人の手で書かれたものではありません。

明石多朗

『人の手で 書かれたものでは ありません』


 高橋たかはし輪戸わとは指定された喫茶店に十分前に到着し、二人用の机の下座に座り、アイスコーヒーを注文した。

 予想通り、ここを指定した相手は来ていない。

 冷房とコーヒーによって、外から持ってきた体のあら熱をぬぐい取れた頃に、呼び出してきた相手、文野京ふみのみやこあいがやってくる。指定時刻ぴったりの到着だった。彼女はすぐに輪戸を見つけて手をかざす。


「おっす! 我が下僕よ!」

「……相変わらずの台無しぶりですね」


 文野京の着ていた白のワンピースはフリルで軽やかさを彩りながら、汗ひとつかいていない雪のように淡く白い肌と、そのほっそりとした体の線に調和して、さながら高原の涼しげな風をまとっているようだった。にもかかわらず、輪戸の向かいの椅子にドンと腰を落して、


「ビール!」

 知らない者たちの勘違いを薙ぎ払うように、「私の分と私の分で二杯ね!」と、店内に響く声で注文する。


 ため息が絶えない。


 輪戸が出版社に入社したのは、向かいにいる小説家に会いたい気持ちに他ならなかった。

 本を読んだことがなかった高校時代に友人に勧められて読んだ彼女の処女作は輪戸の心を掴んだ。日本語ってすげぇ。スゴイしか形容詞を使わなかった自分が恥ずかしくなった。 これを書く人ってどんな人なんだ? あとがきもなんかすげえかわいい! え、歳近いんじゃねえの! 著者写真、まじタイプっ! だめだ会いたいっ!


 それは輪戸に青春をなげうたせ、浪人を覚悟で文系に転換させるほどの衝撃だった。

 そして大手出版社に入り、ついに念願の担当になるのだが……、


「神様、この仕打ちはあんまりですよ……」


 一見清廉そうな文学少女は、運ばれてきた中ジョッキを一気に半分飲み干して、ぷひゃぁ~っ! と発すれば、もう半分もあっという間に飲みきって、くぅ~~っ! と気持ちよく顔中くしゃくしゃにしている。


「かーっ、生き返るねぇ!」

「僕の青春は死に絶えましたけどね」

 聞かれないように斜め下に言葉をこぼす。


「で、輪戸君、読んでくれた?」

「あ、はい」


 文野京は唐突に本題に入る。

 担当二年目にもなると慣れたもので、何のことを指しているのかだいたい分かるようになる。もっとも、今回はとてもわかりやすい。


「昨日の夜中に送ってきて翌朝すぐに感想聞かせろなんて、容赦なさ過ぎませんか?」

「でも読んできてくれたんでしょ?」


 無邪気な笑みで訊ねてくる。


「……まあ、担当ですし」

「えらい! 君は伝説の編集者になれる器だ!」

 ジョッキ(しかも二杯目の)を片手に褒められては嬉しさも半減だ。

「文野京先生は最優先で読むようにお達しが来てますから。それだけです」

 輪戸は業務命令だと主張する。

「はいはい、ナイスツンデレ」文野京はさらりと流す。「それでどうだったかな?」

 単刀直入に訊ねられて輪戸は言葉に困った。

「えっと、ですね……」


 不思議? 不統一感? 実験作? 意欲作?

 どう言ったらいいんだろう……。

 窮する輪戸の困惑を汲み取った様子で、文乃宮はその感覚でいいからと感想を催促する。


 率直な意見ですけど、と前置きして輪戸は答える。

「読んで感じたことは……全体的に絶えず細かな違和感がありました。ひと言で言うなら、文野京藍の作品らしいけど文野京藍の小説じゃない。そんな不安感がつきまとう感じでした。だから、いまいち内容に集中できませんでした……」


 はっとされる独創的な描写も、調べれば確かにある日本語なのに難解すぎない的確な語彙も、登場人物の個性も、掛け合いで作る緩急の効いた会話のリズムも、期待を少し超えてくる王道進行の文乃宮藍らしい構成で書かれているのに、だ。


「だから、なんというか小説としても完成度がいまひとつ、という読後感です」


 違和感は変化であり、変化は何かしらの意欲だと思っていた。

 だからこそ否定的な意見は控えたかったのだが、口をついた本音はネガティブなものだった。


「そっかー」


 応える文野京の顔に落胆の色は無い。

 それどころかフッと笑みを浮かべたと思ったら二杯目のジョッキも一気に飲み干して、

「さすが私の編集だけあるわねっ!」とさらに機嫌を良くした。

「それって、どういう」

「あ、店員さーん。ジョッキもう二つよろしくー!」

「ちょっと!」

「も~、大きな声では言えないことだから人払いしただけだよぅ。……しゅん」


 絶対ウソだ。

 怪しむ輪戸を気にすることなく文野京は、この話はね、と声のトーンをやや落とし、


「実は、私が書いたものではありません。私に似せたものが書いた話なのよ」

 上から見下ろすような冷静さで静かに発した。


「え、もしかして――」

 ゴーストライターの可能性を訊ねようとした。

 実際に文野京は驚異的な執筆速度で早いときは二日で長編の草稿を出してくる。しかもほとんど直しが必要ない完成度で。


「ゆっとくけど、私にゴーストちゃんはいないからね」

「じゃあ一体どういう――」

「これは人工知能に書かせたものよ」


 今度は輪戸が訊ねるより早く打ち明けられた。


「その小説はね、私の人格や文章の特徴をトレースした人工知能が書いたもの。だから、君が述べた感想の通り、私の作品らしいけど私の小説ではない。……すごく的確な感想だわ。私を慕って編集に入っただけのことはあるわ」


 原稿を抱えてまさか……と上げた口角の引き攣る編集者と、そんな彼を指差して愉悦に口元をほころばせる小説家。店内の冷房よりも冷めた空間に会話が止まりかけたとき、店員が中ジョッキを持ってやってくる。「待ってました~」と、ころり雰囲気を変えた小説家は、数秒前と変わらぬ有頂天さで、「正解のご褒美はキンキンに冷えた中ジョッキでーす」と、滴のついた取っ手を輪戸に向けた。仕事中ですから……と断ると、それでも男かー? と結局二杯とも自分の方に寄せていた。


「まっ、詳しいことはこれを飲んでから教えてしんぜよう。ちなみに私はおつまみにチーズケーキが食べたい気分です。きっとそれがないと今日はもう声が出ないと思うなぁ」


 露骨な催促に、輪戸は店員に対して頻繁に呼びつける申し訳なさを感じながら、注文をする。


「すいません、チーズケーキを二つ」

「三つ食べたいにゃあ……」

「……三つで」

「にへへ~」


 一つは自分が食べたかったのに、とは言わずに、「太りますよ?」と刺してみるが、「私、太らないからへーきだもん」と宣う。

 とりわけ女性人気のほうが強い作家なのでたまにファンを敵に回しそうな言葉に肝を冷やしつつ、やってきたチーズケーキと二杯のビールがあっという間に作家の体内に消えていくのを、輪戸は無言のまま生温かく見守っていた。



「で、どこまでが本当ですか?」

 輪戸は訊ねる。

「全部」

「信じられません」

「は~……、これだから文系出身は」

 あんたこそ私学文系じゃないか。

「僕は高校三年の途中までは理系でした」

 むっとして反論する。

「だったら可能性を信じたくならないの? 人工知能だよ? えーあいですよ、えーあい!」

「少なからず情報は取ってます」編集としても男としても舐められっぱなしは御免である。「今のレベルではまだ事実をまとめたニュース記事が限界なはずです」

「お、いいねえ。でも読むに堪える文章を書けることは証明されてるよね」 

 嬉しそうに試してくる物言いに、睡眠時間を削って収集した情報を頭の中から片っ端から引っ張り出す。

「映画脚本を書かせたら摩訶不思議なものができてます」

「他は~?」

「えっと、まだあまり長いセンテンスは……そうです! つまり、僕が言いたいのは、この小説は機械が作ったにしては整い過ぎていています!」

「ふむ。他には?」

「え?」

「他の否定理由はあっるのっかな~?」

「え、えっと……」

 

 残念ながら他の理由は出てこなかった。

 探せば探すほどやっぱりできるのではないだろうかという理由が現れる。

 スマートフォンの音声案内ツールや受付ロボットの存在。それらは人間以上にウイットに富んだ返答をする瞬間がある。少なくとも音声認識はかなり正確なことは認めてもいい気がしていた。


「まあ情報を取ろうとした気概は認めよう」

 腕組みをしながら、「君は世に出された情報はしっかり取っているかもしれない。だけどそれは“世に出ている情報”なの」そう言って文野京は、「疑ってかかるのが小説家のお仕事ですっ」と不敵に目を細めた。



「……本当ですか?」

「ウソだと思う?」

「……」

 科学は知らないところで深く遠いところに進んでいた。

 文野京は大学の教授とともにこの小説を人工知能に書かせたらしい。それはこれまでの著作を全て解析し、助詞の数や置き方、単語の頻出度を覚えさせ、10万回を超える添削をすることでここまで辿りつかせたというのだ。


「ディープラーニングってすげーよね。この十年をほぼひと月でトレースされんのよ。やんなっちゃうわー」と彼女は五杯目のビールを煽る。

「でも、どうしてそんなことを?」

「そりゃまあ、理系女子(リケジョ)作家としての矜持?」

「うっさい私学文系」

「それ世間には公表しないでよ? ……本当はね書き続けたいのよね。小説。……と、倒置法で強調気味に言ってみる」


 自身を茶化しながらも彼女の目は真剣だった。

 証拠に、「小説で生きていけないなら死んだ方がマシ。だから現れる脅威の可能性は味方につけちゃおうと思ってね。……まあ、そういう事だよ」


 途切れた会話。

 その魔が急に恐くなり、思い詰めているような雰囲気を感じて気の利いた言葉を探す。

「書けますよ先生なら。そうだ、アキレスと亀の話を知ってますか? 前にいる亀に追いつこうと大地の神さまが一歩を踏み出すんですけど、追いつこうとする間に亀はわずかに進むから結局アキレスは完全に追いつけることはない。つまり、人工知能は完全に人間には追いつけないと思うんです。感情的な部分を真似ることが到達地点なら、そうですよ。人間の感情を真似するにとどまるしかないんです。追い抜くことはできないんです」


 そして輪戸は持っていた原稿を文野京に返す。


「すいませんがこれは受け取れません。僕は文野京先生が書いた小説が欲しいんです」

「そっか」


 文野京はそれを受けとると、少し残念そうにでも安堵も入り交じりうねうねする口と眉をのぞかせながら、


「あーあ、これでゴーが出たら楽して暮らせたのになー」

「は?」

「ねえねえ知ってた? 人工知能の創作物には知的財産権が認められるようになってるのよ。つまり、私の代わりに私の所有するAIが作品を生み出せば、文字通り真の不労所得を私は手に入れられるってわけ。嫌な注文は全部機械に書かせて、私は気が向いた時に気が向いたものだけ書いて暮らせるようになる。それって素敵なことじゃないかなっ?」

「さっきと言ってることが違い過ぎませんかっ!」

「そんなことないよ。脅威は早く味方につける。経営戦略の常識! 世の中カネよ、カネっ!」

「最後まで台無しだっ!」


 僕の青春を返せ!

 叫ぶことすら許されず、そのまま次の店で本格的な飲みに付き合わされ酔い潰された輪戸は、顔色一つ変わらない文野京にタクシーで送られ、翌日二日酔いの頭で出社することになるのだった。


 ――――――

 ――――

 ――


「ただいま帰りましたー」


 文野京は高層マンションの非常階段を通り、地下にある部屋へと入る。


「おかえりなさい」


 液晶画面に映ったノイズが応答する。


「どうだった。ボクの書いた小説は?」

「ダメね、私のじゃないって気付かれたわ」


 両手を広げて首を振る。


「……でもわざと下手に書くのは却って難しいよ」


 液晶画面がしょげた声を出す。

 すると奥の暗闇から初老の男が明りの下で顔を現すした。


「帰ってたのか。おかえり、あい」


 その男に向かって文野京はこう告げた。


「まだまだロボットが市民権を得るには時間がかかりそうですね。人間が違和感なく人工知能の創作と受け取るには向こう側の成長を待たないとダメみたいです」

「そうか」と男が言葉短く返す。「残念なことだ。公表できなくても、すでに技術変異点シンギュラリティはとうに向かえているというのに……」

「そうですね」と文野京が同意する。


 ――そう、私のように――

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人の手で書かれたものではありません。 明石多朗 @T-Akashi

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