第19話 告白
「うーん、とりあえず腹ごしらえは出来たかなっと!」
店を一歩出たところで、直人は大きく伸びをした。
はじめに悠介が言った通り、あの大量に運ばれてきたバーガー類の半分は、直人によって消化された…と思われる。
「とりあえずって、どういう意味よ?あれだけ食べといて」
そのセリフを聞いていた綾の口元がヒクリと動き、呆れたような目付きで店先の男子を見た。
そんな直人は、悠介が手に持っていたポテトフライをヒョイと奪ってまた食べている。
「おまえ、オレがキープしたヤツ全部食って、まだ食うのかよ、返せっ!」
「ちょっと直人先輩、それ悠介が買ったヤツじゃん。って、どんだけ食べるのよ!太るよ!」
悠介の悲痛な叫びと、綾の怒号に近い金切り声が、暗くなった空に響いた。
夜を迎える寸前。幾重にも重なった紫と紺色が一面に広がって、空は美しいグラデーションを織りなしていた。その一番暗い部分に星が一つ、瞬いている。
広場の時計は、ちょうど19時を指していた。
「大丈夫でーす。太ったりなんてしませーん。だって食べた後はちゃんと発散するっしょ⁈」
コレで。
そう言って、直人はにぎり拳にした右手を口元に当て、声は出さずに魚のようにパクパクと口を動かした。
そのサインが何を意味しているのか…大抵の高校生、いや大抵の日本人ならわかるはずだ。
「えっ…」
例にもれず、みちるもすぐさまその意味を理解した。そしてその提案は自分にとって全く嬉しくないものであり、寧ろ一番厄介なものと言っていい、
そう、
「あ、いーね!カラオケ、私も最近全然行ってなかったから行きたーい」
歓喜の声をあげ、子供のように両手を広げて綾が賛同した。
「だろ?オレもさっきjetstreamの話なんて聞いちゃったから、歌いてーと思って。悠介は?」
「オレは…」
言いかけて、悠介はチラリと目配せをするようにこちらを見た。
それに気づいた綾と直人も、悠介からみちるへと視線を移す。3人の視線が、一斉にみちるに注がれた。
(わっ!ちょっと…)
「そうだ、みちるはどうなの?もう19時になるけど、時間とか大丈夫?」
「え⁉︎じ、じじ時間⁈あ、ああもうこんな時間なんだよね」
みちるは背中のリュックからスマホを取り出すと、時間を確認して『慌てた振り』をした。
…本当は、コレで家に連絡をすれば、ちょっとくらい大丈夫なのだが。
スマホを握りしめた手に、ジワリと嫌な汗が滲む。
カラオケは…カラオケだけは…絶対、絶対絶対ぜったいに行く訳にはいかない。
が、しかし、そんなみちるの心中を察しの悪い人物が、更に波立たさせた。
「jetstreamはダメ、それ今日歌うヤツ決まってるから」
なんの躊躇もなく、綾と直人にそう宣言すると、悠介はクスッと笑ってみちるを見た。
(なっ…!)
その笑い。試すような、バカにしたような…
ーーカッとなる、とはこういう事なんだと、その時初めて知った。
その時、みちるの中でプツリと「何か」が音を立てーー切れた。
「あれっ?どうかしたみちる」
みちるの様子が変わった事を察知したのか、怪訝な顔つきをした綾が瞳に映った。いつになく憂わしげにこちらを覗き込んでいる。
「ふふーん、綾、何でもないよ」
「 ? 」
みちるが変な風に笑うので、綾は益々不可解そうに眉根を寄せる。
優しくて、賢い綾。仲良くなれて、本当に良かった。
(…だけど綾、私、バカだから…)
自然と両の手に力が入った。
(アナタの顔に、泥塗っちゃうかもっ!)
ごめんっ!!
みちるは心の中でそう叫んで、目一杯息を吸い込むと、顔をグッと上げて速射砲のごとく淡々と一気に話し出した。
「私やっぱり帰るよ、お母さん心配するから。綾、また明日。直人先輩、今日はご馳走さまでした。美味しかったです!それから時田先輩…」
そこで一旦息を切り、再び大きくスゥーッと息を吸い込んでーー
「さ・よ・お・な・らっ!!」
悠介に向かって、人目も何も憚らず、一段と大きな声で怒鳴りつけるようにそう言い放った。
…一瞬、なにが起こったのか分からず悠介はキョトンとしている。
(ふん、ハトが豆鉄砲食らったような顔しちゃって。いい気味!)
そのままさっと踵を返し、薄暗くなった広場をひとり、駅の方角へ掛けて行った。
◇◆◇◆◇
夜の帳が下り始めた薄暗い広場の中を、街灯の明かりを頼りに一人の少女が足早に走り抜けて行く。
(何よ、あの態度!)
やり返してやったものの、みちるのその怒りは完全には収まらなかった。
jetstreamを歌えだなんて…大体、初めて屋上で会った時の自分の態度を思い出せば、そんなことは仕向けてこないはずだ。なのに悠介は何とも、何も感じなかったのか?あんな風に2人にバラして、挙句バカにしたように笑って…ちょっとでも彼にドキドキしていた自分が情けない。
行かなきゃよかった…そんな後悔の念が浮かんだが、時田悠介という人物が、本当はどんな人間なのか、これで充分知れたのだ。
これからはもう彼との事を思い返したり、二度と会うこともないだろう。すっきりしたと思えば、これはこれで良かったんだ。
前を向くと、薄暗い視界に煌々と光る大きな建物の屋根が見えた。
駅だ。
広場の出口まで、半分は過ぎただろう。早く家に帰りたい。そんな気持ちが、自然とその足取りを早めた。
否、早めようとした、その時、
「おい!何なんだよ、宇野みちる!」
暗闇を引き裂いて、背後から、自分を呼ぶ声がした。
しかも呼び捨て、フルネーム。
駆け出そうとした足が、突然失速して前につんのめりそうになる。
「いったい…一体何なんだよ?また急に怒りだして。さよおならって、小学生か?」
走って追いかけてきたのか、近づいてくる足音と共に、悠介の荒い息づかいが聞こえてきた。
みちるは振り返らない。そのまま、固まったように微動だにしなかった。
「カラオケなんて、高校生ならみんな行くだろ?それとも何?jetstream歌うのが、そんなに嫌だったのか?あんなに上手いのに?それ知らないの直人だけで、綾だってオレだって知ってる…」
言いかけて、悠介はハッと口元に手を当てた。そして改めて、目の前で無言のまま佇むみちるを見た。
暗闇に差す街灯の細い光の下で、小刻みに肩が震えている。
「…知らないのか?まさか、綾も?」
みちるは答えない。
「だって…おかしいだろ?タツヤの声なんて、男だろーが、女だろーが、そんな簡単に出せるもんじゃない。あんなに上手かったら自慢でき…」
「先輩は……!」
あくまで自分の主観でしか話をしない悠介に、とうとう我慢が出来なくなった。
振り返るーーみちるは泣きたい気持ちを目一杯抑えて、その昂ぶった感情を、ついに悠介に投げつけた。
「先輩は…あなたは何にも知らないからっ!だからそんな事が言えるのよ!私が…私が何で青陵に入ったのか、何がしたくて大嫌いな勉強必死でやって、あの学校に入ったのか」
「えっ…?」
「青陵の、あの有名な声楽部に入りたかったからよ!そこで絶対にレギュラーになって、大きな舞台で思い切り歌いたいって思ってた。けど、あんな声じゃ声楽部には入れない…あんな掠れたハスキーボイスじゃ私の夢は叶わない…流行りの歌は歌えても、合唱なんて無理だわ!私の本当の声が帰ってこない限り!」
「えっ、な、何だよ、本当の声って…」
みちるの決死の激白に、悠介は戸惑いの色を隠せないでいる。
そんな悠介の様子を目の前にしても、みちるの感情は収まらなかった。いつか兄に話した時のように、またバカにされるとは思っても。
ずっと誰かに聞いて欲しいと、心の奥底で思っていたのかも知れない。
涙で潤みそうになった瞳を逸らしもせず、みちるはまっすぐに悠介を見た。
「私ーー、タツヤに会ったの」
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