2.


 葉山はやまかいり先生にとって、ドラゴンとは、『共存すべき相手』なんだそうだ。

 まず特筆すべきは、力強く、美しささえ備えた肉体にくたい

 どこを取っても人間のものよりずっと丈夫で、象よりもっと大きな個体も、先生は自分の目で見たことがあるという。

 ドラゴンが歴史的に確認される前は、哺乳類最大の大きさを誇ったシロナガスクジラ。記録では、体長三十四メートル、体重は百九十トンのものまで確認された。そのシロナガスクジラより大きなドラゴンもいて、とても美しい鱗を持つ者もいるんだとか(ドラゴンが哺乳類なのかどうかという生物学的な問題は横に置いておくとして)。

 大きさだけ見ても、ドラゴンは今までの生物の最大記録を塗り替えるかもしれないし、すでに塗り替えているかもしれない。

 そして、大きさだけじゃなく、私達が『ドラゴン』と聞けば連想するだろう立派な翼。その翼で鳥のように自由に空を飛ぶこともできるし、牙の並んだ大きな口から炎を吐くこともある。

 種族によって肉体の特徴は様々で、鱗がある種もあれば、獣のように体毛のある種もいるし、かと思えばトカゲのような小さなドラゴンもいて、その種類は本当に多種多様だ。

 ドラゴン。その生物の種類を確かめようとあてもない冒険に出た学者も多かったらしい。

 『瘴気しょうき』が世界のあちこちで確認され始めたときは、同時に『ドラゴン』という存在が公に認知された頃とも重なっている。当時、人はドラゴンを追い求める者と瘴気の対策を練る者に分かれたんだとか、そうでないんだとか。

 そして、次に特筆すべきは、その智識ちしき、知性。らしい。

 私は、エリュシオンを襲う動物じみたドラゴンしか知らないから、その言葉にはピンとこない。喋るドラゴンに出会ったことはないし、動物以上の思考力を持ったドラゴンを感じたこともない。でも先生曰く、賢いドラゴンは本当に賢いらしい。人間にはできないことをしたり、人間が知らないことを知っていたり…。

 そういう賢いドラゴンがいたからこそ、つい最近まで『ドラゴン』という種は人に認知されずにきたのだと言われて、それもそうかもしれない、と少し納得する。

 どうして先生はそんなことまで知っているんだろうか。やっぱり、先生だから、かな。一般人よりも専門の知識を有して教える人が先生だものね。


「アウェンミュラーはドラゴンについて、どう考えてる?」

「私は……ドラゴンは、未だ未知の生物です。その存在はこうして公のものとなりましたが、先生が仰るような知性を持った個体は公式記録に残っていません。ドラゴンが賢いものだと言われても、やはり、納得しかねる、というか」

「そうか。テンプレだなぁ」


 先生が困ったと笑うので、私は口をつぐんだ。

 テンプレ。それはそうだ。テンプレをすぐさま答えることができるのが優秀な生徒というやつなのだ。

 計算式でも、英会話でも、求められている答えはいつも平均値のもの。

 当たり障りのない、相手に伝わるその答えが解だったし、ベスト、の答えを出すには私には頭が足りない。その問いに対してベストな答えを出せる人が即ち天才と呼ばれる人間で、私は、天才ではない。先生の『ドラゴンについてどう考えているか』という問いにもベストな答えは返せず、テンプレと言われた安易な常識しか返せない。

 大学棟の、自販機が一つあるだけの休憩所で、私と先生はベンチに並んで腰かけている。小さなその休憩所に他に人の姿はない。

 先生が奢ってくれた水のボトルを掌で包む。

 かつては缶コーヒーなんて当たり前だったと聞くけど、今ではコーヒー豆なんてとても貴重なものだ。牛乳だってそう。水だって、雨が降らなければ手に入らない。この水のボトルだって貴重な、限られた資源だ。


「先生は、今のこのエリュシオンを、どう思われますか」

「というと?」

「この都市のあり方というか…ドラゴンへの姿勢、というか。

 確かにドラゴンはこの都市を襲撃します。それは現実です。そして、私達はその現実を受けて、ドラゴンを迎え撃つ。それはわかっているんです」

「うん」

「ドラゴンにとって人間は、この都市は、数少ない食糧の宝庫。危険を冒して襲撃する価値のある場所。そして人間にとっても、ドラゴンは食糧の一つで、襲ってくるならば、迎え撃つしかない相手。わかってはいます。

 でも、本当にそれでいいのかと、考えるんです。本当にそれしかないのかと…それ以外に道はないのか、と」


 ポツポツと話してしまってからハッとした。こんなこと、頭の固い先生が聞いたら怒り出しそうな内容だ。

 慌てて愛想笑いを浮かべて「いえ、すみません。とても個人的な意見でした。忘れてください」と流そうと試みるも、先生は私じゃないどこか違う場所を、遠くを見ていた。

 何かを思い出すように細められた瞳は、私の言ったことを気にしているのか、いないのか。

 よし、待つんだ私。落ち着け。本来の目的を思い出せ。

 先生がドラゴンの卵について情報を持っていないか聞き出すんだったでしょ。それが本来の目的だったでしょ。

 深く深呼吸して、そっと息を吐き出す。

 よし、落ち着いた。これ以上変なボロが出る前に聞きたいことを聞いておさらばするんだ。頑張れ私。


「ところで、先生」

「はいはい、なんでしょう」

「ドラゴンって卵生なんですよね?」

「そうだね。俺はそれしか見たことがないかな」

「ドラゴンの卵ってどういう感じなのでしょうか? 鶏の卵とはやはり違いますよね…。すでに絶滅してしまったエピオルニスという鳥の卵が世界最大とされていますが、それよりも大きいとか?」


 卵について自然に話せるように、検索してもドラゴンに繋がらない知識なら付け焼き刃で入手済みだ。

 なるべく自然な形で『ドラゴンのことについてなんでも学びたい生徒』を演じる私に、先生は自分の携帯端末を操作していくつか画像を表示させた。それを私に見せてくれる。

 スライドされていく写真には何かの卵が写っていて、細長かったり、楕円の形をしていたり、殻がトゲトゲしていたりした。隣には先生のものだろうか、大きさ比較に手が置かれていて、先生の手より大きかったり小さかったりと様々だ。

 でも、私が持ち帰ってきた斑模様の殻をしたものはなかった。ここで写真があったら簡単にけたのに。


一様いちようにこう、というサイズはないね。知ってのとおり、ドラゴンは種族によって個体差が大きい生き物だから、卵の大きさもバラバラになる」

「そう、ですよね…。そうなると、孵化の方法も違ったりするのでしょうか」


 さあ、本題だ。私はここが知りたい。だから大学棟までやって来た。

 先生はそうだなぁとぼやきつつボトルの水を口に含んだ。「これも、種族によるという答えになるかなぁ…。孵化するまで高温の炎の中に置いておかないとならないものもあるし、何もしなくても問題ないけど、ものすごく年月がかかるものもある。こちらも多種多様だね」肩を竦めた先生に、私は鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えた。


(高温の炎の中に置いておかないとならないものもある…? そうしないと、その卵は死んでしまう…?)


 帽子とマフラーにくるんでホッカイロを貼りつけて、布団にくるんだだけの、あの卵は。あの卵の中の子はまだ生きている? それとも。

 くらりと目眩めまいを感じて目頭を押さえた。不安で、今にも胸がはちきれそうだった。

 ドラゴンの卵。そうだよね。普通の常識で扱えるものじゃないって、きっとどこかでわかってたのに。あたためていれば、なんて、甘かった。

 私一人でどうにかできることではない。でも、このことをこの人に話していいものかどうか、私は判断しかねている。


「先生は…卵を見れば、その種類がわかったりするんですか…?」

「まぁ、これでも専門だからね。すべてを知ってるわけではないけど、メジャーなものならわかると思うよ。

 どうしたアウェンミュラー? 顔色が…」

「大丈夫です。大丈夫…」


 自分の不甲斐なさ。自分の無力さ。知識のなさ。自分のすべてに、今、落胆をしている。

 誰かに頼らなくては何もできないのは子供の証。

 私は確かにまだ子供だ。それでも意思だけは一人前を気取ろうとしていて、本当、いやになる。こうして誰かを頼らなければドラゴンの卵一つ生かしてあげることができないのに。


(………どうしたの。あのときの気持ちは嘘だったの。母ドラゴンが死に際に産んで、死ぬまで守り抜いた、あの卵に思った気持ちは嘘だったの。私のエゴはこの程度なの。生きてって思ったあの気持ちは嘘だったの?)


 水のボトルを握りしめながら、私は自問する。

 何もできない子供の私。ただの学生で、力もないし、立場もない。頭が特別いいわけでもない。ありふれた存在。ありふれた私。

 このまま何もなかったことにして部屋に帰って、卵を捨てるのは、簡単だ。きっといつかは忘れてしまうだろう後悔を背負うだけで、私はありふれた私に戻る。何もしないくせに、世界のことを、この現状を、泣いたり嘆いたりする私に。

 そんなの。そんなのは。


(ごめんだ)


 奮い立て、リア・アウェンミュラー。

 顔を上げて、口を開いて、言葉を発して。


「葉山先生は。ドラゴンのことを、どう思っているのですか」


 先生は、私の顔色の悪さを心配しつつ、答えた。「難しいな…。でも、一言で言うのなら、愛しているよ」と。

 その答えに私は目を閉じる。

 そうか。なら充分じゅうぶんだ。充分、納得できる。

 先生はドラゴンのことが好きだから、ドラゴンのことを肯定する授業をしているんだ。

 話しながら思ってた。優しい目をしながらドラゴンの話をする人だな、って。

 だったらきっと大丈夫。あの卵が無残な結果になるようなことはこの人はしない。

 私は、まぁ、また怒られたりするんだろうけど。そんなことには慣れっこだから大丈夫。私がうんと怒られて、それであの卵が助かるなら、安いもんじゃないか。


「先生、大事なお話があるんです。私、そのためにここに来ました」

「…ということは、ドラゴン関係?」

「はい」

「ドラゴンに詳しい人間は俺以外にもいるよ」

「はい。それでも先生にしかお願いできません。他の先生では、ドラゴンを殺すことは考えても、生かすことは考えてくれませんから」


 先生は困った顔になった。眉間に皺が寄っている。「それはまた…えー、困ったな。放ってもおけないけど、なんでもかんでも持って帰ると怒られるんだけど……」後半は独り言のようで、先生は眉間の皺を指でほぐしつつ私に尋ねる。


「それで、内容はどういうものだろう」

「昨日の夜にドラゴンの襲撃があったのはご存知ですよね? 荷電粒子砲かでんりゅうしほうも使われていました」

「ああ…そうだね」

「それで傷を負ったドラゴンを見つけたんです。そのドラゴンは絶命していましたが、死に際に卵を産み落としたみたいで…今朝、その卵を私が保護しました。

 私にはドラゴンについての知識がありません。どうか、先生のお力添えをお願いします」


 ぺこりと頭を下げた私に、先生の困った声が降ってくる。「それは、構わないけど。アウェンミュラーはどうしてその卵を助けたいんだ?」訊かれて、言葉がすぐ出てこない。自分でもうまく言えないこと…。それでも、先生には、伝えた方がいいだろう。下手くそな言葉でも、この気持ちを。


「このまま何もなかったことして、部屋に帰って、卵をどこかに捨てるのは、きっと簡単です。いつか忘れてしまうだろう後悔を背負うだけで、私は日常に戻るでしょう。

 でも……そういうの、もういやなんです。何もしないくせに世界のことを嘆いたり、この現在いまを憂いたりするの。そういうのには疲れちゃいました。そんな自分はいやなんです。

 私、まだ何もできませんけど。何かができる自分になるために、動きたい」


 そして、そのために、できることをしたい。私のために。あの卵の中にいるドラゴンのために。

 そう吐き出した私に、先生は、手を伸ばして。ぽん、と私の頭を軽く叩いてくれた。



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