第26話 pain

「よくそんな事に気が付くね」って


その言葉はひと言抜けてる。




「よくそんな『ドーデモイイ』事に気が付くね」


それが正解。


…わたしに限っては。



だってほら、肝心な事に気付いてなかったじゃない。


今だって。




気づくどころか。



迷い子を知らせていたアナウンスも、


高らかに響いているはずの吹部のトランペットも、


目の前で、インタビューに答えている「彼」の声も、



何も聞こえやしない。




隅に小さく咲いた、白いコスモスの花弁がハラリと舞って、


役立たずの耳は、ただその音を拾うばかりで…










何も、感じない。



















「…みちる?」


不意に名を呼ばれて、はっと我に返る。途端にわっと、取り巻いていた景色の全ての『音』が蘇った。


長い黒髪を耳に掛け、眉を顰めて、綾がこちらを覗き込んでいた。


(あ…)


ぎこちない自分のその様子は、誰の目にも明らかだったかも知れない。それを気にする人間が隣りの友達一人、というだけで。


「や、やだなぁ私、ミスの子があんまり綺麗すぎて見惚れちゃった。本当に綺麗な子。もしかして綾知り合い?」


胸に走った奇妙な感覚は、例えるなら真新しい薄紙で指先を切ったのと似ていた。どうしてそんなものを覚えたのか、首を傾げたくなる。ただこれ以上余計な詮索をされぬように、みちるはアハハと笑いながら綾に問うた。


「…まあね。中等部で一緒だった。そんなに仲良くはなかったけど」


訝しげに光る瞳に、空笑いを浮かべた自分の姿が映っていた。


「あ、やっぱり!いかにもお嬢様って感じだもんね。てことはあの二人も知り合い同士なの?なんかお似合いだなぁ。ねっ」


下手に誤魔化したところで、利発を絵に描いたようなこの友に通用する確率は低い。その視線から逃れたくて、輪の中心の二人をちらと見る。そして再び、心臓の辺りに原因不明の『何か』がなぞったのを、みちるは否定出来なかった。


「…知り合いっていうか。まぁ、面倒くさい関係っていうか」


身体が硬直しかけたが、折り良く綾は前方に視線を泳がせていた。気怠るげに黒い艶髪をかき上げて、呟くように彼女は言った。


「へ?面倒くさい関係って…」


意味深な物言いに何それ?と問いたかったが、しかし綾はそれを許さなかった。


「てか、いいの?」


それは、静かな一言。


視線は主役の二人を捉えたままだ。しかし彼女の放ったその一言は、鋭く尖った針のようにみちるの心を突き刺した。




「いいのって……何が?」


口角を押し上げていた頰の力が、緩々と抜けてゆく。


固唾を飲んだ時、再び綾がこちらを向いた。


「そんな風にヘラヘラ笑って。あの二人がお似合いだとか言っちゃって」


胸に抱えた痛みも、全てお見通しだと言いたげな瞳だった。


「ヘラヘラって…」


批難めいた言葉に反応してしまうのは、軽く傷ついたからだ。


傷を負った自尊心が、口を開かせる。


「だって別に私、悠介の事なんて何とも思ってな…」


舌禍に注意。しまった、と思った。


感情を隠すのに必死になり、つい、口が滑ってしまった。


お互いを下の名で呼んでいるなんて、そう簡単に話せた事ではない。



慌てて『あ』と口を噤んだが、既に遅い。


バツが悪くなって俯く。そんなみちるを黙って見つめて、綾は極めて冷静な声色で切り出した。


「いいよ、別に隠さなくても。あの日、途中で帰ったみちるの事を悠介はすぐ追いかけて行ったじゃない」


「あの日」というのは、夏休み直前に、直人を含めた4人で会った日のことだろう。確かに悠介は、怒って帰った自分の事を、息を切らせて走っ追いかけて来た。綾はそれを覚えていたのだ。



「…おかしいって思ってたの?」


「みちるの様子が変だったから、私も追いかけようとしたの。けど、直人に止められた」


「直人先輩が?」


「邪魔するなって。引き止められた。…ねぇ、あんたたち3人、何か私に隠してない?直人はまだしも、大体悠介とみちるって、あの日が初対面じゃないみたいだったじゃない」



糾弾に近い綾の詰問から逃れられたのは、幸運だったかもしれない。


「やっぱな〜、有無を言わさず連れてかれてミスターだとか、こりゃアイツにしたら公開処刑みたいなもんだ」


何時からそこに居たのか、二人の少女の間にぬっと顔を突き出して、身体を屈めた直人がすぐ後ろに立っていた。


「わっ、ビックリした!ってか、いつからそこに居たの⁉︎しかも耳元で呟かないでっ!」


ビクリと肩が跳ね上がる。長い髪を翻し、振り向いた綾が、がなり立てるように直人を責めた。


「何時からって、今さっきさ。にしても今年の文化祭、最高だなっ。こんなおもしれーもん見れるなんて、コレで当分笑えるわ」


言いながら、特に悪びれる様子もなく、直人は歪んだ口元を手で抑えている。


そんな直人を、みちるは不安げな眼差しでそっと見上げた。


彼は…直人は、本当は覚えていたのかも知れない。あの春の日に、学校の屋上で悠介と話していた自分のことを。


しかし、それを確認する手立てをみちるは思いつかなかった。しかもタイミングとして『今』は到底無理だ。





程なくして即席のミスコンは終了し、集まっていた物見客が蜘蛛の子を散らしたように四方八方へ動き出す。




司会の女子生徒らに見送られ踵を返した初代ミスターは、なんとも気恥ずかしそうに地にその目線を落としていた。


何処へとなく歩き出した彼の背中に、男子生徒らの軽い口笛が吹きつける。


「うるせーなっ」と毒付くと、彼らは悪戯な笑みを浮かべ、またな!と手を振って逆の方向へと消えて行った。



「アラ、無視しないで〜こっち向いてちょうだい、お兄さ〜ん」


全くこちらに気付きそうもない悠介を見兼ねて、直人がシナを作りながら声を上げた。


振り返った彼は不機嫌そうにその柳眉を寄せていたが、声の主が親友だと分かると、気怠るげなため息を吐いて面を元に戻した。


「何だよお前ら、いたのかよ」


手にした小さな王冠を持て余し、のろのろとこちらに歩み寄ってくる。


「こんなおもしれーもん、放っとく奴なんていないだろ?」


ニヤつきながら茶化す直人のわき腹に本気まじりの悠介の拳が飛んで、直人は身体をくねらせた。


「あら、いいじゃない?でもなかったら喫茶店のメイド役だったかも知れないんでしょ、悠介」


「メイドって…どっちも変わんねーっての。って、何で綾が?…お前か」


みちるは小さく肩を竦めた。このお喋りめ、と、悠介に窘めるような一瞥を食らったからだ。


「でも、まさかミスに美桜ちゃんが選ばれるなんてな。ああ、まさかって事もないけど。で、美桜ちゃんは?」


直人の言葉に、一同振り返る。が、

辺りをざっと見回しても、芹澤美桜の姿はどこにも見当たらなかった。文化祭を楽しむ通行人以外、そこには誰も居ない。



「…いいじゃない?忙しいんでしょ。大体私、前からキライなのよ、美桜って」


最初に彼女を見た時の様子から、何となくそんな雰囲気は感じとっていたが…歯に衣着せぬ綾の物言いは、3人の視線を元に戻すのに十分だった。


「またお前は…ハッキリ物を言うよなぁ。悠介、こいつ、オレらの教室来て何て言ったと思う?この完ぺきバリスタになりきったオレを見て!」


「…ま、どうせフツーすぎてつまんねーとか言ったんだろ?」


「うふっ、さすが悠介大当たり!じゃ、その完ぺきなバリスタさんにコーヒー一杯奢ってもらおうかな〜」


そう言って小悪魔的な笑みを浮かべると、綾はいつかのように直人の手を取り、力任せにぐいっと引っ張った。どこからそんな力が出てくるのか。自分よりずっと小柄な女子に、直人のような大男が引きづられる様は何と言うか、まぁ滑稽ではある。その光景は、周囲の人々の目を引いていた。


何で奢りなんだよと、ブツブツ言いながらも直人が後に続く。





遠ざかるまえに、綾がみちるを一瞥した。


ハッとして見返すと、彼女は顔から笑みを消し、かわりに口をキュッと結んで、その強い眼差しだけで何か、自分に訴えているようだった。




『今度はうまくやりなさいよ』




そう、言っているような気がした。






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