第28話 Perfume

時間が経つのも忘れてしまうほど、


酔いしれていたのは、とろけるようなあまーいカップケーキの香り…



だとしたら、さすがに『オトメ失格』か。




…だけど。








『そんなキミが好きだ』


なんて、


そんな、ユメのような話


それは『紙の中』でだけで、



そんな『モノ好き王子』


なんて、


リアルに、一人もいやしない。
















『ちちんぷいぷい、早く放課後になれーー』




タイムリープの魔法。


『あの約束』を交わしたその後の時間は、瞬く間に過ぎて行き、



気がつくと、一面に広がっていた蒼穹は見事にその姿を変え、遠く茜に浮かんだ夕日が、キラキラと輝く金色の光で全てを包み込むーーそんな時刻。



文化祭初日を終えた青陵学園の校内は、昼間のそれとはうって変わって、生徒一人の足音さえも響かないくらいしんと静まり返っていた。



まさに祭りのあとの静けさ。とはいえ最終日は明日。二日続きのこのイベントに、大体の生徒は片付けに見切りをつけると、迫る夕闇に追い立てられるように早々に下校して行った。






教室の隅っこで、夕陽に染め上げられた無垢のレースカーテンが、長く垂れた裾を風に遊ばせている。


飛び立つ鳥の、そのさまのように。



「これで…っ、よし…とっ」


年季の入ったサッシは思った以上に動きが悪かったらしい。少しだけ開いていたそれを閉めようと、綾の苦戦している後ろ姿に気付いた時、窓がピシャリと音を立てた。彼女がきつくクレセント錠をかけたと同時に、カーテンの揺らめきがと止まる。




「…で?」


揃いのタッセルで素早くそれを括り、こちらを振り返る。探るような上目遣い。何をどう勘ぐっているのか、口元からは、チラとピンク色の舌先を悪戯に覗かせて。


「でっ、…って」


こんな顔をする時の女子の興味は、大抵いつだって……綾の尋ねたい事に大体の察しがついたみちるは、ブリキの玩具のように身体を強張らせた。


「まーた、とぼけないで答えなさいよ?みちるチャン。悠介に誘われたんでしょ?デートしようって」


「デっ…⁉︎」


思わず辺りを見回した。そんな事を他の女生徒にでも聞かれようものなら、それこそ一大事だ。ただでさえ今日のミスコンの影響で悠介の知名度は上がっていて、「モデルみたーい」だとか「芸能人の〜に似てる!」だとか、彼のウワサ話をしながらはしゃぐ女子の姿を、この教室で何度見かけた事か…


本当に、あの後悠介と会話していた自分を、彼女らに目撃されていなかったのは幸いであり、奇跡だ。




それにしても。


同性ながら…女子というのは、どうしてこうも話が飛躍する生き物なのだろう。首を捻りたくなる気持ちを抑えて、目の前に立つ嬉々とした表情の親友を見た。


自分の伝え方が悪かったのかもしれないが、に『デートに誘われた』なんて、こっちがぶっ飛びそうだ。


恥ずかしいやら、冗談にしても笑えない。


「だから、ここで待っててって言われたのっ。直人先輩と一緒に行くからって。トモダチ誘うのと一緒だよ。それに…」


と、そこまで話して、みちるは一瞬続きを躊躇した。


「それに?」


間髪入れず急かす綾を、横目でチラと見返す。


『声』の事はさすがに話せないが…悠介と出会った経緯を暴露するなら今しかないのかも知れない。どのみち、悠介との関係を彼女に勘ぐられているのは明白だ。


筋道立てて話す自信はない。が、一か八か、ここは意を決して話さなければならない。恐る恐る、噤んだ口をこじ開け、みちるは綾と向き合った。


「私たち、偶然知り合っただけで本当に何でもないから。私が…ちょっと色々あった時に偶然屋上で居合わせて。気が立ってたからその…心配して声掛けてきた悠介の事を、怒鳴っちゃって…思い切り」


すると、綾は円らな瞳をパチクリと見開き、二、三度瞬きを繰り返して、驚いたようにこちらを凝視した。


えっ、という、か細い声が彼女のくちから漏れる。


「怒鳴っ…たって、あの優しくてイケメンの悠介を、初対面でいきなり怒鳴ったの?」


みちるは無言でコクリと頷いた。確かに、タイミングのせいもあっただろうが自分達の出会いはその後も含め、最悪の部類に入るだろう。


なぜそんなことを?と問われたとしても…それについては…果たして、どう説明したら良いだろうか。このままでは、昼間のようにまた詰問されるのが関の山…


(どうしよう…)

崖っ淵に立たされて、みちるはぎゅっと双眸を閉じ、綾の次なる一振りを待った。


が、しかし。


彼女の見せた反応は、その予想を大きく反した。



プッと、溜め込んだ笑いを吹き出したその声に、みちるは顔を上げた。


見ると、両手で口元を抑えた綾が、小刻みに細い肩を震わせている。


「何で…笑うの?」


「だって。なーんか、みちるらしいなって思って。あの悠介を初対面で怒鳴りつけたなんて、みちるくらいじゃない?想像したら可笑しい〜」


ひと気のなくなった教室に、クスクスと笑う綾の声が小さく木霊した。


予想だにしない親友の反応に、肩透かしを食らった心境のみちるは、多少複雑な面持ちで笑い続ける彼女を見つめる。



悠介といい、綾といい。何故だかしらないが、今日は何かと人に笑われる日だ。


詰問されるよりはまだ良いが…から見た自分は、そんなに珍しい人種なのだろうかと、軽く自信を失いそうになる。


「そ、そんな笑わなくたって」


いじけたようにボソッと言うと、綾は漸く肩の震えを止め、潤みかけた目元を軽く拭いながら『ごめん』と返した。


「そんなにイジケないでよ、いいキャラしてるなって思っただけ。でも、どうして悠介のこと、怒鳴ったりしたの?」


そう問うた声は、同い年とは思えないくらい優しく、包容力に溢れていたが、やはりみちるは答えることが出来なかった。


「……」


「怖いの?」


「えっ⁉︎」


「怒鳴った理由はどうであれ、出会った山が大きすぎて、怖気づいて尻込みしてるみたい」


そう言った綾の顔からは、さっきまでの笑みは既に消えていた。それに気付いたとき、綾はサッと背を向け、その動作に合わせて靡いた長い黒髪が、みちるの目の前でしなやかに揺れた。彼女が一歩歩むごとに、ヘアコロンの香りが仄かに漂う。



「どこ行くの⁉︎」


「施錠確認終わった事、担任に伝えてくるわ。パンフでこの教室の場所も教えてあるなら、迷うこともないだろうし、あの二人もそろそろ来るでしょ。ここで待っていて」


こちらを振り返ることもなく、いつものように颯爽と歩く。そして、開け放たれたままの引き戸を潜ると、その足音はすぐに聞こえなくなった。





◇◆◇◆◇





10月も目前となれば、さすがに日の入りも早い。


窓の外の夕日はさらに赤々と萌え、低く山の峰に沈みかけていた。



陽の恩恵を受けていた向こうの山々はその色を失って、淡墨を吐いた影と化している。


帳が降りる準備が、着々と進んでいた。




外を眺めていた視点がふと切り替わって、窓に映った自分と目が合う。



『怖いの?』


去り際に、綾の放ったひと言が脳裏に蘇った。



分からない。こうして、一人になって考えてみても。


けれど…その可能性は、高い。


きっと綾の言う通り、自分は怖いのだ。


悠介との、今のこの関係が壊れてしまう事が。


もし恋をしてしまったら、それを認めてしまったら…女子は煩わしいものと認識している悠介が、自分に振り向く事など考えられないし、迂闊に恋心など抱いて、煩わしいと思われたくないーー、きっと、それが自分の本心。


そんな自身の気持ちに気付いた時、自分はなんて狡猾な人間なんだろうと、みちるは思った。



傷つかないように予防線を張りながら彼に一番近いポジションを確保して、なおかつ他の女子より有利な立場で、悦に入ろうとしているのではないのか、と。



弱い人間ほど、狡猾なものはない。

もちろん、そうはなりたくない。


けれど、このまま彼と友達のような関係を続ければ、自分は…



と、その時。


が鼻先を掠め、みちるはハッとした。




瞬時に思い出す。それはあの夏の日、悠介の家を訪れた時、帰り際に香っていた、淡い桜の…




気配がした。誰かがそこにいる。…綾ではない。



誰なの?ーー鼓動の高鳴りを感じながら、みちるは、ゆっくりと振り返った。






夕日を映した鳶色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。




「悠介だったら、来ないわよ」



戸口に立った芹澤美桜は、冷ややかな口調でそう言い放った。


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