不出来なニライカナイ

1.


 寮の自室に飛ぶように帰った私は、まず卵が割れていないかを確認した。上から下までじっくり眺める。……よし。ひび割れその他なし。

 薄い斑模様の卵の無事を確認したら、マフラーと帽子でくるみ直し、ぺたぺたとホッカイロを貼りつけた。朝私が抜け出したときの形のままのベッドの布団で卵をさらに包んで一息、吐きたいところだけど、そんなことも言っていられない。

 私はオフにしていた携帯端末の電源を入れた。途端に学校からの呼び出しの通知が鳴り響いた。顔を顰めつつその呼び出し通知を端に押しやって学校内の科目を一覧できる画面を呼び出す。音声入力で科目を検索できる欄をタッチして、端末に向かってこう吹き込む。


「ドラゴン学」


 そういう科目がたった一つだけあったことを思い出したのだ。

 灯台から寮までの帰り道、卵に衝撃がいかないよう早足で帰りながら、ずっとドラゴンのことについて考えていた。そして、思い出した。ドラゴン学。そういう科目が大学生が受けられる授業として存在していたことを。

 私はまだ高校生。大学の科目のことを考えるのはまだ先でよかったし、だから、興味を惹かれるその科目について、今まで深く考えることはなかった。ただ、ドラゴンについて否定的な視線でなく学ぼうという姿勢には共感できたし、大学生になってまだこの科目が残っていたら受けたいな、と思っていた。あまり人気のない科目のようだったし、なくなっていなければいいな、と思っていた。

 パッ、と画面にドラゴン学の科目ページが表示された。簡単な紹介文に目を通す。

(古今東西のドラゴンについて学ぶ)

 これは基本という感じ。どの授業でもその科目の基礎から勉強を始める。

(ドラゴンの鱗などを使用した実験等、演習も豊富…)

 ドラゴンの鱗。実験。そんなこともやる科目だったとは知らなかった。てっきり歴史や知識を学ぶような科目なんだとばかり…。これは期待が高まる。大学生になったら絶対受講しよう。じゃなくて。

 じっと画面を見つめて、『講師 葉山はやまかいり』という文字を発見した。どうやら日本人らしい。日本人についてイメージはあまりないけど、小さな島国の先進国だった、気がする。

 顔写真では年齢相応の男の人が愛想笑いしている。髪はおとなしめの茶色といったところ。地味ではないし、派手でもない、無難というやつだ。

 その下に表示された今日の先生の予定をタッチして呼び出す。

 朝一番の授業のあと、午後の授業まで、何も予定は入っていない。待っていれば話をするくらいはできそうだ。

 そうと決まれば、私の行動は早い。すぐにサボりスタイルから生徒スタイルに着替え直して、帽子とマフラーは卵のために我慢して、ついさっき帰ってきたばかりの寮から飛び出した。

 学問的興味。知的興味。そういう賢い生徒を装って先生に会うのだ。そして、ドラゴンの卵のことについて情報を引き出す(ただし、先生が私の学生情報を参照すれば私が遅刻魔・サボり魔であるということはすぐさまバレる仕様)。

 電子図書館で必要なデータをダウンロードしようかとも思ったけど、それでは履歴が残ってしまう。ドラゴンについて書かれた本をあっちこっちあさっている私の履歴なんて、誰が見たって首を捻るだろう。ただでさえ最近遅刻とサボりで問題児の私なのだ、さらに目をつけられるような行動は避けたい。そうなると、電子図書館に行くのは最後の手段となる。

 葉山先生はまだ三十代になっていない若い先生だ。加えて、ドラゴンについて否定的ではない先生。きっと頭の固い教師とは違うはず。

 舗装路面を息をはずませながら走っているのは、遅刻のときにもよくあること。でも、期待というか、不安というか、なんだかわくわくしながら学校までの道を走るなんて、そんなことは久しぶりだった。



 我らが学び舎は今日も堅牢な要塞のようにそびえ立っている。白くてのっぺりとした高い壁は外から校舎が見えないような高さになっているし、中を垣間見ることのできる正門などはいつもしっかりと鉄の門扉で戸締まりされている。そんな学校を要塞と呼んでも間違ってはいないだろう。

 一応、この学校にも名前はある。『ブリュンヒルデ』…こちらは北欧神話に登場するヴァルキュリヤ、ワルキューレ、という神様の名前らしい。学校にたいそうな名前をつけたなぁ。エリュシオンといい、ブリュンヒルデといい。

 だいたい、この空中都市に学校はたったの一つだけなんだ。学校と言えばそれはイコールでブリュンヒルデのことになるんだから、名前なんてなくたって『学校』でいいのに。それじゃ格好がつかないってことかな…無駄なことをしたがるなぁ、人間って。

 ブリュンヒルデ、としっかり刻まれている校門の扉の認証システムに携帯端末をかざす。認証中の文字のあと画面に『リア・アウェンミュラー』と私の名前が表示された。そのあとすぐに音声で『遅刻ですよアウェンミュラー』とトゲトゲしたマダムの声がして肩を竦める。「申し訳ありません…」『何度言えばあなたの遅刻癖は治るのでしょうね。それと、サボり癖も』「申し訳ありません…」認証システムにはもちろんカメラもついているので、私はできるだけしおらしく肩を落として謝る姿勢を続けた。

 その心中しんちゅうは?

 くたばれババアぐらいには思ってます。ええ。

 まぁ、悪いのは私だ。だからくどくどと校門の前で寒さに身を竦ませながら説教されることにも慣れたし、反論せずに謝罪だけ口にしてればそのうち入れてもらえることも知っている。

 今日もそうやって向こうから『あとで反省文を提出するように。いいですね』という言葉とともに携帯端末に電子書類が表示されたので、私はカメラに映らない部分でニヤリと口元を歪めつつ、声は努めてしおらしく、「はい。申し訳ありませんでした」と頭を下げ続けた。

 扉の施錠が解かれて内側へと開かれたので、外の寒さから逃れるために早足で中に入って、ようやく白い壁の内側へと行くことができた。高い壁のおかげか、校内は外よりも少し風が弱くて助かる。

 校舎の真ん中に突き立っている、我が校のシンボルとも言える特徴的な装飾の施されたコテコテした塔を見上げて、端末で時間を確認する。

 先生の授業はもう終わっているはずだ。探さないと。

 メールで事前に連絡でも取っておけば楽なんだろうけど…端末の履歴に残ることはあまりしたくないし。

 シンボル塔を横目に、私は大学棟の方に足を向ける。

 あの塔の先には始業や終業を知らせるための鐘がついていて、四方にはスピーカーも取りつけてあり、この音がエリュシオンの一般階層のどこにいても聞こえるようになっている。なので、学生はたいてい一般階層にある寮に入ったりして学校に通う。その方が登校にも便利だしね。

 学生として我が子が学校に長く通うことを考えて、一般階層に越してくる人もいるらしいけど、少数だと聞く。

 うちもそうお金のある家ではなかったし、私を学生寮に送り出した組だ。

 週末、都合が合えば一緒に食事をしたり、授業の話をしたりはするけど、そのくらい。寮生組はどこもそんな感じで、みんなこれ幸いとばかりに親にあれこれ言われない学生生活を楽しんでいるらしい。



 大学棟の地図を端末に表示しながら、職員室を目指す。

 建物が大きく変化するわけでもなく、空気が変わるわけでもない。高校生だろうが、校章を巧妙に隠して我が物顔で歩けば、大学生に混じることもできる。

 大学生でも高校生でも基本的に校章、学校指定のマフラーや手袋などは色違いというだけなので、隠してしまえばどうということもない。私服登校は同じ条件だし。まぁ、学生情報を参照されれば一発でバレるけど。

 なるべく胸を張って歩きつつ、不自然でない速度で、それなりに足早に。

 あまり人気のない科目の先生や臨時の講師など、様々な人が待機している大きな部屋の前にたどり着いて、さて、困ってしまった。

 扉には認証システムが鎮座している。つまり学生証を兼ねている携帯端末をかざせと言っているわけだ。要件はそれからだ、と。

 端末をかざしたら自動的に私の学生情報が送信されて、私が高校生だということがバレる。さて困ったぞ。先生を呼びたくても端末をかざせない以上、出待ちでもするしかない…。これは困った……。

 とりあえず扉の前から離れて廊下の壁にもたれかかって、ふう、と一息。

 落ち着け。焦っちゃいけない。


(…卵。大丈夫かな。ドラゴンの卵なんて知識がなさすぎて、どのくらいあたためればいいのかとか、何もわからないし)


 卵のためにも、ドラゴンの知識が豊富だろう先生に会って、卵のことについて聞き出したいのに。

 どうすべきかと悩んでいると、階段を上がって生徒が一人やってきた。寝癖なのかもさもさした黒髪に流行遅れの眼鏡をした男子で、猫背を丸めながらひょこひょこ歩いてきて認証システムに端末をかざした。「葉山先生、お願いします」もそもそと言う声に思わず飛び上がりたい気持ちを抑える。

 ラッキーだ。とてもラッキーだ。ドンピシャで葉山先生を呼んでくれるなんて!

 はやる気持ちを押さえつつ知的学生に見えるように表情を引き締める。

 ほどなくして扉の向こうからその葉山先生が姿を見せた。スニーカーに適当なパンツに適当なカーディガンという当たり障りのない教師の格好をしている。「どうした柳井やない」それから、ちょっと下手くそな発音の英語を聞いた。「ちょっと、聞きたいことが」ヤナイ、と呼ばれたあの生徒も名前からして日本人系で、でももっさりした英語を喋っている。

 公用語が定められてから、英語圏でない人間も公では英語を使用している。もちろん私も。先生も例外ではない。


「これ、粉なんですけど。前回、ドラゴンの鱗から薬になる粉を作る、ってやったやつ、復習がてら、部屋で作ってみたんですけど。評価、もらいたくて」

「熱心だな柳井は。どれ」


 さっそく興味を惹かれる会話に、思わず背伸びして様子を窺ってしまう。

 もっさり男子柳井の手には小さな瓶があって、中にはキラキラした粉が入っている。明るい紫色で、きれいな染料や塗料のようにも見える。あれがドラゴンの鱗からできた粉…。薬って、なんの薬に使うんだろう。

 先生は瓶を振ったり、中身を少し掌に落として何か確かめたあと、粉をぺろっと舐めた。ぎょっとする私をよそに口を動かして「苦い、かなぁ。もう少し丁寧に煎った方がいい。でも色味は完璧、きれいにできてる」瓶に栓をし直した先生は満足そうな顔だった。呆気に取られているのは私だけで、もっさり男子柳井もへこりと頭を下げて「じゃ、よかった。次はもうちょっと、丁寧に作ってみます」ともそもそ言って小瓶をポケットにしまいこんだ。

 もっさり男子柳井がひょこひょことその場を立ち去ったので、私は慌てて先生に声をかける。「葉山先生」「ん?」こちらに気付いた顔をした先生に、知的学生、学問的興味、の二つを意識しながらニコリと微笑む。


「リア・アウェンミュラーと申します。先生が講義するドラゴン学について、ぜひお話をお聞きしたくて」


 もう舌を噛みそうな私を誰か叱咤激励してほしい。

 先生は首を捻ったあと、職員室に戻りかけていたからだを反転させて廊下に出てきてくれた。

 まず先生とコンタクトを取ることには成功した。次は先生からドラゴンの卵のことについてそれとなく聞き出したい。

 さあ、先生。私と腹の探り合いといきましょうか。



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