだっけ。じゃあ今日はここまで…」『お聞きしたいことがあります。先生に。今』強い口調で言われて困ったなと笑う。

 このあと急ぐような用事があるわけじゃないし、いいんだけど。内容にもよる。

 昨日からテレビでしきりに報道してる『紅竜こうりゅうは我々の支配下にあり、この都市の奥の手として今まで温存してきたものである』っていう政府発表のアレについてなら、俺は黙るよりほかにないんだけど…。

 俺が先生となるただ一つの教科、ドラゴン学の受講生の二人。二日に一度のこの授業は、今日はネットを通しての授業となった。まだ修復のすんでいない防護壁が数多くあるため、生徒の安全を考えた末の対策だ。


『卵の様子、どうですか』

「元気だよ。見る?」


 よいしょ、とソファから立ち上がって布団の中から卵を抱き上げる。気まぐれでろいろがあたためていたけど、俺が取り上げたら一緒についてこようとする。

 めっ、と額をつつくと、何か言いたそうな顔でじっとこっちを見つつもろいろはベッドから動かなかった。

 よしよし、いい子だ。今はカメラがあるからお前は映らない方がいい。あとでパンあげるからそのままいい子にしてるんだぞ。

 卵を抱えてソファに戻る。『わぁ…』驚いたのか、感動したのか、柳井がぽっかり口を開けている。「そういえば柳井はこのこと…」『私からお話ししました。大丈夫です』すかさずアウェンミュラーがそう言うので、そうか、と頷く。

 アウェンミュラーはその青い瞳でじぃっと卵を見つめた。『…ええと、ヨーロッパドラゴン系の卵、なんですよね?』「斑模様があるからそうだと思う。アウェンミュラー達が『ドラゴン』と聞いて連想する姿を持ってる子だね」『なるほど…』アウェンミュラーは頷いて、柳井は首を捻った。


『それ以外、っていうと…たとえば、和龍とか?』

「存在はするな。でも、和龍の卵を見つけることはまずないだろう。もともと数が少ないし、卵を手放すことのない種だから」

『へぇ…』

「和龍っていうと、手に何か玉を持っているようなイメージ、ないか?」

『あります。水晶か、真珠か、そんな感じの白くて丸いものですよね』

「そう、それ。あれって実は卵なんだって。普段は白いけど、濡れると色が変わって模様が浮き出てくるらしい。俺も実物を見たことはないから、話に聞いたことがある程度の知識なんだけど」


 俺の言葉に柳井とアウェンミュラーが感心したように頷く。

 生徒の二人はどちらもいい子だと思う。当時の俺なんかよりはよっぽど勉強しているし、この都市で生きている、という重みを、現実を見ている。

 ふと、俺は何を見てたのかなぁ、と思う。

 俺は、叶わない夢を見ていたんだろうけど……いい大人になったら、夢見ることは次の世代の子供達に預けて、現実を見るべき。なんだろうな。

 歳を取るってのはなんだか悲しいなぁなんて思いつつ、アウェンミュラーと柳井の気がすむまで話に付き合って、カメラをオフにできたのは三十分あとだった。

 ふう、と息を吐いて卵を抱えてベッドに行く。ろいろが構ってほしさアピールに腹を見せてじっと動かないのがおかしいったら。


「お前なぁ。ドラゴンにとってやわらかい腹部は弱点なんだから…」


 こしょこしょと指でくすぐるとろいろはじゃれついてきた。クルッ、と鳥みたいな軽い声でもっと構えとアピールするろいろに、難しいことを考える頭はない。

 もぞもぞとうずく気がする右目に掌を押し当てる。

 あくまで、義眼だから。義眼は、人体にとっては異物。その日の体調によって違和感を感じるときはある。今日みたいな日は右目を抉り出したいぐらいに気持ち悪くなるけど、義眼これは高価なものだ。違和感で気持ち悪い、なんて理由で抉り出していい代物じゃない…。

 俺がいなければ、右も左もわからなくなるろいろを。人間が住む人間のためのこの都市エリュシオンで、ろいろを生かすには、方法は限られていた。保険は必要だった。

 一番疑われない証明は、命をかけること。

 だから俺は右目を捨てた。そこにこの義眼を埋め込む手術を受けた。コウは反対したけど、應はそのくらいしなければならないだろうと思っていたのか、何も言わなかったっけ。

 卵を抱えたままベッドに倒れ込むと、ぴゃっ、と飛び上がったろいろが心配そうに俺の顔に鼻を押しつけてくる。「ああ、大丈夫…」ごろごろと疼く右目に手を当てたまま、卵をベッドに転がして布団を被せた。

 コウがちゃんと世話をしてるから、だんだん殻に色がついてきた。ちゃんと育ってるってサインだ。この卵も無事に生まれることができればいいんだけど。アウェンミュラーが楽しみにしてるし。


「疼くの?」

「…まぁ」


 授業がある間は部屋から出ていたコウがいつの間にか戻っていたらしい。のそりと顔を上げた俺に「ん」突き出されるサンドイッチ。


「食べていいの?」

「食べてないでしょ、今日。知ってるわよ」

「ちょっと体調が微妙でして」

「それも知ってるわ。だからこそ食べなさい。吐いてもろいろが食べるでしょ」

「いや、それはさすがにちょっと…」


 とかなんとか言いつつ、食欲はあまりないけどありがたくサンドイッチをいただくことにした。食べ物のにおいにろいろがパタパタ犬みたいに尻尾を振っている。

 ろいろとサンドイッチを半分にして食べた俺にコウは微妙な顔をしつつ、新しいペンタブとタブレット片手にいつもの作業に戻っていった。




 午後の予定もとくにないし、と一人ぶらりと街を歩くことにした。たまには運動もしないと体力が落ちてく。

 ろいろのことはコウに任せた。何せろいろがいると食べ物のにおいがする店全部にすごい力で引っぱり込まれて散歩どころじゃなくなるからね…。

 ごろごろと、目が疼く。右目から手が離せない。


(なんだろう。おかしいな)


 試しに右目の義眼コンピューターを起動させてみる。

 数秒後に右の視界に『起動』の文字が浮かび、右の視界だけがクリアになる。風速、温度、湿度、現在時刻などの各種情報が小さく表示され、ストリートの情報を取り込んだコンピューターが自動的に現在地とマップ情報を送ってくる。

 とくに、異常はなさそうだ。…俺が気にしすぎなんだろうか。

 まぁ、この目。何が仕込まれていてもおかしくはないんだから、何が起きても不思議じゃないんだけど。俺に下手なことがあればコウが黙っちゃいないってことはこれを取りつけた連中も知っているはず。

 そもそも義眼っていうのが人体にとっては異物なんだから、馴染まないのは仕方がないことでもあるんだけど。もうそれなりに長い期間つけてるわけだし、自分の視界として認識してもらいたいもんだ。

 ぶらぶらと歩いてなんとなく街の端っこ、夜の空を照らすための灯台のある場所へ行くと、一つ、小さな姿がうずくまっていた。怪我をした子供か、はたまたぐあいでも悪いのか。どちらにしてもそんな場所で蹲っていたら危ないぞ。

 自分のぐあいの悪さを棚に上げて慌ててそばへ行くと、街の端で欄干にもたれるように蹲っていたのは子供だった。「こら、落ちるぞ」と小さな腕を掴むとものすごい力で振り払われた。

 …覚えがある。見た目にそぐわないような力は、ドラゴン特有のものだ。ただの人間の子供に大人を振り払う力があるわけがない。


「かまうな」


 子供は舌足らずな声で俺を拒絶し、欄干から下を覗き込むような仕草をする。

 …ひとまず、力では敵いそうにないので、何を見てるのかと思って同じように欄干から下を覗き込んでみた。途端にびゅおっと冷たい風が吹き抜けて首筋を凍てつかせていく。

 とくに、何かあるわけじゃない。空と、防護壁と、右目の視界にはその遥か下にある瘴気しょうきに沈んだ大地や海が見えるだけだ。


「きみ、ドラゴン?」


 あ、我ながら馬鹿な質問をしてしまった。

 尋ねた俺に子供は答えなかった。うん、それが正解だろう。なんて馬鹿なことを尋ねたのかと自分の馬鹿さ加減にちょっと目眩がするぞ。これは高さと右目のせいだと思いたい。

 深い青の髪を風に遊ばせながら、子供はただじっと地上を見下ろしている。「ここ、初めて?」めげずに話しかける。…何も言わない。

 うーん。迷子…? 人になれてるってことは、誰かが人に化けるよう教えたってことで…どこの子だろう。

 困っていると、子供が地上に向けて手を伸ばした。短くて小さな手。「もどりたい」「え?」「じめん。ちじょう」舌足らずな声に困ってしまう。それは、少なくとも俺じゃ無理だ。俺はここから飛んでも死ぬだけだから。


「えっと、誰かと一緒にここに来たよね? ご両親は?」

「ちがう」

「違うの?」

「りょうしん、なんて、いない。おれのおやはみどりだけ」

「みどり…? じゃあ、そのみどりさんがきみをここへ連れてきたのかな?」

「ちがう」

「違うのか…。うーん」


 さて、いよいよ困った。

 これは應でも連れて来るしかないかと思ったとき「これ青玄せいげんや。逃げるでない」と見知った、求めていた声がした。顔を向ければ應がいて軽くビビる。いつの間に隣に来たのか。気付かなかった。

 青玄、っていうのはこの子の名前か。

 應が現れたことに青玄はぱっと顔を上げてドラゴンの声で唸り、その肌が、感情の昂ぶりに合わせて淡い鱗紋りんもんを浮かばせる。

 やっぱりこの子ドラゴンか。じゃなくて。「おれをあそこにもどせ」「それはできん」「なんでっ」「知っとるじゃろう。下はほぼ瘴気に侵されておる。お主とて危険じゃ」「おれは、すんでたんだ! だいじょうぶだ! もどってみどりをさがすんだっ」「…えっと」なんか仲が悪いっていうか、喧嘩しそう…?

 今にもドラゴンに戻りそうな青玄に俺はハラハラと辺りを見回した。誰にも見られてないといいんだけど。

 憤る青玄に、應は悲しそうに瞳を伏せた。


みどりは死んだのじゃ。戻ったところでお前を抱きしめてはくれんよ」

「ちがうっ、しんでない!」

「…のう、青玄。あの子の願いはお前が生きることだ。

 下に戻って瘴気に侵されながら生きて、それでどうする? 翠の願いを無下にする気か?」

「………おれは…」

「ここなら瘴気が届かない。安全じゃ。分かるじゃろ?

 お前はまだ幼い。力も満足に扱えない。戻るにしても、わしの元で学んでからの方がいい。できることが多くなるぞ」

「…………」


 静かに諭す口調の應に、青玄は俯いて黙ってしまった。その肌に浮かんでいた鱗紋がすうっと消えていく。青玄の感情が落ち着き始めた、みたいだ。

 …さて。この重苦しい空気に、話についていけない俺はどうすべきなのか……。


(情報を整理しよう。翠、っていうのがこの青玄って子供のドラゴンの親の名前で。應が言うには翠さんは死んで…ああ。育ての親が死んでしまって、だからここへ連れてきたのか。見たところ青玄はまだ子供だ。保護してやらなきゃって気持ちはわかる…。

 もしかして、應が出かけてたのってこのため…?)


 ごろり、と中で転がったような気がする右目をつい押さえてしまう。

 一度、メンテナンスしてもらった方がいいかもしれないな。明日もこれだったら嫌だ。

 應が言ってることに納得したのか、青玄は何も言わなくなった。應がうむうむと頷いてから俺を見て首を傾げる。


「どうしたかいり」

「ちょっと、右目が。調子悪くて」

「それはいかんのぅ…。右目は機械であろう? 儂はあまり詳しくなくてなぁ」

「明日メンテ頼んどくから、大丈夫ですよ」


 なんとか笑ってそう返し、携帯端末を操作して吉岡さんにメールを送っておく。

 ごろごろ、ごろごろと。鬱陶しい目だ。

 應が「帰るぞ」と言って青玄の手を引いた。青玄は俺のときと同じようにその手を振り払おうとしたけど、今度はドラゴン対ドラゴンの力比べだ。子供の青玄と大人の應。勝ったのはもちろん應で、嫌がる青玄をずるずると引きずっていく。「はなせっ、くそじじい!」かなり暴れてるけど應はなんともないらしい。俺なら吹き飛んでるな、あれ。

 應がこっちを振り返って「かいりも帰ろうぞー」と手を振るので「はーい」と返して一歩踏み出す。ごろり、とブレた気のする右の視界、右の世界には、知らないフリをしながら。

 きっと明日には直ってるさ。大丈夫。



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