6.


 飛んできた何かがまともにぶつかり、バリン、とまた一つ、この都市を風雨から守るために設置されている特殊な防護壁が音を立てて割れた。破片が都市へと降り注ぎ、あちらこちらで悲鳴が上がる。

 僕はリアの頭を抱え込んで、破片から彼女を守る。

 …痛いのは、もちろんいやだ。

 人を庇って、自分が怪我をするかもしれないことが、怖くない、なんて言ったら嘘になる。それでも、自分が無傷で、目の前の女の子が怪我をしているなんて、そんなことはもっといやだ。だから、僕は彼女を守る。

 防護壁が割れるたび、街に吹く風は強さを増していた。油断していたら風に足元をすくわれて転びそうだ。

 もう破片が落ちてこないことを確かめてから、僕は再び、彼女の手を引いて走り出す。

 遠くの空には黒ずんだドラゴンのような何かの姿があって、エリュシオンの砲台はさっきから荷電粒子砲かでんりゅうしほうを撃ってるけど、効果はあまり期待できなさそうだ。

 また一つ、光のすじが空に向かって放たれる。

 これで四発目。都市が作り出せる電力のことを考えたら、これ以上無駄玉は撃てないはずだ。

 あの距離ではこちらの主力装備である重火器の弾は届かないし、さっきから防護壁を壊している何かの攻撃も、防ぐことはできない。

 かつての人間は有していた戦力。たとえば、核兵器、とか。そういった大きな力はこの都市にはない。ただでさえ枯渇こかつしている資源を用いてまで作られるべきものではない、と判断されたからだ。

 作成するための資料なんかは保存してあるだろうけど、食べていくことにすら余裕のないこの都市に、力を蓄えろ、というのが無理な話だ。

 無理な話。わかってる。

 でも、これ以上打つ手がないのなら、あの『何か』にこのまま都市を蹂躙じゅうりんされるだけだ。


「先輩、早く、先生のところへ…っ」

「わかってる。頭、気をつけて」


 店に飛び込んで、ヘルメットを二つ買うのに十分な紙幣を放り投げて、リアの小さな頭にしっかりヘルメットを装着して、その重さでぐらぐら揺れる頭で悲鳴を上げ逃げ惑う人々の間を駆け抜ける。

 どうして学校に向かっているかというと、リアが僕に懇願こんがんしたからだ。学校へ、葉山はやま先生のところへ、卵のところへ連れて行って、と。

 卵ってなんのことだか、僕にはわからない。もしかしたらリアが僕に話したがっていたことがその『卵』のことなのかもしれない。

 とにかく、今は、学校へ。要塞のように丈夫なブリュンヒルデの屋内へ。そうしたら一息吐けるはずだ。

 頑張れ、僕。息をしろ。走れ。今リアを守って一緒にいられるのは僕だけなんだ。

 そう強く願ったところで、普段の運動不足が解消されるわけはなく。

 酸素不足で頭はくらくらどころか真っ白。足はもう棒っきれ。いつポキッと折れてもおかしくない。

 なんとか舗装路面を蹴飛ばして、蹴飛ばして、非常事態に門扉を解放しているブリュンヒルデの中へ、飛び込んだ。もうヨロヨロの僕をリアが背中を押して校舎の方に歩かせ、屋内に入って、僕は膝をついてしまう。

 もう、無理。もう、走れない。

 ぜぇはぁどころかひゅーひゅーとヤバい感じで息をしている僕、相当格好悪い。

 でも、これだけは、誇れる。だって、リアに怪我はないんだ。僕は女の子を安全な学校まで避難させることができたんだ。ああ、よかった……。

 リアは気遣わしげに僕の背中を撫でていたけど、唇を引き結ぶとすくっと立ち上がった。「私、先生を探します」「え…?」「どうしても行かないと」リアは、僕よりずっと体力があった。同じ距離を同じように走ったのに、僕とは違って、もう息を整えている。

 背中からするりと彼女の手が離れていく。

 行っちゃ、駄目だ。危ないからここでじっとしてるんだ。そう言いたくてももう声すら出なくて、彼女の手を掴んで止めようと思っても、伸ばした手は空を切った。

 リアは金色の髪を風に踊らせながら再び校舎の外へと走り出して、僕の視界から消えてしまった。




✜  ✜  ✜  ✜  ✜




「名前のない竜。でも、そうね。じきとでも名付けましょうか」

「喰?」

「なんでも喰らう、という意味」

「言うほど何か食べてる? あいつ」

「色々食べてる。瘴気しょうきで死んだ人間、ドラゴン、動物、卵…。アレはもう半分瘴気みたいなものよ。それだけ食べても、満たされないようだけどね」


 コウはとくに感慨もなく呟いて、いつものように不機嫌顔でペンタブを机に置いた。「ねぇ今いいところなんだけど。作業に集中したいんだけど」ブツブツ聞こえた声に肩を竦めて窓の外に視線を投げる。

 黒いもやのような、ドラゴンのような、そんな何かはゆっくりとではあるけどこの都市に近づいてきている。これ以上放置はできない。荷電粒子砲じゃ歯が立たないと、軍の人間もわかったろうし。

 コウは深く、本当にふかーく溜息を吐いて、タブレットによる作業を中断した。しっかりと保存してスリープ状態にすると気だるそうに赤い髪を払う。「で、ゴーサインは」「まだ」来ないよ、と言おうとしたところで端末に着信があった。非通知の隠された番号から。


「はい、葉山です」

『出動許可が下りた。頼んだぞ』

「…はい」


 要件のみの短い電話はそれでブッツリ途切れた。コウは不機嫌そうに鼻を鳴らしている。「偉そうに。自分達は無力でしょうが」その言葉には肩を竦めて返し、そっと右目を閉じて指を当てる。しばらくそうしていると『起動』という文字が閉じた瞼の裏に浮かび上がった。俺の膝の上でじっと窓の外を見ていたろいろ…頭の左右につのが生えた黒い鱗のドラゴンがぴょこんと顔を上げる。虹色に見える虹彩の瞳がこっちを見上げている。

 …あれから十年、だっけ。

 俺だけが当たり前のように歳を取って、ろいろもコウも見た目はちっとも変わらないなぁ。ま、中身もちっとも変わってないけど。

 この十年で一番変わったのは、この世界だろう。

 指を離してそっと目を開ける。両目の景色はさっきまでと少し違う。右目の視界だけがいやにクリアだ。クリアな視界の中でコウが眉間に皺を刻んでいる。


「おにい


 懐かしい呼ばれ方だった。十年ほど前、コウは俺のことをそう呼んでいた。

 妹として、あるいは人間として、コウなりの親愛というものを込めるときの呼び方だ。「無理はしないよ」「あたしが出る。ろいろは必要ない」「あくまでカバーだ。わかってるって。もう馬鹿じゃないんだから」「………」コウはギリギリと力を込めて俺のことを睨みつけた。

 出動と言われたからにはなんらかの形で俺もろいろもこの戦闘に貢献しないとならない。そのことをコウも知っている。だからもう何も言わず、はぁー、と深い溜息を吐くだけだ。気に入らないという顔で窓の外の向こう、騒ぎの原因をあかい瞳で睨みつけると「無理したらぶっ飛ばすわ」と物騒な言葉を残して、コウの姿はその場から消えてなくなった。 

 ふう、と一つ息を吐いてろいろを抱き上げた。相変わらず見た目より重い…。

 鼻先を頬に押しつけてくるろいろに、角を避けてツルツルしたガラスのような肌触りの鱗を撫でてやりつつ、強化ガラスの窓を開ける。

 バリン、とまたどこかで都市を守る防護壁が割れる音がしている。

 怪我人も、とっくに出ているだろう。ゴーと言われるまで動けない立場とはいえ、やるせない話だ。


「ろいろ」


 右目にろいろの反応がステータスとして表示される。感度良好。異常なし。「これが終わったら、一緒にご飯食べよう。だから今はちょっと運動しようか。人になってみなさい」ろいろはぴょんと俺の腕から飛び出すと、空中でくるりと一回転した。

 とん、と床に着地したのは、ドラゴンのろいろではなく、人間の姿になったろいろだ。こっちの姿も十年前から変わらず小さな女の子のままだ。ショートカットの黒髪も伸びることがない。

 それはそれとして。


「ろいろ。前から言ってるでしょう。服も一緒に想像しなさい…」


 きょとんとしているろいろに俺の言葉は伝わっていない。

 服、なんてもの、ドラゴンには必要ない。思考らしい思考のできないろいろに『服を着た女の子に変身しなさい』なんて言っても理解が及ばない。それでも毎度言ってしまうのは、なんていうか、仕方がないよ。うん。

 素っ裸のろいろに予備で持ってきているシャツを着せた。それだけでは心もとないので俺のニットのベストも着せた。それでも心もとないけど、俺のズボンを貸すわけにもいかない…。

 視線を彷徨さまよわせて、放置されているコウのジャージを拝借してろいろに着せた。余る裾は折り曲げる。

 なんとか外に出てもいい格好になったので、一息。

 ろいろを連れて校舎の外に飛び出して、怪我人がいないか探しながら走っていると、なぜかアウェンミュラーに遭遇した。


「せ、先生っ」

「アウェンミュラー? 何してるんだ、屋内に避難しなさい。外は危険だ」

「で、でも私、どうしても先生に…っ! 卵のこと、を」


 先日アウェンミュラーから打ち明けられ、コウが保護して持ち帰ってきたあの卵のことだろうか。

 卵ならコウが加護を施したし、もう心配ない…とは言えないから、「卵なら大丈夫だ。ちゃんと先生が管理してる」と無難な言葉を選んで返した。アウェンミュラーは違うそうじゃない、と言いたげに頭を振る。


「そうじゃないんです!

 卵が…卵がって…このままじゃ、何かに、って、そう言ってるんですっ」


 アウェンミュラーの必死な表情での訴えに、おぼえがあった。

 それは勘違いでもなんでもない。俺がろいろにそうように、アウェンミュラーもあの卵の中にいるドラゴンにそうのだ。親として、選ばれた。助けてほしいと、呼ばれた。


(そうか。君も、俺と、同じ)


 何か言葉をかけてやりたいところだが、この状況はよろしくない。いつ破片が降ってきてもおかしくないんだから。


「その話はあとで聞こう。とにかく、卵は無事だから、そう心配しなくていい」

「でも…アレは、どうするんですか。このままじゃ…」


 アレ、と彼女が見やるのは、黒ずんだドラゴン。コウが喰と名付けたドラゴン。

 拡大された右目の視界では、ドラゴンのことがよく見えた。

 それは、おどろおどろしい姿だった。

 半分が腐っているような黒い色の肌にはもう鱗がない。腐って落ちてしまったんだろう。その代わり、体内から吹き出すガスのようなものに覆われている。その瞳もほぼ腐っていて前など見えていない。だからあのドラゴンはフラフラと、風に導かれるようにしかここを目指せない。

 体外へ吹き出しているガスのようなものを圧縮してぶつける形で、あのドラゴンはこの都市を覆う防護壁を破壊しているらしい。たとえ圧縮しようとぶつかれば霧散して風に吹き飛ばされるから、高濃度の瘴気を含むだろうガスはこの都市にまだ影響を与えていない。

 もう、時間の問題だけど。

 防護壁を破ることなく落下してくるものがあれば、対処しないと。

 とにかくアウェンミュラーを校舎の中へ…。そう思い彼女の背を押したとき、空中都市全体に響き渡るような轟音を…けたたましい、長く大きく響く咆哮ほうこうを聞いた。

 顔を上げた先には、空中都市を背にしてホバリングする紅いドラゴンの姿。

 その視線はただ一点、腐りかけながらもこの都市を喰らおうとしているドラゴンを見ている。


(頼んだぞ、コウ)


 

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