第27話 Voi che sapete

『今度はうまくやりなさいよ』



一瞬。


真っ直ぐに自分を見つめる綾の強い眼差しは、確かにそう言っているように取れた。意味深な一瞥をみちるにくれて、彼女はブツブツ言う大男を従え、人で賑わう中庭を颯爽と歩いていく。



対して、方のみちるはと言うと、そんな彼女の振る舞いに戸惑うばかりで、茫然とその光景を見送っていた。













(そんな目で言われても…)


自分と悠介は、元々そんな関係ではない。なかったはずだ。


(困るって…)


「ちょっと、綾ってば…!」


昇降口へと消えていく二人の背中に、縋るように声を出した時だった。


コツン。


子気味の良い音とともに、後ろから、何か少し硬いもので頭を小突かれる感覚。


「痛っ、何…?」


不意討ちの小さな衝撃に身体を竦ませて、頭にそっと手を伸ばす。ーーそれは手のひらサイズの王冠クラウンだった。


ブロンズに塗られた透かしのアーチ型の骨組みに、それらしい赤いビロードの布が品よく映えている、ハンドメイドのクラウン。頂には、十字架クロスの飾りが付いている。


「あ、かわいい」


小洒落た作りに関心して眺めていると、すぐまた後ろから手が伸びてきて悪戯にふいっと取り上げられた。


「あっ」


「あっ、じゃねーよ」


取り上げた、と言ってもそれは元々彼の物なのだが。振り返ると、悠介はやや不満そうな目でみちるを見ていた。


「ロクに連絡もよこさないで、おまえあれから何してたんだ、夏休み」


久々に交わした会話は、悠介の保護者か先生のような口振りで始まった。


やや威圧的とも言える物言いに返す言葉に詰まったが、その短い言葉は自分を気にしてくれていたという意味に取れたし、何より、彼は自分からの連絡を待っていたようだ。


意外な事実に気がついて、みちるの胸が跳ね上がる。


「な、何やってたって別に…」


「バイトは?」


「えっ?」


「だから、バイトしてボイトレ通うって話だよ」


「あ、ああ…その話…」


しかし話が進むにつれ、彼の真意が見えた気がした。上がりかけたテンションは急激に下降してみちるは悄然となった。


悠介が気にかけているのは『自分』ではなくて…あくまで自分が持っている『タツヤの声』だ。


けれど、元を辿れば自分と悠介の関係とは、それをきっかけに始まったものなのだ。そして、それ以上でもそれ以下でもない。


(…大体、あれだけ女の子にモテている悠介の気を引く要素なんて、私にあるわけないのだから…)


ミスコンの影響もあってか、悠介の背後には、文化祭を楽しみながらも彼の姿に足を止め、色めき立った眼差しを向ける女生徒が後を絶たないでいる。


「…まだ、何もしてない。バイトはちょっと探してみたけど、なかなかいいの無くて。面接とかは行ってない」


コインローファーに纏わりつく細かな砂利を爪先で弄りながら、みちるはポツリと答えた。


そうか、と悠介の呟くような声を聞いたが、みちるは下を向いたまま砂利を弄り続けたていた。


悠介のほっとした顔が頭に浮かぶ。


そして、そんな彼を見るのがとても嫌だと思った。



さっきから湧き上がってくる、得体の知れない様々な感情の正体は一体何なのだろう。まさか、これが俗にいうーー


「そんなに気になるんだったら、悠介こそ連絡すれば良かったじゃん」


自分の中で答えが出そうになった時、それを打ち消すようにみちるは口を開いた。


「えっ?」


「塾の夏期講習とか家に家庭教師が来たりだとか、勉強するのに悠介が忙しいと思って、私は連絡しなかったの。私のために、わざわざピアノの練習までしてもらったし」


「わざわざって…」


みちるの他人行儀な言い回しに、悠介は困惑したように言葉を濁した。が、やがて鼻先を小さく鳴らすと、ゆっくりと静かな声で言葉を紡ぐーー


「今みたいに」


真昼の雑踏に消え入りそうな語り口に、みちるは顔を上げ、聞き逃さないよう耳をそばだてる。


「今みたいに、保護者かなんかみたいなウゼェ物言いになると思ったから。あの声をみちるがどうするかは、みちるの自由だと思っているけど、タツヤのファンだったオレが何か言うと、答える方も気を使うだろ?ボイトレ通うのだって、決心揺らぐかも知れないし」


結局言っちまったけど、と、悠介は付け足した。陽に透かされた前髪に均整のとれた長い指が絡まり、そっとかきあげる。その繊細な仕草は彼の危うげな色香を一層引き立たせて、やはり周囲を行き交う男子生徒とは違った雰囲気を醸し出していた。


そんな悠介を目の当たりにして、みちるは急にドキドキして、慌ててふいと目を伏せる。


「…おい、聞いてんのか、みちる」


自分と目を合わせようとしないみちるの様子を不審に思ったのか、悠介が問うた。


「だいたい…みちるが言ってる夏期講習だのカテキョだのって、何の話?」


「へ?何の話し…って」


みちるはキョトンとして、漸く悠介の顔を仰ぎ見た。


「オレは夏期講習にも通ってないし、カテキョも付けてない。ま、そろそろ必要だろうから、みちるがバイト探すみたいにオレも塾は探してたけど」


そう、さらっと言って退ける悠介に、今度こそみちるは絶句せざるを得なかった。


さっきまでの悩みなど一気に吹き飛んで、代わりに頭の中では以前綾から聞いた言葉が蘇り、星のようにぐるぐると駆け巡る。


この人は…今の言葉からしてこの人は、塾にも行かず家庭教師もつけないで市内で5番なんて順位を取ったというのだろうか?


驚愕の事実に、自分の耳を疑いたくなる。


まさか、信じられない。そんなこと、自分の常識では絶対にあり得ない話だ。たとえウチの市が相当な『おバカ市』であったとしても、そんなことが出来るとしたら、やっぱり、やっぱりこの人はーー


「かっ…、かっ…」


ワナワナと力の抜けかけた両足は用を成さず、勝手に一歩二歩と後退りをしては、それに合わせて足元の砂利が乾いた音を立てた。


「か?って、何だよ?」


目を皿のように丸くして自分を見つめるみちるを、悠介が訝しげに見つめ返す。直後、溜め込んでいた言葉が、みちるの口を吐いた。


「かいぶつ…っっ!」


飛び出した声は、自分でも驚くくらいのボリュームで、目の前にいた悠介は、思い切り顔をしかめて耳を塞いだ。


「…おまえは!本当にうるせーヤツだな。しかもかいぶつって何だよ、人をバケモンみたいに」


「だって…だって悠介今まで塾にも行ってなかったんでしょ⁉︎モチベーション上げる綺麗な年上の家庭教師とか、居るもんじゃないの⁉︎あんな…市内で5番なんて順位取っておいて、あり得ない!普通じゃないっ、アタマおかしいっ」


すると悠介は一瞬思考が停止したように目を丸くしてみちるを見た。が、その面が微かに歪んだかと思うと、やがて腹を抱えて、みちるの声も凌ぐ大声で、人目も憚らずゲラゲラと笑い始めた。


「えっ、何?私、何か変なこと言った?」


爆笑する悠介に、みちるは慌てふためいた。しかし、そんなみちるをよそに、悠介の笑いはなかなか止まらない。


「ちょ、ちょっと、悠介…」


「アタマおかしいって、みちる、おまえの方がおかしいだろ?綺麗な年上のカテキョがモチベだとか、おまえのアタマん中、一体どうなってるんだよ」


アーモンド形の目を潤ませて、悠介は漸く顔を上げた。そして、目の前に佇むみちるを見て、笑い足らなかった様に再びプッと吹き出した。


「人を怪物だとか騒いだり、おまえって本当に…まぁ、あの綾が飽きずにくっついてるのも、よく分かるわ」



そう、悠介が言った時だった。


『間も無く、体育館にて、本校声楽部による文化祭特別発表会を開催致します。曲目は…』



「あ…」


大勢の人で賑わう校庭に、女子生徒のあどけない校内アナウンスが響いて、みちるはハッとした。


(声楽部…、歌うんだ…)


頭の中で、過去の思い出がふと蘇る。


中学時代、舞台で独唱をした自分の姿だった。


無意識に握った両手に力がこもる。浮かんだ映像をかき消すように頭を振って俯いた。


本当だったら自分だって…、今頃はきっとーー、そんな悔しさが、ぞわぞわと胸をかき乱そうとした。



が、その時、悠介が口を開いた。


「…おまえ、どーせ今日ヒマなんだろ?」


「えっ⁉︎」


弾かれたように顔を上げ、悠介を見た。最初から予定なしと決めつけた揶揄するような発言に、突っ込むことも忘れて。



「な、何で?」



「放課後、綾と教室で待ってろ。直人と行くから」


そう言うと、悠介は素早く背を向けて、昇降口へと歩き出した。


(えっ⁉︎な、なんでまた急に?)


悠介の真意は図り兼ねたが、彼に誘われたのは間違いない。



ドギマギする胸を押さえて数メートル先を歩く悠介を見遣る。



ガリガリと、珍しく乱暴に後ろ頭を掻いていた。













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