どこへ行くの、シャンゼリゼ

1.


 紅竜こうりゅう

 人間の歴史に最初にその名と姿を知らしめたあかいドラゴンは、この都市、エリュシオンを救った。都市に攻撃を仕掛けてきたドラゴンをその灼熱で灼き殺したのだ。

 光の落とされた会議室。その中心にある大きなモニターでは、角度や視点を変えつつ、紅竜が現れてから相手のドラゴンが灼かれるまでの短い時間が繰り返し再生されている。


「これがドラゴンの力か…」

「危険極まりないな。このような力、飼い馴らせるものなのか…?」

の竜は我々を救いましたぞ。腹の底はどうであれ、その点は評価してもよろしいのでは?」

「半信半疑ではあったが、あのドラゴンは役目を果たした。手放すには惜しい力だ……。この都市の『奥の手』として、留めておくべきではないのかね。

 この先、またこのような事態になることは充分じゅうぶん考えられるのだ。対抗手段は多いに越したことはない」


 モニターを見やる無数の目。低く交わされる無数の言葉。「アレがこちらの指示に従うのは、この都市のためではなかろう。こちらにしちがあるからに過ぎん」交わされる言葉。「質が無事ならよいということでしょう。今までどおり、それなりに自由にさせておけばよろしい」不愉快な、上からの目線。

 現在人類の主力となっている荷電粒子砲かでんりゅうしほうでは仕留めることのできなかった、瘴気しょうきに侵されたドラゴン。紅竜はその灼熱の一吹きで、我々にはどうしようもなかったドラゴンを滅した。

 ここに集う面々はその力の強大さをおそれ、しかし手放すには惜しいと言い、さっきから同じような話を二度三度と。馬鹿みたいに。

 なぜドラゴンに『助力』を願わないのか。なぜ『飼い馴らす』などと到底不可能なことを土台として考え、そのためにはどうすればいいかを議論しているのか。俺にはとうてい理解できない。

 こうも苛々させられたのは久しぶりだ。俺も歳を取って年齢的にも少しは落ち着いたつもりだったが、この、クズ共が。頭を下げるってことを考えろよ。


「都市を守る防護壁も応龍おうりゅうの鱗を使用することでようやく形となったのですよ。お忘れですか」


 苛立ちについ口が滑った俺を、何人もの目が睨めつけてくる。

 そう、あれは人類の力じゃない。あれドラゴンの力だ。

 この都市は最初からドラゴンの力を借りている。それをなかったことにして『人類の叡智の結晶』なんて誤魔化して、恥ずかしくないのか、ここにいる連中は。


「口をつつしみたまえ吉岡よしおかくん。君は我々の決定を彼らに伝えるだけでいい」


 決まりきった威圧的な口調に肩を竦めたいのを堪え、無表情のまま、繰り返し紅竜を映しているモニターを眺める。

 ……悪いな片桐かたぎり。努力はしたんだけど、結局、こんな未来にしかならなかったよ。




 ストレスフルマッハなくせに中身のない会議から解放されたのはそれから一時間もあとだった。

 このままじゃハゲる。本当、ハゲる。これ以上ハゲるのはごめんだ。

 この間散髪に行って『後頭部に一円玉くらいのハゲがある』と店員に微妙な顔で申告されたときの衝撃ときたら…。俺はまだ三十代前半だぞ……。今からハゲるとか勘弁してくれ…。

 などとブツブツ考えつつ、教育関係者が寝泊まりするために造られた棟に出向き、『葉山はやま』と表札のある部屋へ。

 扉横にある認証システムに端末をかざす。俺の名前を確認すると、すぐに解錠され、一歩踏み込めば、麻婆豆腐のにおいがほわりと漂ってきた。


「お、吉岡さん。お疲れさまです」


 葉山が膝の上にろいろを乗せ、レンゲで麻婆豆腐を与えているところだった。

 ふーふーと息を吹きかけてから麻婆豆腐を口に入れてモゴモゴしている黒いドラゴン。ろいろ。そう名付けて今までろいろの世話をしてきた葉山は、次の一口をレンゲですくいあげ、ふー、と息を吹きかけている。


「そちらこそ、お疲れだったな。とくにコウ殿は」

「疲れちゃいないみたいですよ。面倒だっただけで。今はもうあのとおり、したいことしてますよ」


 葉山が指す部屋の隅…膨大な量の紙の本に取り囲まれ、紅竜こと葉山こうはタブレットとペンタブ片手に何かの作業に没頭していた。

 余っているソファに失礼して腰かけつつ、俺もお茶のボトルを呷る。ストレスフルマッハな会議室にこもっていたせいか、まだ食欲らしいものは出てこない。


「前から気になってたんだが…彼女はいつもペンタブとタブレットで何をしてるんだ?」

同人どうじん活動ってヤツですね」


 葉山がさらっと口にした言葉に眉根を寄せる。同人。活動?

 同人活動とは、日本でよく見られた、あの同人活動だろうか。コミケやらイベントやら、俺には縁がないままだったが、大勢の人間が熱狂し経済効果も抜群だったという同人関係。……ドラゴンが?

 ろいろがふーふーと懸命に息を吹きかけて熱い麻婆豆腐を頬張っている。こちらは食べること、寝ること、遊ぶことが好きな動物のようなドラゴンだが、かたや同人活動に勤しむドラゴンとは…なんというか……一口にドラゴンと言っても、ここまで差があるとはな…。

 ドラゴンは五感のすべてが生物の中で最も優れた生き物だ。当然こちらの会話など聞こえている。

 タブレットから視線を上げてじろりとこちらを睨む目に顔を逸らしてしまう。「なぁに? ドラゴンが人間の文化を好んじゃいけない?」「いや、そうは言っていない。むしろありがたいことだ。人間の文化に興味を持ってもらえたのだから」なんとなく早口に弁明してしまう。

 コウはふんと鼻を鳴らし、テーブルの周囲に乱雑に積んであるように見える薄い紙の本の一つを叩いた。


「いい? 今じゃ考えられないでしょうけど、これは貴重品の山なのよ。どれも絶版もの。そして、紙は劣化するわ。この宝の山をデータとして保存したいあたしは、今日もペンタブとタブレット片手に作業に勤しんでるのよ。わかる?」

「あ、ああ。だが、紙片上のものをデータとして取り入れるだけならコピーで充分なのでは…」

「甘い!」


 ピシャっと言われて背筋が伸びた。相手がドラゴンのせいか、俺はどうもコウに頭が上がらない。「現在いまこのエリュシオンにさえ『同人誌書こう♪』なんて人間はいないのよ。その文化の深さを受け継いでいる人間が、いたとして、ごく少数。あたしは愛すべき文化の保存だけじゃなく、布教もしようと思ってるの。そのためにはかつての名作だけではなく、新作が必要なの」「は、はぁ…」何やら熱弁されているが、さっぱり理解できん…。

 俺が困っているのを見かねたのか、葉山が苦笑いで助け舟を出した。「その辺にしておきなって。吉岡さんはそういう想像力ないだろうしさ、わからないよ」暗に頭が固いと言われている気がする…。否定はできないが…。

 葉山のフォロー(なのか?)にコウは眉間に皺を刻んだ。そして「それもそうね」と納得されてしまった。タブレットに視線を落とし、また作業へと戻っていく…。

 どうやらコウから見ても俺は柔軟な人間とは言えないらしい。それとなくショックである。

 あー、と口を開けて麻婆豆腐を待っているろいろに葉山が苦笑いをする。止まっていたレンゲで麻婆豆腐をすくい、息を吹きかけて冷まし、ろいろに与える。

 親鳥が雛にそうするように、葉山がろいろの世話をする様子を眺めるでもなく視界に入れ、お茶を呷った。

 ろいろは熱いものが得意ではないため、麻婆豆腐なんかでも冷ましてやらねば食えないのだ。

 ドラゴンというと代表的なヨーロッパドラゴン(空を飛ぶための翼があり、炎を吐くドラゴン。ヨーロッパ地方で多く見られた種)を連想しがちだが、ろいろはその種には当てはまらない。ヨーロッパドラゴンであればこの程度の熱さどうということはないのだろうが。

 ろいろは『雷竜らいりゅう』という、本来なら雲の中に潜んで暮らすドラゴンだ。腹が減ったら地上へ降下し、雷を使って獲物を感電死させて喰らう。その体質は未だ解明できていないが、雷竜は重力を打ち消すなんらかの力を持っており、そのため翼がなくても空を飛ぶことができるようだ。

 雷竜は雷、電気関係にはもっぱら強いが、熱にはそうでもないと聞く。麻婆豆腐の熱さにふーふーと息を吹きかけている様子を見れば、そうなんだろうな、と思う。

 この、なんでもない、奇跡のような光景が。俺の友人が見たがっていたものだ。

 人とドラゴンが共存し、互いに心を許す時間。その風景…。

 ぼやっとしていると、顔を上げた葉山が俺を見て首を捻った。


「ところで、ご用件は?」


 問われて思い出した。そのために葉山のところへ来たのだった。「おう殿はどちらだろう。部屋を訪ねたんだが留守だった」應、と達筆な筆文字で大きく名前を記してある部屋の扉を思い出す。部屋の中に彼の姿はなかった。もしや葉山のところかと来てみたが、ここにもいないようだし。どこへ行かれたのか…。

 さらに首を捻った葉山が思い出すように目を閉じて、ああ、とぼやく。

 

「おじーちゃんなら、なんか用事があるって出かけていったきりですね。三日くらい前だったかな」

「そうか…」

「防護壁、結構破損しましたからね。預けてある分の鱗じゃもう足りないから、追加を用意してくれって、そういう話ですか」

「…ああ」


 俺が苦々しい顔をしていたのか、葉山は曖昧に笑う。「吉岡さんがそういう顔をすることはないかと」「…いや。應殿には本当に申し訳ないと思っている。たかが鱗の一枚や二枚と上の連中は言うが、鱗は人間で言う皮膚のようなものだ。これを一部分切り取って差し出せなどと、そう軽々言えはしない…」うなだれる俺に葉山は困った顔でろいろの黒い鱗を撫でた。

 現在、この都市を覆う特殊な防護壁は、応龍というドラゴンの鱗を使用して造られている。ドラゴンの鱗の加護があって初めて、風雨その他を弾きながらも陽光を充分に取り入れることのできる軽い壁が生まれるのだ。人間はドラゴンの鱗を加工し、防護壁に適切に使用し施しているだけだ。ドラゴンがいなければ、提供される鱗がなければ、このエリュシオンはとうの昔に地に落ちている。

 だというのに、上に居座る人間連中ときたら。どいつもこいつもドラゴンに敬意を払おうともしない。人間の俺から見てもムカつく連中だ。

 そんな連中が命じたことでも、應殿は快く引き受けてくれる。

 あの方はドラゴンとしても心が広く、その智識ちしきも深く、まさしく龍の見本といった方だ。

 まぁ、しかし長命なドラゴンらしく、あの方も多趣味だ。ここにいるドラゴンもそうだが、長命な種というのは、持て余す時間をそういったことに費やすらしい。

 俺は葉山へと頭を下げた。「應殿がこちらに来たら、お前からも伝えてくれるか」「わかりました」「コウ殿も、連絡が取れそうならば、お願いしたく…」我関せずという顔でタブレットに視線を落としていたコウがちらりとこちらを見た。


「何くれる?」

「お望みのものを」

「じゃ、新しいペンタブちょうだい。この間発売されたやつ。描き心地が知りたいの」


 携帯端末で物を確認しようとした途端画像が表示された。これを買ってこい、ということらしい。「コウ…それくらいタダでやってあげなよ。心狭いなぁ…」ぼそっとぼやいた葉山をコウがじろりと睨む。「うるさいわね。焼くわよ?」「勘弁してください」なんでもないやり取りのようだが、ドラゴンに心を許されていなければ、本当に焼かれているところだ。

 剥がれた防護壁の数は多い。街は油断すれば風に足元がすくわれる状況だ。転んで骨を折った、という報告も届いている。早急に新たな防護壁を造り穴を塞がなくてはならない。ペンタブ一つでコウが應殿へ知らせを飛ばしてくれるなら、安いものだ。

 二人(この場合一人と一匹が正しいのか…?)に應殿への言伝ことづてを頼み、人とドラゴンが自然と共存している奇跡のような部屋を出る。

 外は殺風景な灰色の壁の廊下であり、建物を出て校内を歩いたところで、見る建物に色味はなく、どこにもドラゴンの姿はない。

 あの部屋だけが奇跡なのだ、と実感する。この広い都市で、あの部屋だけが、夢のかたちをしている…。


(さて)


 携帯端末に表示させたままの画像を睨みつける。

 まずは、これの調達から始めよう。



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